結局、人は隣の芝を見て生きている。
最近、「もっちゅりん」が流行っとるらしい。
どこに行っても売り切れ。
SNSには「やっと買えた!」って投稿が並ぶ。
「めじるしチャーム」もすごいみたい。
カプセルトイを何軒も探し回ったり、
欲しい種類が出るまで回したり。
正直、自分は思った。
「そんなに欲しいんかな。」
でも、そのあと気づいた。
たぶん、欲しいのは"物"じゃない。
「みんなが持っとるものを、自分も持ちたい。」
その気持ちなんやろなって。
人は、思っとる以上に隣の芝を見て生きとる。
誰かが楽しそうなら、
自分も欲しくなる。
誰かが成功しとったら、
自分も焦る。
誰かが褒められとったら、
なんとなく自分が置いていかれた気がする。
SNSなんて、その繰り返しや。
自分の人生を見とるつもりで、
気づけば誰かの人生ばっかり見とる。
自分も同じ。
noteのスキ数を見てしまう。
フォロワーを見てしまう。
伸びとる人を見る。
「なんでこの人はこんなに読まれるんやろ。」
そんなことを考えとる時間は、
たぶん誰にでもある。
だから、
流行を追いかける人を笑うことはできん。
結局、自分も別の形で誰かを見とるから。
でも。
隣の芝は、
たしかに青く見える。
でも、それは遠くから見とるからや。
その人にも悩みはある。
その人にも焦りはある。
その人にも「隣の芝」がある。
青く見えとるのは、自分だけなんかもしれん。
もし、ずっと隣ばかり見とったら。
自分の庭は育たん。
水をやる暇もない。
雑草が生えても気づかん。
それでもまた、
誰かの庭を見て「いいなぁ」と思う。
そんな人生は、少しもったいない気がする。
もっちゅりんも、めじるしチャームも、欲しいなら買えばいい。
流行を楽しむことは悪いことじゃない。
でも、
「本当に欲しいから欲しい」のか。
「みんなが持っとるから欲しい」のか。
一回だけ立ち止まって考えてみてもいい。
その答えは、
案外、自分でも知らんかったりする。
人は隣の芝を見て生きている。
たぶん、それは一生変わらん。
でも、
たまには自分の足元を見てみる。
昨日より少しだけ伸びた芝があるかもしれん。
誰にも気づかれんくても、
その芝は、
ちゃんと自分の人生なんやけん。
