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さあ、午後半休をポケットに忍ばせて、新しい風景を探しにでかけよう!

自覚ある方向音痴の僕にとって、「迷うこと」は長らく苦痛でしかなかった。
けれど、いくつかの“迷子体験”を経て気づいた。予定調和ではない偶然の出会いや、予期せぬ発見こそが、人生に彩りを加えてくれるのだと。

思い出すのは、学生時代の夏休み。
十年ぶりに家族で訪れた四国の祖父母の家での出来事だ。

翌日用事があった僕は、家族より一足先に帰ることになっていた。

「一人で帰れるんかい?」

僕が小学生だったころの記憶しかない祖父が、心配そうに声をかけてきた。

「もう大学生だからさ、大丈夫だよ」
「そうか、ならええんじゃが」

祖父の家から最寄りの空港までは、山道を下り、便数の少ない路線バスで1時間ほど。
方向音痴を自覚していた僕は、前日にバス停まで下見に行こうとした。
すると祖父が地図を描いてくれた。

新聞チラシの裏に、ペンで滑らかに引かれていく線。
不器用で頑固だった祖父の優しさが、手作りの地図という形でそこに広がっていた。

地図を片手に家を出て、分岐に注意しながら山道を15分ほど下る。
やがて、目的のバス停が見えてきた。

「よし、これで完璧だ!」

僕は安堵した。

そして翌朝、昨日と同じ道を下り始めた──

が、最初の分岐で立ち止まった。
祖父の手作り地図を家に忘れてきてしまったのだ。

一度歩いた道だし、大丈夫だろう。
そう楽観して記憶を頼りに進んだ。
しかしいくら歩いても、バス停が見えてこない。

「……あれ? 間違えたか?」

一つ前の分岐に戻り、別の道を試す。
だが、やはり見つからない。
バスの時間は迫ってくる。
焦りが胸に広がり、僕は走り出した。

分岐点まで走ってはその先を見渡し、次の道へとまた走る。

ハーッハーッと息を切らし、顔を上げたそのとき、畑で作業をしている老人の姿が目に入った。

まるで神様のように見えた。

「どうかしたんかえ?」
汗だくの僕を見て、老人が心配そうに声をかけてくれた。

「バス停に行きたいんですが、道が分からなくなって……」

老人はニヤッと笑って、木陰を指差した。
「バス停なら、ほら」

木陰にひっそり立つバス停の看板が、まるで幻のように揺れていた。

ちょうどその時、遠くからバスのエンジン音が聞こえてきた。
僕は慌ててお礼を言い、全力でバス停へ走った。
必死の形相で走る僕に気づいたのか、バスは待ってくれていた。
運転手さんに感謝を告げ、ようやくバスの座席で深く息をついた。


あの四国の山道での体験をきっかけに、僕は「安全な迷子」の魅力に目覚めた。
試行錯誤の末、最も楽しく“疑似迷子”を味わうための絶好のタイミングも見つけた。
それが、午後半休だ。

あなたが勤め人なら、ぜひとも午後半休を取ってみてほしい。
いわゆる終日の有休ではダメだ。
朝はいつも通り出社する。
日常の一部を維持しながら、非日常へとスライドしていく。
そのバランスが絶妙に面白い。

眩しすぎる午前中は気分が乗らず、夕方以降は気が滅入る。
だからこそ、昼下がりの晴天がベストタイミングなのだ。

僕が愛してやまない“疑似迷子体験”とは、目的もなく、知らない街を歩くこと。

知らない街を歩いてみたい
どこか遠くへ行きたい〜♫
まさに、永六輔のあの歌のように。

「ウォーキングが趣味です!」
と、格好よく言いたい気持ちはある。
しかし、少し違う。
僕が求めているのは、単に歩くことではなく、
「知らない街を歩く」
という非日常的な体験なのだ。

もちろん、本気の迷子はごめんだ。
そこでだから僕が編み出した秘技、それが「地下鉄を使う」こと。

山手線の内側の、適当な地下鉄駅で降りる。
地上に出た瞬間、視界は“新天地”になる。
地上を電車が走っている駅で降りても、線路が見えていると何となく方向と場所が分かってしまう。
その点地下鉄だと地上の空気を吸った瞬間、新天地に降り立った気分になる。

午前中まで会議室で資料と向き合っていた自分が、ほんの数時間後には見知らぬ裏路地を歩いている。
さっきまでのスーツ姿の自分と、今の自分が同一人物とは思えない。

目的地は決めない。
気の向くままに歩き出す。
たまに知っている街に出ることもあるが、一本裏道に入れば、すぐに知らない風景が広がる。

僕のような方向音痴には、この“見知らぬ土地”感覚がたまらない。
けれどここは東京、山手線の内側だ。
どんなに迷っても、いずれどこかの駅にたどり着く。
最悪、地図アプリを使えばいい。

ただし、地図アプリを片手にキョロキョロと周囲を見回しながら歩いていると、場所によっては職務質問を受ける羽目になるので注意が必要だ。

「もしもし、どちらへ行かれるんですか?」

ある日、午後半休で“疑似迷子体験”を楽しんでいたら、警官に声をかけられた。

「……特に決めてないんですが」

「決めてない?」

警察官の視線が、僕の足元から頭の先までをゆっくりと這い上がり目が合う。

「はあ、適当に歩き回っているだけで……」

一瞬、頭の中で
「ちょっと署まで」
という言葉がよぎった。

けれど警官は、どこか諦めたような表情で
「まっ、頑張って」
と見送ってくれた。

迷子は楽しい。
ただし、“安全な”疑似迷子体験に限る。

午後半休を使えば、日常の一部を保ちながら、非日常へ足を踏み入れることができる。
朝は会社のデスクに座り、午後は知らない街角で胸を躍らせる。
この贅沢を一日に凝縮できる体験。

それこそが、疑似迷子体験の真髄なのだ。

さあ、出かけよう!

日常という安全圏から一歩だけはみ出して、危険ではない冒険へ。

午後半休をポケットに忍ばせて、新しい風景を探しに。


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