「アスコーナ、円卓、そして「風」の声:エラノスで聴いた井筒俊彦のコトバ
概要
スイスのアスコーナの「風」に導かれて滞在したエラノス──その場の静けさの中で、井筒俊彦によるいくつかの記述に耳を澄ませながら、「空」や「象徴」について思索を巡らせた。
さらに鈴木大拙、ユング、コルバン、井筒の四者による想像的対話を通して、「コトバ以前のコトバ」についても触れてみた。それは、東西比較哲学の現代的展開にむけたごく小さな試みでもある。
エラノス会議
「風」に誘われてミラノから2時間弱のドライブでスイスのアスコーナに着いて、「風」に導かれるままにエラノスに滞在している。
井筒によれば、エラノスとは「古典ギリシア語で一種独特の「会食」を意味する。幾人かの参加者が、ひとりひとり思い思いに用意した食べ物を持ってきてそれを互いに頒ち合い、食卓を囲んで談笑しあう、いかにもギリシア人好みの高尚で高雅な集会である」[1]。1933年、オランダ系イギリス人女性の神秘家、オルガ・フレーベ・カプタインは、ドイツの宗教史研究家ルドルフ・オットーの提案により、グループを結成。1933年に、マッジョーレ湖の北岸アスコーナ近くのカプタインの私邸でエラノス会議が始まった。以後、1988年までの60年以上にわたって、人間の精神性を中心の問題として異なる知の領域からなる様々な思想家たちが毎年新しいテーマで討議を行なったのだ[2]。
円卓を囲んで
「毎年8月末になると、志を同じくする約10人の学者、思想家――その多くは夫人同伴で――集まってきて、湖面を眼下に見晴るかす大地に据えられた丸い大きな石の食卓が(それをエラノスでは、「円卓」table monde と呼んでいた)を中心に10日間寝食を共にし、その期間中にそれぞれが自分の専門領域で別々に用意してきた研究や思索の成果を特別の会場で披歴する。話の内容はその年その年の共通テーマの範囲をあまり逸脱しない限り絶対自由。講演会場は、「円卓」のある家と同じ並びの湖水の岸辺にあり、聴衆は岸に打ち寄せる波の音をバックミュージックにして後援者の言葉に耳を傾ける」[3]。
井筒俊彦とエラノス
聴衆は、毎年ヨーロッパ諸国から参集する約400人。講演の公式言語は、英独仏の3つ。発表はそのいずれかで行われ、聴衆たちを含め多くが3言語をそして少なくとも2つの言語を自由に理解したという。学者、学生、大学教授はもとより、世界的に有名な原子物理学者、数学者、美学者や画家、音楽家もいた。欧州のかつての迷家の子孫、英伯爵夫人など貴婦人の姿もあって、実に多彩[4]。
日本からの最初の参加者が鈴木大拙(1965年)、井筒俊彦は、その翌年、鈴木とともに講演者として招かれている。井筒は、その後の約15年間、ほとんど毎年、東洋の宗教や哲学についての講演を続けたという。禅のことはもちろんだが、その他に老荘の形而上学、孔子の意味論、ヴェーダーン哲学、華厳、唯識などの存在論・意識論、易の記号論、二程子・朱子に代表される宋学、楚辞のシャマニズム等々[5]。
井筒は「今振り返ってみると、誠に夢のように美しい、しかし私自身の学問形成にとってこの上もなく実りの多い人生の一時期であった」[6]と回顧している
イラン革命(1979年2月)の年に
「3年前の夏、スイスのエラノス学会の食卓で、D・ラウフ教授が、熱っぽい口調で私に吹き込むように言った言葉を、私は時々憶い出す。「われわれ西洋人は、今や、東洋の叡智を、内側から把握しなければんらないんです。まったく新しい知『知』への展開可能性がそこに秘められているんですからね」と。(中略)」[7]
エラノスにはそのときと同じテーブルが、そよぐ風の葉音の下に置かれている。
井筒は続ける。「…西洋人としての主体性を失うことなく、しかも東洋思想の深部にまで潜り込んでそれを内側から、つまり実存化した形で、了解していこうとするラウフ氏のこの態度、私は非常に面白いと思った。西洋人を俟つまでもなく、まずわれわれ東洋人自身が、おのれの哲学的伝統を内側から、主体的実存的に了解し直す努力をしなければならないのではなかろうかと、その言葉を聞きながら私は考えていた」[8]
さらに「それは、東洋のさまざまな思想伝統を、ただ学問的に、文献学的に研究するだけのことではない。…さらにもう一歩進んで、東洋思想の諸伝統をわれわれ自身の意識に内面化し、そこにおのずから成立する東洋哲学の磁場の中から、新しい哲学を世界的コンテクストにおいて生み出していく努力をし始めなけばならない時期に、今、われわれは来ているのではないか、と私は思う」[9]と。
昨日の円卓に話を戻そう
円卓には、座席はなかった。今は空席すら存在しないのだ。しかし、耳を澄ますと、「風」が何やら「空」について議論する声を運んできた。「象徴を通してしか自己を捉えられないし、人間の深層には普遍的な構造=元型がある」とユング。「元型とは神の顕現のかたち。想像界で出会うためにあるのが象徴だ」とコルバン。「君たちは「元型」とか「象徴」とかと仰るが、禅ではそれらを一喝で吹き飛ばすのだよ。空は象徴をも、神をも、言葉をも、ことごとく超えていく沈黙の跳躍」なのだと鈴木大拙。すると、井筒が、「お三方が語っているのはみな、言葉以前のコトバ。「空」とは存在が自己の意味を語り出す以前の沈黙の深み、「存在のゼロポイント」、私にとって「空」は、意味がゼロから生成する爆心地。それは禅の非言語、ユングの象徴、コルバンのイマジナル世界をすべて含みながら、それらの深層で震えている沈黙の声にほかならない」とする。[10]
現代の日本からはますます遠くなるばかりの「オリエント」。その中核にあってますます理解が難しくなっているアラビア語によって降された「コトバ」すなわち聖典クルアーンの世界。深層で震える沈黙の声を「空」の言語から読み解く学問的営為の扉は開かれている。そんな思索を残して、地の塩を降らせるがごとくに「風」が吹き抜けていった。
脚注
[1] 井筒俊彦「「エラノス叢書」の発刊に際して……監修者のことば」『一なるものと多なるものⅠ』エラノス会議編、日本語版監修:井筒俊彦、上田閑照、河合隼雄。(平凡社、1991年8月)、17頁。
[2] 「エラノス会議:ウィキペディア
[3] 井筒俊彦「「エラノス叢書」の発刊に際して……監修者のことば」『一なるものと多なるものⅠ』エラノス会議編、日本語版監修:井筒俊彦、上田閑照、河合隼雄。(平凡社、1991年8月)、17頁以下。
[4][5][6] 井筒俊彦「同上」18頁。
[6] 井筒俊彦「同上」19頁。
[7] 井筒俊彦「後記」『意識と本質』岩波文庫、1991年©、411頁以下。
[8] 井筒俊彦「同上」412頁。
[9] 井筒俊彦「同上」412頁。
[10] 鈴木大拙、ユング、コルバン、井筒の架空円卓談笑をChatGPT4oとの協働で作成編集。
付記
共時的構造化の試み
「「和魂漢才」が、「和魂洋才」になっても日本人の自己の文化の形成のパターンは変わらない。「こういう東西二座標軸的意識をもって「東洋的なるもの」を考えなおし、再評価していく、そこにこそ日本の置かれた現代的世界状況における東洋哲学の意義と問題性とがあると、と私は信じるとも言う。」(414頁)
「現代の日本人のものの考え方は、著しく欧文脈化しているし、まして哲学ともなれば、すでに受けた西洋的学問の薫陶が、それを別に意図しなくとも、われわれの知性の働きを根本的に色付ける。日本語によって存在を秩序付け、日本語特有の意味分節の網目を通して物事を考え、物事を甘受し、日本語的形象の構成する世界を「現実」としてそこに生きるわれわれが、心の底まで完全に欧化されてしまうことはあり得ない。
ということは、要するに、われわれ現代の日本人の実在そのものの中に、意識の表層と深層とを二つの軸として、西洋と東洋が微妙な形で混淆し融合しているということだ。」(414頁)
「エゴ」だけでなく「自我」も含んだ意識の表層と深層を併せ持つ「自己」が読み、書き、表す日本語なのだから。
「しかもことさらに東と西とを比較しなくとも、現代に生きる日本人が、東洋哲学的主題を取り上げて、それを現代的意識の地平において考究しさえすれば、もうそれだけで既に東西思想の出会いが実存的体験の場で生起し、東西的視点の交錯、つまりは一種の東西比較哲学がひとりでに成立してしまうのだ。『意識と本質は』この意味でもまた小さな試作である」(414頁以下)
頁数は、「井筒俊彦『意識と本質』岩波文庫、1991年©」
Special Thanks to 「風」, ERANOS Foundation, & ChatGPT4o
タイトル画像:
エラノスで今も人々の会食を待つ円卓(2025年5月著者写す)
