巨人

もう何十年も前の話だ。
季節はちょうど今くらい。
桜の花が満開だったと思う。
ぼくは古くからの友人であるYと市内にある桜の名所に車で乗り付け、夜桜見物というにはいささか遅い時間ではあったが、車のリアハッチを開けてそこに座り、もう時効だろうから白状するがビールを飲みながら桜を楽しんでいた。
時刻は午前0時前後だっただろう。
降っているかどうか分からない霧のような雨が降っていた。
ふとお互いの馬鹿話が尽きて黙り込んだ時だった。
Yがしきりに目線を先に送っているのに気がついた。
どうした?
「ん?いや、なんでもない」
そう言って彼はビールをごくりと飲んだ。
夜のしじまに、その音はぼくにもよく聞こえた。
ぼくは新しい缶を取り出して彼に渡そうとした。
その時に見た彼の表情はひどく強張っていた。
何だよ?どうした?気分悪い?
「いや、違うんだよ。うーん...」
彼はそう唸ると、また視線を前に送って何かを見つめたまま黙った。
ぼくはその視線を追った。
ぼくらの車は小さな川沿いに植えられている桜並木の脇に停車していて、彼の視線の先はその並木が続いている。
街路灯に照らされた桜は青白く輝いて幻想的ですらあった。
彼の視線はその先にあった。
「わかる?」
ん?
何が?
「いや、人いるだろ?」
んん?
ぼくは目を凝らす。
言われてみれば遥か彼方の並木が切れるくらいの所に人が歩いていた。
距離にして100mくらいは先だろうか。
街路灯に照らされているが、人ということしか分からない。服装は黒っぽいという事くらいだ。
うん、いるね
「あの人さ」
うん
「さっきから全然動かないんだわ」
ん?だって歩いてんじゃん
と言いかけて、いや待てよと思う。
たしかに歩くような動きをしているが、その場から動いてないのだ。
雨なのに傘もささず、ただ同じ場所で足踏みをしている感じだ。
「それにさ」
うん
「何か大きさおかしくない?」
大きさ?
「背の高さ」
彼は目線を逸らさず遠方を見つめたまま言う。
ぼくももう一度そちらに目をやる。
え?
ぼくも気がついた。
桜並木といっても植樹されたものだから、木の大きさは大体どれもほとんど同じ大きさだ。
つまりすぐ目の前にある木と視線の先の木の大きさは、だいたい同じなのだ。
だからその木の大きさと比較すれば、その人と思しき物の大きさも分かる。
自分たちの横にある木の大きさから推測するに3mくらいある事が推測できた。
デカいよね?
「そうなんだよ」
ぼくらはしばらくそれを見ていた。
相変わらず足踏みするだけで前にも後ろにも行かない。

ぼくはぞっとして(もう行こう)と彼を促して車を出した。
発進させてもバックミラーを見る勇気がわかなかった。
