記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

勝手につぶやき<光る君へ(第42回)>

★雲隠

「光源氏」の物語はとりあえず書き終わって、彰子も成長して、これでいったん一区切り。
定年後に急に老け込む人がいるのは、「自分がすべきこと」「役立つこと」はもうないと思うからなのよな。
いまの私も、すこし似たような無力感がある。
まあ、解放感とないまぜなんだけど。

里に下がるとき書き残した「雲隠」が、最初は「雪隠」に見えた。
それで「離席しているけどトイレだからすぐ戻ります」というメッセージかと思ってしまった。
ずいぶん、丁寧だなぁと。
ちょっと姿が見えないとサボっているとか言われちゃう職場なのかなぁと思い、2回目に見て初めて見間違いに気づいた。


★流される

このまま二人で流されてもいいというのはきっと本心だったと思う。
必死に流されまいと踏ん張ってきた自分を、もうなすがままにしてあげたいという思い。
でも、もし愛のための死というものがあるならば、愛する相手を生かすためのもの。

道長さまが生きていれば私も生きられるという言葉に、堪えきれずに泣く道長に「老い」を感じた。


★書くこと

書かない母上は母上でないみたいと賢子に言われてしまうまひろ。
まひろ自身、書くことで自分の存在価値を保っていたのよな。

道長も自分もいつか死んでしまうのだと感じたことが、宇治十帖を書き始めるきっかけとして描かれている。
自分たちが死んだあとも、この世は続いていくのだ。
自分にとっては終わりだけど、ほかの人にとったら終わりじゃない。
だから物語は続く。

それを紡ぐことに、これまでとは別のモチベーションを得たまひろ。
誰かに頼まれたためじゃなく、誰かに賞賛してほしいからでもない。
「〇〇のせい」とか「〇〇する意義」とかにとらわれず、ただ「書くこと」に向き合う。
そこに共感した。


★行き詰まり

とはいえ、私の中では、このドラマの序盤から中盤が盛り上がったせいか、どんどん「ながら見」になっていっている。
思いのほか、伊周の不在が大きい。
物語上では「悪役」気味に描かれていたが、私にとっては、登場シーンがなくてもドラマの重しのような存在だった。

伊周死後は、多少のアクシデントはあるにせよ、道長やまひろの人生がさらさらと流れるような感触があり、その引っ掛かりのなさに倦んでいる。
まひろの心の機微をモノローグ、起こったことをナレーションで運んでいるのも、シナリオに行き詰まり感を持つ一因かもと思う。
どうしても展開に説明っぽさを感じてしまう。

時代劇好きなんだけど、チャンバラや戦闘シーンは苦手なので、武家の時代じゃない今回の期待値は大きかった。
でも、そのぶん歴史的な「杭」の少ない物語になる。
今年は途中で「平清盛」を全視聴したので、余計にそう感じるのかも。
難しい脚本をどう収めるのか、最終回まで見るつもりではいる。



この記事が参加している募集