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役に立たない知識が欲しい

明日は共通一次、じゃなかった共通テストだということで、天神様にお参りに訪れる受験生や家族の姿がニュースで流れていた。

試験が近づくと、私はいつもワクワクしていた。
試験が好きだったから。
でも、試験勉強は嫌い。
授業で「ここが試験に出ます」と先生が言うと、なぜか興ざめする。

私のノートは、教科書や参考書や資料を自分なりにひとつにまとめたもので、実際の授業には基づいていなかった。
興味のある教科や教材は、前もって楽しんでまとめ、ないものは試験前にイヤイヤやるか、むしろ何も手をつけないかだった。

だから当時「板書」と言った黒板の文字を書き写す(いまはなんて言うのだろうか?)ことはしない。
あれって書き写すのが忙しくて、先生の言葉を聞き取るのがおろそかになるじゃん。
人が発言しているときは、その人を見てしっかり聞き取ることが大事で、ノートに目を落としているのは失礼じゃん。
なおかつ自分で咀嚼する前に、そっくりそのまま他人の文章を書き写すことにどんな意味があるのかと不思議に思っていた。

授業を聞いて書き込むのは「これは余談ですが」とか「ここは試験に出ないので覚えなくていいです」と先生が言ったこと。
だから「ノートを見せて」と言われて拒否はしないけれど、「私のノートは役に立たないよ」と付け加えなければならない。
当時から私は、誰の役にも立たない文章や情報が好きだった。
「役に立つ」と喧伝されると引いてしまう。

高校受験の前、湯島の天神様には友達と行った。
合格祈願は建前で、遊びに行っただけ。
入学枠が50人しかないところに、100人の受験者が全員合格祈願をしたとしたら、天神様はどうやって選別し御利益の配分をするのか、と思っていた。
信仰心どころか身も蓋もない。

大学受験前の高3の冬休みにも、私はひとりで旅に出ていた。
夏休みに、せっかく申し込んだ夏期講習を勝手に解約して旅に出てしまったので、もう母も何も言わなかった。
どこにも合格しなかったら働けばいいのであり、それはそれで家計にとっては助かると思っていたのだろう。

それでも、一応の大義のために、行ったのは防府天満宮を含めた山陽と山陰地方。
でも家内安全しかお願いしなかった気がする。
私にとっては、合格よりも平穏な家庭のほうが優先事項だったのよな。

年越しは津和野のユースホステルで、大学生のホステラーとマージャンをして過ごした。
もちろんお金は賭けていないが、勝った記憶がある。
お寺が運営していたユースだったので、生まれて初めて「鐘撞き」もさせてもらった。
誰も私を受験生だと思わなかったのではないか。

どうしてもどこそこの大学でなければならないというものが私にはなかった。
どこでもいいというわけではないが、どこに行くかより、行って何をやるかのほうが重要だった。
合格はゴールではなくてスタート。
そして、スタートはどこからでもできるというような思い。

だから、能力的に落ちるべきところは落ち、受かるだろうと踏んだところには受かった。
落ちると思ったところも受けたのは、私の我儘というか贅沢の部類である。
受けるということ自体が楽しかった。

しかし、受験当日、私はあろうことか筆箱を忘れた。(え?)
そして、駅に着いたときに混雑を避けるために先に帰りの切符を買ったのだが、お金がギリギリだった。(え?)

そういうマヌケな受験生のために、カウンターが出ていて、文具や飲み物やパンなどを売っていた。
鉛筆1本と消しゴム1個、それと鉛筆を突っ込んでぐるぐる回すと削れるやつを買うと、財布は1円単位しか残らなかった。
あれを思うと、自分の神経を疑いたくなる。
旅に出ても、残金5円で帰宅ということがあった。

いまなら、そういうことのないように前日にしっかり準備をする。
仮に財布を忘れても、定期入れやバッグのポケットに1000円札を仕込んである。
というか、ATMで下せる。

それができなかった時代なのに、お金や持ち物への意識が薄かったのは、やはり若さ(バカさ)ゆえか。
受験を楽しんでいるつもりでも、緊張していたのだろうか。
あのとき以外に、忘れ物をしたことはない、と思う。
落とし物や失くし物もあまりない。
受験のニュースを聞くと、このできごとを思い出す。

50を過ぎて資格を6つ取り、ほかに検定を3つ受けた。
うち、ひとつは落ちたが落胆しない。
試験が好きだからである。
それも、仕事や実生活に役に立たないものほどよい。


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