ある高校教師のキャリアコンサルタント挑戦記〈番外編③ 早期アイデンティティ〉
「親の進路」を生きる生徒たち
進路指導※1における「あるある」だが、看護師、教師、消防士といった、いわゆる士業(専門職)を志望する生徒の多くは、高校入学前からその志望を固めている。しかし、その背景を紐解くと、多くの場合で保護者の存在が色濃く浮かび上がる。
時に過干渉とも思えるほど、保護者が生徒のキャリアに介入しているのだ。三者面談の場でも、親ばかりが熱弁を振るい、「一体、これは誰の進路なのだろうか」と、我々教員が困惑することも少なくない。そこにあるのは生徒自身の意志ではなく、「親の進路」を生きる生徒たちの姿である。
そして、こうしたケースの半数近くにおいて、生徒本人にその職業への適性が見受けられないのが現実だ。親子ともども狭い世界観に閉じこもったまま、外の世界に目を向けようとしない。適性を度外視して早期に進路を固定し、自らの選択を疑わず、周囲のアドバイスも聞き入れない。そんな頑固なまでの「親子一体型」の生徒を前に、多くの担任は本音を押し殺し、見て見ぬふりを選んでしまう。
すでに進路を「決定」している生徒の価値観をあえて揺さぶり、否定に近い助言を行うのは、極めて骨の折れる作業だ。ましてや親子の結束が固い場合、一歩間違えれば激しいクレームに発展するリスクも孕んでいる。
結果として、担任が抱く拭いきれない不安や違和感は、教室で解消されることなく、職員室の片隅で同僚と共有されるだけに留まってしまうのである。
「予定アイデンティティ」byマーシャ
こうした生徒を前に、私はいつも言葉にできない歯がゆさを噛みしめてきた。だが、実はこの現象も明確に理論化されていた。恐れ入る。
発達心理学者エリクソンの弟子にあたるジェームス・マーシャは、アイデンティティの形成過程を「危機(悩み、試行錯誤したか)」と「関与(自分なりに決断したか)」の二軸に基づき、4つのアイデンティティ・ステータス※2に分類した。
①「アイデンティティ達成」:悩み抜いた末に、自分の道を自分で決めた状態。自分にとって意味のある危機を経験し、自分の信念に基づいて行動している状態。
②「モラトリアム」:自分とは何か、人生とは、と何かに関与したい気持ちはあるけれど、それが何だかわからないで、今まさに悩み、探している最中の状態。
③「アイデンティティ拡散」:何もしていない、悩みもせず、決めようともしていない状態。自分とは何者なのかわからない状態。
④「予定アイデンティティ」:悩むことなく、周囲の期待や価値観をそのまま自分のものとして受け入れた状態。どんな経験も幼児期以来の信念を補強するだけで融通がきかない。
アイデンティティというと、高校の授業では①~③しか教えないが、実は、④のステータスが存在したのだ。
この状態にある生徒は、自ら悩み、試行錯誤するというプロセス(危機)を一切経ていない。親の期待を内面化し、それを自分の目標だと信じ込んでいる。一見すると真面目で順調、理想的な生徒に見える。しかし、その内面は「本当の自分」が空虚であり、予期せぬ挫折に対して極めて脆い。担任として感じていたあのもやもやとした不安の正体は、まさにこの「空洞」だったのである。
なぜ彼らは「親の進路」を生きるのか。それは、親の期待を裏切ることを極端に恐れ、「〜すべき(Should)」という規範のみを生存戦略としてきたからだ。「親の期待に応える自分」を演じることで、彼らは辛うじて自己肯定感を維持している。そのため、そこを否定されることは、自らの存在基盤が崩壊するほどの恐怖を伴う。だからこそ、彼らは周囲の助言を頑なに拒絶し、与えられた「夢」にしがみつくのだ。
たとえそれが借り物の夢であっても、それを手に入れたという事実こそが、「何者でもない自分」になってしまう恐怖から彼らを解放してくれる唯一の盾なのである。
それゆえ、本人が「このままではいけない」という内発的な危機感を抱かない限り、周囲の働きかけは単なる「攻撃」や「お節介」として処理され、教員は彼らの世界を壊そうとする「敵」と見なされる。
そして、おそらく数年後、親の言葉が通用しない社会の壁にぶつかった時、彼らは初めて自らの空虚さに気づく。ある者は途方に暮れ、ある者は精神を病む。しかし、その時にはもう、かつての担任にできることは何もないのである。
「早期決定論」byロー
では、なぜ彼らはそこまで頑なに「特定の職業」にしがみつくのか。その源流を辿ると、もう一人の理論家、アン・ローの「早期決定論(職業選択に関するパーソナリティ理論)」が、一つの答えを提示してくれる。
ローは、幼少期の保護者の養育態度が、その子の将来の職業選択に決定的な影響を及ぼすと説いた。彼女の理論※3によれば、保護者の態度は大きく「情緒型」「拒否型」「受容型」の3つに分類されるが、今回のケースで注目すべきは、もちろん「情緒型」である。
過干渉な親のもとで育った子どもは、親の顔色を伺い、親の期待を充足させることでしか自分の居場所を確保できない。その結果、職業選択においても「自分の興味」ではなく、「親が喜ぶかどうか」「親が安心するかどうか」という、いわば対人的な報酬を無意識に優先するようになる。
ローの理論の興味深い点は、こうした環境で育った子どもは、人との関わりを重視する「サービス業」や「教育」「医療」といった「人志向」の職業を選びやすいと指摘している点だ。彼らが選ぶ看護師や教師といった仕事は、一見すると献身的で立派な志望動機に彩られている。しかし、その根底にあるのは純粋な職業適性ではなく、「親という最も身近な他者を満足させたい」という切実な欲求の延長線上にすぎない。
つまり、彼らが特定の職業に固執するのは、それが「自分に合っているから」ではなく、それ以外の選択肢を選ぶことが「親との心理的決別」や「見捨てられる恐怖」に直結しているからだ。
「親の進路」から「自分の進路」へ
では、私たち担任にできることは、ただ静観することだけなのだろうか。
今はまだ、彼らは「親の物語」のなかにいる。他者の言葉が届かないほど、その世界は強固で、孤独な場所だ。しかし、いつか彼らが社会の壁にぶつかり、自分の足で立ちすくんだとき、ふと思い出す「違和感」の種をまくことならできるはずだ。
「君自身の心はどう動いている?」という、何気ない、けれど本質的な問いかけ。それはいつか彼らが「自分の物語」を書き換えるときの、大切な道標になるかもしれない。
たとえ今すぐには芽吹かなくとも、彼らがいつか本当の自分に出会うその日を信じて、私たちは粘り強く、その「問い」を投げかけ続けていくしかない。
※0「早期アイデンティティ」とは、マーシャの予定アイデンティティとローの早期決定論を組み合わせた私の造語。
※1ここではキャリア支援という言葉を使わず、あえて学校現場になじみ深い”進路指導”を用いる
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