講座の不成立と、放送大学の面接授業「人間の創造性を揺るがす最新AI」、プラス小説現代新人賞のこと
(今日の記事は、上に記載の、いつもの自分のAmebaブログからの転載がメインです。)
最初に、僕の神戸市・甲南山手カルチャーセンターの報告からします。
6/20に予定していた体験会は、人数不足から中止になりました。
ネットから申し込んだ方もおられて、非常に申し訳ない結果で残念です。
ひとえに、僕のネームバリュー不足のせいですので、ご容赦ください。
おそらく7月の本講座も、まだ確定しておりませんが、同じ結果になると思います。
紙資料もパワーポイントで提示するデジタル資料も準備完成してますのに、残念です。_| ̄|○
さて、前回に記事をアップしてからの1週間の間に、それ以外にも実にさまざまなことがありました。
*放送大学ライブweb面接授業「人間の創造性を揺るがす最新AI」
先週の土日6/13・14に、放送大学・ライブweb面接授業「人間の創造性を揺るがす最新AI」(講師:香川大学教授の喜田 弘司先生)を受講しました。
授業がとにかく素晴らしかったです。
喜田先生の、数式が苦手な文系人にも配慮した、授業展開がわかりやすく、かつ飽きさせない楽しさがあって、
おそらく、受講生の大半が喜田ファンになっただろうことは想像に難くありません。
Zoomのコメント欄を多用した、双方向・相互意見対応型授業の形式だったのですが、
最後のシーンでは、発展編・続編を望む声が多く、僕もそう要望を書きこみました。
ChatGPTや、GeminiやらのAIの根本原理と、そこから派生する問題点をあらゆる角度からお教えいただいたので、
単純に「使う」「使われる」の関係でないAIへの向き合い方がよくわかりました。
もちろん、それを期待して、この授業を受けたのですが、想像を遥かに超えた深い理解ができ、大成功でした。
まあ、僕は第1世代オタクで、パソコン・Windows系は自作する派(最近は全然しておりません)なので、
そこからのユーザーインタフェース(テキストコマンドや、GUIなど)からの繋がりの歴史も教えていただき、
自分が持つ、それらの既存の知識と融合できました。
例えば、以下のようなメモをとっております。
’40-50年代……0と1の機械語
→
’60-70年代……コマンド入力・CUIの登場
→
’80年代……GUI革命
→
’00年代……スマートフォンの衝撃
→
’20年代……LLMと言葉の復権。
特に、AIにとっての根幹の機械化学習における、学習データとしてのビッグデータ、LLM(large language model)の光と影、
その欠陥と危険性の原理がよくわかったのは、大きかったです。
中身が数学的な数Ⅲ的な計算は横に置いて、深く理解できました。
実は、僕は高校時代、数学研究部(今でいうコンピューター部)でもあったので、紙のコンピューターも経験済みです。笑
次回、喜田先生の授業があったら、先生のスタンス(一方的な座学に興味がない)からして、おそらく100%、ライブWEBで、
香川県へ出向かなくても良さそうなので、第1優先で受講したいと思います。
(いや、香川県なら、神戸から充分、遠征宿泊の範囲内なので、いつでも学習センターへも赴きますが。
四国は、高知県だけが別格で、他の3県は充分、僕の勢力範囲(こらこら)ですから)
これで、いよいよ、放送大学の、この第1学期の面接授業シリーズは、来々週の滋賀学習センターの「平安時代の歴史と文化」で終了となります。
最先端の理系の話から、急転直下、1,000年前の古典の話です。
我ながら、興味の範囲がバラバラで、呆れます。
’24年第1学期から、面接授業メインにしてきましたが、通常3-4個(多く希望しても落選するので)で、4期はずっと推移してきたのに、
この’26年第1学期は放送授業1つ(2単位)+面接授業6つ(6単位)は欲張りすぎでした。
当初の予想では、2つほど落選する予定でしたからね。
次回、第2学期は、最大5つ(2科目同一日なので、申請は6つ)当選になりますが、できるだけ月1個になるよう努めております。
北海道スクーリング以外は、神様へは望みをかけておりませんが、どうなるんでしょうね。
*毎日文化センター講座のこと&小説現代新人賞
6/16は、毎月第3火曜日に受講している講座「名作文学を読む」(講師:奥憲介先生)の第三回でした。
冒頭のAmebaブログの引用記事にも詳細を書きましたが、教材は「山本周五郎『さぶ』」の講義でした。
その時の僕は、まだ6/20の、自分が講師をする文章表現講座の、甲南山手カルチャーセンターの体験会・教室の資料作りで、頭がいっぱいでしたので、どこか、気もそぞろでした。
読んでいて印象的に思ったのは、周五郎の『さぶ』は、その冒頭ではシーンがずっと人物会話が主体だったこと。
会話が地の文・描写を誘導し、時には逆に、地の文・描写が会話を誘導する書き方でした。
(藤沢周平も同じ書き方だったような)n
対して、僕は常に主人公のモノローグ主体、地の文主体だったんです。
自分では全く気づいていなかったけれど、会話が付け足しになっていた。
あれだけワークショップでは、何年も会話での、〈物語キャッチボール〉を受講生にはして見せてたのに。
その自分への波及効果の不足をわかっていなかった。
だからこそ自分ファーストに陥ってしまっていた気もする。
この【周五郎流の誘導の文体・構成】を常に意識して、しばらくシーンそのものを構成して、書いてみたら面白い気がしました。
そのリーダビリティの凄さも体感的にきちんと身につく予感もある。
ここで、話題がずれますが、
実は、7/31締切のエンタメ系の新人賞に、講談社の小説現代新人賞があるんです。
過去に、そこへ出そうと書き始めたことが何度もあるんですが、
その前の6月が締切の他の文学賞もあって、無理でした。
じゃあ、7月は、というと、
7月は仕事が立て込んで、結構バタバタしていて、
気がつくと、下旬になってしまう。
結果、書きかけの作品は時間切れで、他の文学賞へ回してました。
ですから、「小説現代」というフォルダはあって、結構作品数は溜まっているのに、
まだ一度も応募しておりません。笑
何よりも、応募できない理由が、ここは、新作以外は受け付けず、書き直しは不可なんですよ。
さて、この6月は何度かここでも書いているように、放送大学の面接授業の月間になっていて、バタバタです。
新作で書く小説つの構想はまとまったんですが、なかなか書き出せないで数日。
ああ、いつもの書き出す勇気が持てないパターンじゃん、と6/19の、昨日の朝、思い始めていたら。
ふと、その過去の「小説現代」ネームのフォルダで、書式を確認して、30字40行フォーマットと気づいた。
で、過去作に別ネームをつけて、全文削除する。
そこで、ふと、先ほどの奥憲介先生の毎日文化センターで講義を受けた、山本周五郎『さぶ』を読んで気づいた周五郎の書き方を思い出したんです。
なんとなく、(僕の小説の舞台は令和ですが)周五郎なら、この設定でこう書くか、と『さぶ』を思い出しまう。
すると、
するすると書いてしまう。
奇跡だ。草www
あれっ、1枚目の始まりになっている。
げっ、と思わず声が出てしまう。
内容や文体の縛りを捨てて、それこそ山本周五郎ばりに、会話と地の文ワープで書く文体、
つまり、文体に凝らない、江戸の町に吹く朝風のような、片意地はらないニュートラルな文体、
それでいいのなら、と書いてしまった。
(なんだか、あまりの奇跡に現実感がなく、はるか過去のことだと感じますが、昨日のことなんですね。びっくり)
この、現実を模した、日常を描くのなら、
それこそ、このnoteの記事や、毎日書いている、ブログと同じ書き方になるから、
リアルタイムで臨場感たっぷりに、いくらでも書けそうだ。
(シンクロニシティ的には、周五郎を勉強した伏線をここで回収したことになるか)
小説現代の指定フォーマットだと、原稿用紙で249枚以上でもなる大作になる。
けど、ライトな文体で、でも周五郎ばりに描いて、
それが話すように書くことなら、経験上、1ヶ月と10日で書けない枚数ではないか。
この小説現代新人賞は、それにぴったりだ。
さて、明日は自分が所属している、京都芸術大学・文芸サークルgrafの読書会なんですよ。
課題図書は、大江健三郎『万延元年のフットボール』。
濃厚な感覚文体は、いかにも大江健三郎で、山本周五郎とは真逆の文体。
リーダービリティなど端から無視している。www
対して、毎日文化センターの次の7月指定図書が山本周五郎『柳橋物語』だったりします。
でも、冒頭の、自分の講座が不成立の根本原因を糺すには、新人賞を獲るしかない。
その為には、逃げずにダメ作品でもコツコツと書き継ぐしか方法はない。
どうしましょう。
