風呂の湯を落とす
「風呂の湯を落とす」という言葉を聞いて、アナタはどんな光景を思い浮かべるだろうか。(質問しているわけではアリマセンm(__)m)
私は、お風呂に入り終えて、浴槽の栓を抜くことを言う。
日本全国津々浦々、老若男女を問わず、すべての人がそうだとずっと思っていた。
しかし、先日、ある人が浴槽に湯を張ることを「湯を落とす」と言っていてびっくり!
検索してみると、どこかの方言というわけではなく、そういう言い方があると知り、さらに驚いた。
そうか・・・。
昔、蛇口からはお湯が出なかった。
浴槽に張るのは水であり、それを沸かして湯にしたのだ。
落とすというなら「水」である。
しかし、水を落としただけではまだ入れない。
風呂として成立していないのだ。
だが今、多くの家で、蛇口からは湯が出るようになった。
浴槽に直接お湯を「落とせば」、それで風呂が完成する。
この場合の「落とす」は、上から下へのお湯の移動を意味する。
しかし、使用済みのお湯を排出する「落とす」は、移動という現実の動きだけではない感覚がある。
大げさに言えば「厄を落とす」というか、体の汚れや心の穢れ(が、染み出した使用済みのお湯)を流すというような思いがそこにある。
湯に浸かるという行為は、実際の身体の汚れだけでなく、精神的なもの・・・タマシイ?とかココロについた垢を洗い流すという意味を持っている、と思う。
湯を張ることを落とすと言われた日にゃ、さら湯なのに汚れているような気になっちまうじゃないか。
蛇口から、どんな穢れを含んだ湯が「落ちて」きたんだよ、と。
水を張って、それを沸かす風呂は、どんどん少なくなっていくのだろう。
蛇口をひねれば、直接お湯が落ちてくる。
うちは住み始めてからずっと追い炊きができないお風呂なので、30年以上もまさにそれだ。
なのに気になる。
令和以降の世界では、今の相反する意味を持つ「湯を落とす」はひとつに統一されていくかもしれない。
だけど。
言葉に、人の行為や物の動きプラスαの「想い」を込める。
そういう日本語が、私は好き。
