誰かの「好き」に土足で踏み込む生き方は、あまりにもったいない。
「自分の事」となると途端に言葉で表現できない事に気づいて、自分自身を整理したり言葉で表す練習をするためにはじめたnote。
思いがけなく「doda賞」なるものをいただいた。
書き始めた頃は、感情の名前が分からなくて困惑したり、読み返すとこれ説明書かいと自分でつっこんでしまうようなひどい有様だった。
今でもそうではあるけれど、多少マシになってきたなという感じだ。
コンテストに応募するために、書きたいことを整理して書く。
もしかして誰かに読まれるかもしれないと、自分なりに整理して書く行為そのものが自分に良い影響を与える。
これもコンテストの応募の良いところだ。
それだけでありがたいのに、賞までいただけるなんて、運を使い果たした気分だ。
そんな中、個別のメッセージ機能でお仕事のお誘いが届いた。
概要は、フィットネスウェアの衣装提供とPRの有償案件とのこと。
フォロワーも少なく、Instagramのように画像で表現しているわけでもない私に、そんな話があるはずもない。
高揚していた心が、すうっと冷めていくのを感じた。
「これは詐欺だな」と直感する。けれど、万が一にも本当だった場合、無礼な態度はとりたくない。
念のためHPを確認し「興味があります」とだけ事務的に返信してみた。
案の定、すぐにLINEへと誘導される。
「ああ、やっぱり」と、確信が落胆に変わった。
ふと思った。これを送ってきたのはAIなのか、それとも人なのか。
送られてきたブランドイメージの説明文に、小さな誤字を見つける。その拙さに、画面の向こう側にいる「人」の気配を感じてしまった。
もしこれが人の手によるものだとしたら。
そう思った瞬間怒りよりも先に、
その人の「人生の貴重な時間」がこんなことに使われていることに、なんだか可哀想に思えてしまったのだ。
ただの通行人に対して、もちろん余計なお世話だ。
だからどうしろ、こうしろなんてその人に対しては思わない。
だけど、自分に置き換えて考えてしまった。
人生って、思っているよりきっと、ずっと短い。
容姿が美しく、内から沸き上がる気力と共に生きる時間。
何かに没頭し、充足感や高揚感と共に熱く生きる時間。
そして、身近な美しさや温かさを味わい、穏やかに生きる時間。
そのすべてが有限なのだ。
どんな風に過ごしても時は流れ、やがて私たちは自然へと還っていく。
それなら、もっと自分のために、ちょっぴり手の届く周りに、
そして自然との調和に時間を使った方がいいと思ってしまう。
誰かの「好き」や「嬉しさ」「優しさ」「やってみたい」の気持ちの上に土足で踏み込んで、仮にいくらかのお金をもらう。
だから何なのだろう。何を得たいのだろう。
なんだかその生き方は、
あまりにもったいなくて、あまりにも悲しくて、あまりにつまらないんじゃないのかな。
と、真面目に考えてしまった。
誰かの生き方や考え方を、こんな風に考えるなんておこがましい。
自分自身の人生そのものが、人に認められるようなものではない事を分かっているからこそ、考えるきっかけになったのかもしれない。
なんだか、自分の価値観みたいなものがより浮き彫りになった気がする。
よし書けた。スーパー行くかあ。

