Summer Sonic 2025 Day2とこれから
今年もサマーソニックの二日目に参加した。今年はラインナップが明らかになるに連れ、以前のサマソニの方が良かったと感じた方も多かったのか、ファンダムが交わることなく整然としている事について、若しくは自身が主体的に音楽に出会っていく事の重要性を書いた去年の記事が突如として読まれるようになった。
しかし、個人的にはかなり満足できるラインナップだった。初めて日本の地を踏むグローバルなトップアーティストが数多く招かれ、世界的にスタンダードになったラテン・ポップを浴びることが出来、KATSEYEやsombrといったこの半年で駆け上がっていったアーティストまで名を連ねていて、2025年という時流を体感できそうだという思いがあったからである。
いざ会場に足を踏み入れると不思議な気分になった。ステージ毎、時間帯毎にステージ上もフロアも空気感がまるで変ってしまうのである。本当にFRUITS ZIPPERとsombrは同じソニックステージで演奏していたのだろうかと思うほどで、全く別の部屋に入っていく様な気分だった。不快感を感じる訳でも優劣が生まれるわけでもない。ただキュレーションを通してアーティストの歴史的背景や現在から見える文脈を紹介するという優れたメディアとしての機能はフェスには最早期待できないのかも感じ、やはり20年代は大きな曲がり角だったんだなと再認識した。新しい出会いより見たいアーティストだけが見たいという欲望、つまりはファンダムこそが駆動させていく世界としては当然の帰結ともいえるし、ストリーミングが整備されて何もかもが聴けるようでいて、一部のアーティストに熱狂が集まる現状とも酷似している。その中で多様な国籍の人達と興奮を共にすることが出来るステージもあり、特にCamila Cabelloのパフォーマンスは自身の出自と北米のポップカルチャーの衝突であり、グローバルなスケールと個人間の親密さを併せ持っていて「POP」という言葉をもう一度再考させられるような瞬間でもあった。
全員がバラバラの言語や文脈で見ている『A Moon Shaped Pool』の世界、部屋が時間ごとに分け隔てなく並置されている世界で、個々人の好みを超えた一つの指標など存在するのだろうか。もし存在するのならそれはリズムでありその音色なのだろう。10年代がハイハットの時代だとすれば20年代は太鼓の時代だというのは一つの共通項に成り得ているだろうし、音源においてもライブにおいても時代性をはっきり浮き彫りにしていたのは結局リズムのフォルムと音色なのではないだろうか。特にスネアの鳴りはあまりにも新しい/古いを判然とさせているように感じ、そこへの目配せが行き届いているかがライブの出来、もしくは2025年の今聴くか/見るかの分水嶺になっていたように思われた。それはフロアの埋まり方とは関係が無く、熱狂に対して毅然として常に鳴っていて、音楽はやはり歴史の積み重ねなのだなということが実感できた。ストリーミング、SNSというプラットフォームが整備され、円安という日本の状況も考えると恐らく25周年イヤーとなる来年も多くの状況の変化はないだろうし(天変地異は除外する)、音とは関係のない情報に振り回されることにもなるのだろう。しかし「今」の音が鳴る限りは音楽を聴き続けることになるだろうなと確信した。「I love it, I love it, I love it, I love itI love it, I love it, I love it」♪
