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東京では、景色を通り抜けていた

東京へ行くと、歩く速度が変わる。

乗り換えの案内を見て、
人の流れを確認して、
次の予定を考える。

昔は、その速度が好きだった。

無駄なく動ける感じがして、
ちょっと気持ちいい。

でも最近は、東京や大阪から戻ってくると、
自分がかなり速い速度で歩いていたことに気づく。

三原では、そこまで急いで歩くことがあまりない。

フェリーを待つ時間もあるし、
電車も数分おきには来ない。

だからなのか、移動そのものが少し違う。

目的地に向かうというより、
途中の景色ごと移動している感じがある。

前に読んだ記事に、
「町を持ち歩く人」という表現があった。

人は、住んでいる場所だけじゃなく、
そこで過ごした時間の感覚を身体に残したまま移動しているのかもしれない。

東京にいた数日間。

景色はたくさん見ていたはずなのに、
思い返すと「情報」として受け取っていたものの方が多い。

乗り換え案内。

出口番号。

最短ルート。

見ていたはずの景色よりも、
次にどこへ向かうかを考えていた時間の方が長かった。

東京では、景色を見るというより、
景色を通り抜けていたのかもしれない。

逆に、三原でフェリーを待ちながら見ていた海の色や、
夕方の空の感じは、なぜか今でも残っている。

たぶん、景色そのものが特別だったわけではない。

その景色を見るための時間が、
ちゃんとそこにあったのだと思う。

便利かどうかだけでは、残らない景色がある。

東京へ行くたびに、最近はそんなことを考えるようになった。

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