Claude×note。作られた大量の記事に奪われるくらいなら。
最近よく見かけるClaude×note勢について。
恋愛。
副業。
SNS運用。
自己啓発。
転職。
お金の知識。
そういうテーマの記事を大量に作って、検索やおすすめに引っかけて読者を集める。
たぶん仕組みとしてはかなり合理的なんよね。
需要があるテーマを探す。
AIで記事を書く。
数を出す。
当たるものを見つける。
ビジネスとして考えたら正しいと思う。
実際、それで結果を出してる人もおる。
だから否定するつもりは全くない。
むしろ、自分も羨ましいなって思った。
だってさ。
記事をAIなら楽して早く大量に作れるんやろ?
「もしかして自分もそっちに行った方がいいんかな」
って、本気で考えた。
最近の自分は、Xを伸ばしたいと思っとるし、noteも売りたいと思っとる。
だからこそ、
結果が出ている人を見ると気になる。
気にならん方がおかしい。
でも、しばらく考えて気付いたことがあった。
それは、
自分の記事って何なんやろう。
ってこと。
自分は何を書いてるんやろう。
過去の記事を見返してみた。
頭がいいとか正味どーでもいい。
優しい人ほど損をする世界なんて。
人間関係で救われた考え方。
研修医の先生たちを見て思ったこと。
などなど。
並べてみて気付いた。
これ、情報発信じゃないんよね。
自分の中で考えたことなんよ。
『あたまのうち』という名前の通り、
頭の中で起きたことを書いてるだけやった。
Claude×note勢を見ていて感じた違和感の正体。
たぶん同じnoteをやってるように見えて、
やってる競技が違う。
向こうは需要を探して記事を書く。
自分は伝えたいことを記事にする。
どっちが正しいとかじゃない。
本当に違う競技なんやと思う。
マラソンと水泳を比べても意味がないみたいに。
最近、SNSをやっていて思うことがある。
情報はどんどん価値が下がっていく。
AIが答えてくれる。
検索すれば出てくる。
動画でも見れる。
昔は情報を知ってる人に価値があった。
でも今は違う。
誰でも知れる。
だからこそ、
「誰が言うか」
の価値が上がってる気がする。
同じ内容でも、
好きな人が言うと聞いてしまう。
信頼してる人が言うと納得してしまう。
結局、人は情報だけで動いてるわけじゃないんよね。
人についていく。
だから最近思う。
自分が本当に育てたいのは記事数じゃない。
人格なんやと思う。
もちろん記事は書く。
でも、記事を書くために生きるんじゃなくて、
生きた結果として記事を書く。
その順番を間違えたくない。
もしAIで毎日20本の記事を書いたらどうなるやろう。
アクセスは増えるかもしれん。
収益も増えるかもしれん。
でも、
「あたまのうち」が消えてしまったら意味がない。
読者が読みに来てくれてるのは、
情報のためなんかな。
たぶん違う。
自分も他の発信者を見る時、
情報だけを見てるわけじゃない。
その人がどう考えてるか。
どういう価値観を持ってるか。
そこを見てる。
だからフォローする。
だから読み続ける。
AIがどれだけ進化しても、
その人の人生までは再現できん。
失敗した経験。
悩んだ夜。
人に言われて嬉しかった言葉。
傷ついた出来事。
そこから生まれる考え方。
それは本人にしか書けん。
むしろAIが発達するほど、
そういう部分の価値は上がる気がする。
みんなが綺麗な文章を書ける時代になったら、
最後に残るのは綺麗さじゃない。
その人らしさなんやと思う。
だから今の自分の結論は、
AIは使う。
便利やし。
めちゃくちゃ助かる。
でも、
最初の「考える」は自分でやる。
悩むのも自分。
感じるのも自分。
伝えたいと思うのも自分。
その上でAIに磨いてもらう。
それが今の自分には一番合っとる気がする。
もしかしたら遠回りかもしれん。
もっと効率のいい方法もあるかもしれん。
でも、
効率よく誰かになるより、
時間がかかっても自分になる方がいい。
少なくとも今はそう思っとる。
Claude×note勢を見ていて、
最終的に自分が辿り着いた答えは意外とシンプルやった。
AIに勝とうとしなくていい。
AIに全部任せる必要もない。
自分にしか書けんことを書けばいい。
