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勝手に期待して、勝手にがっかりしていた。──ギバーの心の置きどころ

「ここまでやってきたのに、辞めるのか……」

ある日、上司がぽつりと漏らしたひとことが耳に残った。その言葉には、見返りを求めていたというよりも、「こう返ってくると思っていた」「このくらいの反応はあると信じていた」そんな“期待していたリアクション”が裏切られた、やるせなさが滲んでいた。

もちろん、上司の気持ちも分かる。
だけど部下にも部下の人生がある。
感謝されるべきことでも、
「ありがとう」と返される保証はどこにもない。

そう。
人は、たとえ「やりたくてやったこと」でも、
どこかで“無意識の期待”を織り交ぜてしまう。
それが、自分の感情の揺らぎに繋がっていく。



誰よりも頑張った、大切な日のはずだった。

先日、子どもの誕生日会を開いた。
私にとっては、1年の中でも特別な日。

1ヶ月以上かけて飾りつけを考え、
ケーキやごちそう、夏祭りのような催しも用意した。
夜な夜な作業を重ねて、仕事の合間にも想像を膨らませた。

「これを見たとき、どんな顔をするだろう」
「喜んでくれるかな」
「記憶に残る1日になるといいな」──。

こどもの笑顔だけを思い浮かべて、楽しい時間

その時間は苦ではなかった。
むしろ、子どもの表情を想像するだけで、
胸が熱くなるほどだった。

けれど、当日。
本人は飾り付けをひと通り見たあと、
「ゲームしたい」「アニメ観たい」と言って、
いつもの休日のように過ごしはじめた。

「嬉しい!ありがとう!」
──そんなリアクションは、なかった。

私は、がっかりしてしまった。
思っていた“反応”が、返ってこなかったからだ。


感情に、方程式は通用しない。

私は、仕事の現場では人に何かを与えるとき、「相手の反応が全てじゃない」「自分が納得できる形で与えるのが大切」そう思いながらやってきた。

育成や支援の場面でも、
「ここまでやっても、期待しすぎてはいけない」
そういう“心の納めどころ”を、自分なりに見つけてきたつもりだった。

なのに、
こと自分の子どもとなると、
その方程式はまるで通じなかった。

万能な期待の方程式があったら、らくになるのか

私は、やりたくてやっていた。
だけど、どこかで
「このくらい喜んでくれるだろう」
「これなら伝わるだろう」と、期待していた。

それが、思ったほど伝わらなかったとき──
心の底に、やるせなさが生まれた。


子どもに、申し訳ない気持ちが残った。

夜、子どもが私の様子を察したのだろう。
ぽつんと、
「今日、誕生日会、たのしかったよ。ありがとう」
と、言ってくれた。

その言葉を聞いて、私はうれしい気持ちよりも、
申し訳なさでいっぱいになった。

もしかすると私は、
自分の中の小さな“がっかり”を、
無意識に伝えてしまっていたのかもしれない。

その言葉は、
心からの感謝というよりも、
「ママががっかりしないように」という、
優しさだったのかもしれない。

1年で一番主役の日に、こどもに気を使わせてしまった情けなさ

私がやっていたのは「純粋なギブ」だったのか。

子どもが眠そうにしているのを見て、
私は、心のどこかで苛立っていた。
「ここまでしたのに」「食べずに、寝てしまうのか」
──そんな気持ちが顔に出ていたのかもしれない。

でも、そもそもこれは、私が勝手にやったこと。
頼まれたわけではない。
自分がしたくて、楽しくて、
この子のためにと思って準備したことだったはず。

にもかかわらず、
“こんなリアクションを返してくれるだろう”という期待が、
無意識にスパイスのように混ざっていた。

学校で頑張った子供に、もっと違った声をかけてあげてたら。

無意識の「期待というスパイス」は、重くなる。

相手を思いやっているつもりだった。
でも、その中に小さく混ざっていた“無意識の期待”が、
結果的に子どもに余計な気遣いや、
言葉にならない罪悪感を背負わせてしまったかもしれない。

そう思うと、今日は、私の“後悔の日”でもある。


頑張りすぎているときこそ、気をつけよう。

人のために何かをしているとき。
誰かを喜ばせたいと思っているとき。
そこに無意識の期待というスパイスが入っていないか、
私は、ちゃんと気づける人でいたい。

たとえ、どんなに相手のためを思っていたとしても──
“どんな反応を返してほしい”という気持ちは、
時に、相手に重さを与えてしまう。

だから私は、
頑張りすぎているときこそ、
「そこに、期待というスパイスは入っていないか?」と、
自分に問い直したい。

それが、ギバーである私の、
新しい“心の置きどころ”なのかもしれない。


たぶん、「誰かのためを思う」って、
こういう期待や揺れも含めて、
人としての営みなんだと思います。

私がそれでも、誰かに“何か”を届けたいと思いながら
続けていることがあります。

それが、coco greenという活動です。

ここでは、
「またやってみたい」
そんな気持ちがもう一度芽生えるような、
**“心地よい暮らしのきっかけ”**を届けています。

贈りものだったり、
植物との対話だったり、
手を動かすちいさなクラフトだったり。

どれも、
“相手の自由をそっと尊重するようなやさしさ”が、
暮らしのなかで静かに循環していくようにと願いながら、
ひとつひとつ、心を込めてつくっています。

もし、少しでも気になったら、
のぞいてもらえるとうれしいです。

→ coco greenのBASEはこちら

あなたや、大切な人の暮らしの中に、
ほんのすこしの“ほっとする余白”を。

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