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藍の染みた指

4年前の4/24は諸用で名古屋に行ったようだ。
SNSの「思い出」というのが教えてくれた。

慌ただしい滞在だったが少し時間を見つけて懐かしい名城公園に訪れた。
藤棚の藤が盛りであった。
とてもいい匂いが辺りに漂っていた。

名城公園は最近また新しい施設ができたりと、ずいぶん様変わりしたようだが、その近隣に住んでいた頃だけでも2度ほど様子を変えている。
小学校に入るくらいの頃に、ただの原っぱだった公園は整備されてスポーツ会館などの施設ができ、しばらくしてからレンタルサイクルなんかができるように外周路が整備された。
それから1989年に開催された「世界デザイン博」で会場の一つになり、さらに都市公園らしい風体を整えていった。
その頃にぼくら一家はこの住み慣れた土地を離れている。引っ越しの時は近所のおばちゃんが号泣していたのを覚えている。

名城公園にて

ぼくの祖父は染色工であった。
名古屋城の堀の北側に工場があって、そこへ自転車で通っていた。
普通に漕いで10分ほどか。
雨の日は雨ガッパを着て、毎日母が用意した保温ジャーに入った弁当を持って行っていた。

祖父とぼく

祖父の生まれは岐阜の竹鼻という所だ。
ちょっと名古屋からは行きにくいところで、名鉄で笠松というところに出て竹鼻線に乗り換えなくてはならない。
祖父の弟妹がその辺りに住んでいて、ぼくも何度か行っている。
果てしなく田園風景が続く大変に長閑な場所である。

戦前には「下駄屋」だったと聞いた。
商店街であったから不思議ではなかった。
靴ではなく下駄というのが戦前らしい。
あまり弁の立つ印象ではないから商売には不向きな気もするが、当時祖父は20代から30代であったはずだから、ぼくの知る祖父とは違っていたのかも知れない。
従軍しているが、兵站に属したようで前線に出たことはなかったらしい。

ぼくが子どもの頃の堀は今のような柵もなく、日曜の朝ともなれば太公望が挙って釣り糸をたれるようなところだった。
祖父は釣り好きな人で、寝ぼけ眼のぼくを引きずっては、ここへ釣りに来た。
釣果は、たまに鮒が釣れるくらいのものだったが、それでも存外に楽しかった記憶がある。

久しぶりに堀の向こうに沈む夕陽を見ていた。
藍の染みた爪のゴツい指先で、針に餌をつけてくれた祖父の姿を思い出す。

明治生まれ。
ぼくと同じ丙午。
生きていれば来年で120歳になる。

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