海中のサバービアからの手紙[散文詩]

拝啓
潮の香りがやわらかく満ちる季節になりました。
あなたと別れてから、ずいぶん時間が経ったような気がするけれど、ここでは時間がときどき逆に流れるから、本当のところはよくわからないの。
私が今住んでいるのは、海に面した新市街です。
埋め立て地にできたためか、平らに整いすぎた石畳が、すこしだけ現実から浮いているようにも見える街です。
人々は、どこか都会の雰囲気を纏いながらも、自然にあたたかくて、必要な時には誰にでも扉をひらいてくれる。
街路樹にはトベラやトチの木、それからデイゴが咲いています。
デイゴの花はね、散るというより、自分から重力に身を委ねるみたいに落ちるの。
形を保ったまま、真紅の雫みたいに、ぽとりと足元に残る。
その鮮烈な赤を見るたび、どうしてか、言えなかった言葉ばかりが浮かびます。
このあいだ、「甘み変える実」というのををもらいました。
緋色の種を持つ小さな実で、食べると世界の味が変わるの。
海の香りが、ほんの少し甘くなった。
夜はとても静かで、音が遠くに引いていくの。まるで深い水の中にいるみたいに。
そして、あるとき気づいたの。
ああ、私は海の中に住んでいるのだと。
風だと思っていたものは、水の流れで、落ちていく花も、漂うように揺れながら沈んでいく。
拾い上げようとしても、指のあいだからすり抜けてしまうの。
不思議でしょう。
でもね、不思議なことって、少しだけ優しいの。
水底の夜が更けるころには、胸の奥に沈めていた想いが、形になる前にやわらかくほどけていく気がしています。
あなたは今も、まっすぐ歩いていますか。
私はここで、ゆっくりと、やさしく変わっていく世界を見ています。
もし手紙が届くなら、次はあなたの時間の話を聞かせて。
敬具
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あとがき
本文は、現在私が暮らしている海沿いの街の印象をもとに書かれています。
実在の風景や空気を下敷きにしながら、記憶や感覚の揺らぎを重ねたものです。
また、少女時代に親しくしていた人々へ向けた手紙として書かれています。
