雨の日は晴れを、晴れの日は雨を
我が家の双子が通う園の近くに、
小さなお地蔵さんがあります。
そのそばには、
小さな水を張った石と、柄杓があって、
お地蔵様のお身体や足元に、
ゆっくりと水をかける。
水をかけたあとは、手を合わせる。

ちゃんとした名前や作法を知っているわけではないけれど、
そこを通るたびに、自然とお参りするようになりました。
私はいつも、
お願いというよりも感謝をします。
「健康でいられること、ありがとうございます」
そんな気持ちで、そっと手を合わせます。
三男のお願いは、
跳び箱が跳べるようになりますように。
逆上がりができますように。
そんな、
子どもらしいお願いです。
次男のお願いはというと、

雨の日には、
「明日、晴れますように」

晴れの日には、
「明日、雨が降りますように」
そうお願いします。
三男は、
次男の願い事を聞いて、
「明日の天気予報、晴れだったよ」
なんて、
現実的なことを言います。
でも、次男からは
それ以外のお願い事を聞いたことがありません。
先週は、ずっと雨の日が続いていました。
大人の私は、
つい思ってしまいます。
また雨か。送迎が大変だな。
靴も濡れるし、湿気で髪も広がるな。
そんなふうに、
雨の日の不便さばかりが先に浮かんでしまいます。
だから、次男が、
「明日、雨が降りますように」
とお願いしていたときに、
「なんで雨がいいの?」
と、理由を聞いてみました。
すると、次男は言いました。
「雨が降らないと、
お水がなくなっちゃうんだよ」
「あと野菜が喜ぶから、雨がいい」
その言葉を聞いて、私は思い出しました。
5月の初め頃、
雨がずっと降らなかった時期がありました。
その頃は、
水不足になるかもしれないというニュースを頻繁に見ていたので、
子どもたちには、「何でお水がなくなるの?」と、良く聞かれていました。
雨が降らないからだよ。
そうするとね、
水道のお水が出なくなるかもしれないよ、
お野菜も採れなくなるかもしれない。
夏になったら、
プールに入れなくなるかもしれないよ?と、
そんな、
もしもの未来の話をしたことがあります。
あの時は、ニュースを見て話しただけ。
日々の会話のひとつだったかもしれません。
梅雨になり、そんな話はしなくなっていたけど、
次男の心には、
「雨が降らないと困る」
ということが、ちゃんと残っていたようです。
お水は、
いつでも当たり前にあるものじゃない。
雨が降ることで、野菜も育つ。
そんなことを、思い出し
次男なりに雨を願っていたのかもしれません。
雨の日には、晴れを願う。
晴れの日には、雨を願う。
シンプルなお願いだけれど、
とても大切なことだなと思いました。
晴れも大事。
雨も大事。
どちらかだけでは、生きていけません。
小さなお地蔵さん。
そこを通るたびに、
私は家族と自分の健康を願い、感謝する。
そして次男は、明日の空を願う。
理由を知ってからは、
単純に見えてた次男の願いが、
とても素敵だなと思えるようになりました。
当たり前に出る水も、
当たり前に来る朝も、
当たり前に過ごせる毎日も、
本当は、ぜんぶありがたいもの。
今日もまた、園へ向かう道の途中で、
そっと手を合わせ、
当たり前に、感謝して願おうと思います。
昨日、
次男が園で育てて、
収穫したキュウリを持ち帰りました。

雨がたくさん降ったから、
キュウリが大きくなりすぎたと大喜びでした。
「ぼくのキュウリ美味しい?」
と何度も聞きながら
嬉しそうに食べる姿を見て、
雨の恵みに感謝せずにはいられませんでした。
まもなく梅雨明け。
今年もまた暑い夏がやってきますね。

【追記】
これは詐欺??
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