知力を上げる方法

個人でRPGのゲーム制作をするにあたって、キャラクターの成長に関するゲームデザインを真剣に考えなければいけなくなった。ゲームデザインの調整に使えそうな情報を整理するために、自分の過去を振り返りながら人間の成長について考えてみたのだが、この情報が誰かの役に立つ可能性を考慮して、一応記事にしておこうと思う。


この記事のテーマ

この記事で取り扱うテーマは以下の通り。

  • 人間の成長とは何なのか

  • 知力について

    • 知力の定義

    • 知力の根源は何か

    • 知力がほとんどの問題を解決する理由

    • 知力の上げ方

    • 頭の回転の速さは必要なのか

これらのテーマに関する主張を補強するために、自分の過去についてのざっくりとした振り返りを先に行い、その後に各テーマの考察に移る。

ちなみに、過去の振り返りはそこそこ長くなるので、適宜飛ばしてもらって問題ない。

筆者の過去

幼少期

私の幼少期は正直あまり覚えてない。後述すると思うが、高校から大学入試にかけての挫折を境に、私の人間性は大幅に変わったので、それ以前の自分の思考回路を振り返っても理解できず、本当に記憶が正しいのか自信が持てない。あるいは、幼い頃の自分が嫌い過ぎて、記憶から消し去ろうとしているのかもしれない。

覚えているのは、数字や算数、理科は異常に好きで、数学パズルや小学生でも解ける難しい算数の問題集、Newtonのような科学雑誌を読むのが好きだったこと。勉強は授業を真面目に聞くこと以外はほぼせず、怒られない程度に宿題をさぼり、1人でRPGゲームをするのが日課だったこと。水泳やテニス、ピアノを習っていて、運動神経や音楽のセンスのようなものがある程度良かったことくらいである。

中学生

中学生時代は本当に良い思い出がないが、勉強はそれなりにできた。授業を真面目に聞いてさえいれば、あとは感覚だけで問題が解けるので、自分で勉強をする習慣は相変わらずついていなかった。定期テストは8割前後を安定して取れ、実力テストでは数学で学年1位、理科も安定して上位を取るなどしていたので、勉強をする必要性を全く感じなかったのである。

塾に行く生徒が周りに多かったが、塾に行くメリットを当時全く理解できていなかった。勉強せずとも良い点を取れるのに、なぜ塾に行って自分といい勝負か、それ以下の点数しか取れない人が多いのか。これが、塾は無価値な施設なんだと思うきっかけになり、後の挫折の要因の1つとなる。

理系科目が相変わらず好きだったため、高校は普通科ではなく、授業でたくさん実験できる理系の学科にした。先生からの私の評価は(宿題をさぼっていたにもかかわらず)なぜか高く、それにより内申点も高かったため、勉強せずとも受かるほどほどの理系の高校を選んだ。過去問すら1年分しか解かずに本番を迎え、特に苦労なく高校に進学した。

高校生

勉強に困り始めたのは高校に進学してからである。今だから原因がわかるが、これまで感覚だけでも解ける程度の問題しか作成できない程度に簡単な学習内容だったところが、ある程度高度なことを学ぶようになり、感覚だけでは解けない問題が増えてきたのである。自分の能力に対する自信がなくなるきっかけの1つとなった。

高校の部活で、あえて自分がやってこなかったスポーツ(ハンドボール)を選んだことも、自分の能力に対する自信がなくなった要因の1つだった。遺伝のせいか筋力が全然つかない体質であるにもかかわらず、ハンドボールはかなり激しいスポーツで、フィジカルを求められる。私では明らかに筋力不足であったため、最後まで活躍する機会はほぼなかった。

また、ハンドボールは戦術の理解が非常に難しいスポーツでもある。どういう盤面になれば有利状況と言えるのか。その有利状況を作るためにどういう動きをすればよいのか。その動きはなぜ有効なのか。どういう読み合いがあるのか。私には、部活引退の時ですら全く理解できなかった。(正確に言うと、どういう読み合いになるか…などを論理的に思考できる段階にすら立てていなかった)

そして、さらに大きな壁にぶち当たることになる。自分で勉強しようとしても、どう勉強すればよいのか分からないのである。

まともな勉強の方法も分からないままもがき苦しみ、かといって中学生の頃の経験から塾や予備校に行く気も起きず、解決策を見出せなかった。自分の学力の理想と現実がかけ離れていき、高校卒業後、宅浪という名の引きこもり時代に入った。

大学入学まで

引きこもりは2年続いた。自分なりにいろいろもがいたが、結局勉強はほとんどせず、何も変わらないまま2年が過ぎた。この自分の不甲斐なさが、変に強かった自分のプライドをぶち壊し、予備校で勉強の正しいやり方から学ぼうという決心に繋がった。

そして狙い通り、予備校の先生は、最初の授業で勉強のやり方から教えてくれたのである。勉強のやり方で記憶に残っているのは以下の3つ。

  • 基礎を学んで物事の理屈を知り、その基礎「だけ」を元に問題を解くこと

  • 問題が解けなかったら、なぜ解けなかったか必ず分析すること

  • ほとんどの応用問題は基礎を理解してさえいれば解けるから、とにかく基礎を固めることに集中すること

本当に当たり前のことしか書いてないが、当時はこれを理解できていなかった。なるほどと思い勉強を始めていったのだが、学習内容が理解できるようになっていく楽しさを思い出し、割と楽しみながら勉強していたと思う。

授業が終わったら自習室で軽く勉強し、疲れを感じる前に早めに家に帰って寝るを繰り返した。勉強時間は1日8時間くらいで、予備校生の平均勉強時間と言われる9時間よりも短かった。授業で6-7時間、宿題で1時間くらいの配分である。
そしてそのまま約半年勉強を続けたところ、筆記試験の模試の偏差値は、今まで平均50未満だったものが、60を軽く超えるようになった。苦手な英語を除くと67くらいだったと思う。そしてそのまま、志望大学を変更することなく、受験が無事成功した。

ちなみに、浪人生の偏差値の上昇幅について、なぜかまともな情報が公開されていないが、偏差値がほぼ上がらない人が大多数を占める印象がある。自分の経験上、現役で受験した大学と同じレベルの大学を受験して受かるかどうかという勝負をしている人がほとんどであり、私のように偏差値が10以上軽く上がる例はほぼない。

こうして挫折を乗り越えたことで、高校で無くしていた自分への自信を取り戻したのだが、同時に自分自身の異常性について考え始めるきっかけにもなった。当時は、現役時代から勉強していた人が伸びにくいだけなのではと思っていたが、それだけが要因ではないことが後になって分かることになる。

大学 (学部生)

大学生になってから、初めて人生が楽しいと思えるようになった。後に3年間付き合うことになる恋人にも出会ったし、学生が全体的に高い知力を持っており、話しあうだけでも楽しかった。今思うと、自分の思考速度についてこれる人にたくさん出会えたことが嬉しかったのだと思う。

ちなみに、大学では物理を専攻した。以前の自分は感覚だけで物事を判断していたが、予備校で基礎を学ぶ重要性を知り、世の中の基礎的な部分や物事の道理をもっと知りたくなって、物理を学ぶことを決めたという背景がある。本当は生物や薬学、免疫学などの方が興味があったし今も興味があるが、その気持ちを押しのけて物事の道理を知ろうとしたのである。

そして、結果的にその目論みは当たった。量子力学は難解だったが、全体的に学ぶことの核心は誰でも理解できるような内容であったため、適切にモデル化さえできれば、単純な論理で物事を理解できることが分かった。

そんなある日、知力とは何なのか真面目に考えるきっかけになる出来事が起きた。塾講師のアルバイトをする同期が周りに多かったのだが、そんな同期が口をそろえて言う言葉があったのである。「なんで教えたことをいつまでも覚えられないのか分からない」と。

教えたことをいつまでも覚えられない理由が分からない原因は、その同期の勉強のやり方に再現性がないか、あるいは自分がなぜ勉強ができるようになったか分かっていないかのどちらかだと考えられる。しかし、同期と話している感じでは、基礎的なことから論理的に考えていく思考ができないはずはないので、再現性のあるやり方で勉強をしているはずである。つまり、原因は後者の「自分がなぜ勉強できるようになったか分かっていない」でほぼ確定ということ。なんでみんな知力が高いのに、自分が勉強できるようになった理由を説明できる人がいないんだろうかと考えるようになった。

大学院生 (修士)

物理学科の研究分野は概ね3つに分かれていて、宇宙や地学を学ぶ分野と、物性物理学、素粒子物理学の中から選ぶことになった。素粒子は難しすぎるので除外。宇宙(天文)は割と興味があったが、天体の画像は編集や撮影方法、イメージセンサーが受け取る光の波長域と肉眼側の波長域の違いなどによって実際とは異なる色がついており、望遠鏡を通して肉眼で見えるものがそのまま映っているわけではないという事実を学部時代に叩きつけられて萎えていたので除外。で、残った物性物理学を選んだ。なんとなく光で物性を計測するのが面白そうなのと、その研究室の教授の説明が一番分かりやすかったので、光物性を専門にすることにした。

かに星雲の画像 (Wikipediaから)
実際にはこんな色が望遠鏡を通して見えるわけではない。広がりがある分恒星よりもぼやけた感じで見え、色は白である。

研究は面白かったが大変だった。そして、自分の知力が一番鍛えられた時期でもあった。

今までの学部生時代の勉強は専門知識を学んだだけであって、学んだ専門知識を用いて議論したり研究したりすることはなかった。研究の各過程を経験し、それを通して極めて高いレベルで論理的に議論すること。それこそが大学でしか経験できないことであり、大学で学ぶべき最も重要なことだということが分かった。学部卒のメリットは新卒カードを持って就活できること以外にほぼないことや、出身大学なんて些細な事で、研究をどれだけ真面目にやってきたかが知力と密接に関わることを身をもって知ったのである。
(余談だが、就活で話すガクチカが、部活かバイトかボランティアか趣味の話しか出てこないあたり、本当に学部生だった4年間に意味はなかったんだろうなと常々思う。)

先生方と議論することは楽しかった。人としての成長を実感できたし、自分の能力を意識して高めることは人生で初めてだったため、まだ伸びしろがあることに気付けて、その先が見たくなったんだと思う。

当時は研究者を目指していた。自分を磨きつつ、世の中に役立つような研究を続けたかった。しかし、楽しい時間は長く続かなかった。

休養と就活

修士2年になってすぐの4月1日か2日あたりだったと思う。布団で寝ていると急に動悸が激しくなって寝れなくなった。

新年度の研究室の飲み会の幹事を担当していたが、どう考えても異常なことが起こっていたため、大学の保健センターに行くことにした。そして、しばらく研究を休むよう医師に指示された。医師から明言はされなかったが、平たく言うとうつ病である。

3週間ほど休み、その後少しずつ研究する時間を増やしていって復帰していったが、体力は明らかに減った。研究を休んですぐの頃は、歩いて5分のスーパーで買い物するだけでも息切れするほどで、外出すらほとんどできなかった。研究を再開してからも、2-3時間ですぐ帰ることが多く、長時間の実験はできなかった。

ある程度実験ができるようになるまで半年かかったが、それでも体力は元の半分くらいになり、これ以上体力が回復する気配はなかった。(後に分かるが、この体力低下がほぼ完全に回復するまで7年半かかり、その間は常に体調不良一歩手前の状態で活動していた)
常に体調管理に気をつけなければいけなくなり、それに気を配らなければいけないというストレスもまあまあ大きかった。

幸いにも修士論文に書くネタはほぼM1(修士1年)の頃にデータを取り終えていたので、追加で研究をしなくても、修士論文のネタには困らなかった。しかし、いざ修士論文を書こうとしても、身体が拒否して一文字もタイピングできなかった。

また、ちょうど同じ時期に祖母が亡くなり、親の実家に行く必要が出てきたのだが、叔母が全くゴミを捨てられないタイプの人間で、祖母の家がゴミ屋敷になっていた。廊下ですら半身にならないと通れないレベルで段ボールが積み上がり、修士論文を書こうにも、書くための机すらない。大好きだった祖母から「研究はやめろ」と言われている気もしてきたので、このタイミングで博士課程に行くことは諦め、1年留年して就活することに決めたのである。

就活に関しては本筋とは関係ない話になるのである程度端折るが、頭を使う職種が良いと思ったので、システムエンジニアを目指すことにした。プログラミング言語は研究で多少触ったことがあるものの、システム開発の経験はなかったため、未経験OK、つまりSIerから求人を探すしかなかった。

また、これまでに述べた通り、普通の修士卒と比べて4年も余計に歳を取っていることから、日系の大手企業を中心に書類選考で落とされた。文章を書くのは得意だったが、経歴だけ見て落とされる日々が続いた。(一応、某有名外資系の、書類選考通過率がめちゃくちゃ低いソフトウェア企業の書類選考が通るくらいには、ちゃんと書類で自分をアピールできるレベルである)

その他にも、就活のエージェントから中堅のよく分からない会社に推薦を出してもらっても、「今から学ぶには歳が心配」とか言われて拒否されたりもした。企業目線ではそういう判断をするのもまあ理解できるが、私目線では全く的外れな指摘であり、こういうマッチングはどれだけ文明が進化してもうまくいかないんだろうなと、当時ぼんやり考えていた気がする。

そんな感じで就活はかなり大変だったが、経歴をあまり見ず人間性や能力を見て判断してくれる優良な大企業に運よく滑り込むことができ、そこで仕事をすることにした。修士論文を書くのはやっぱりしんどかったが、100ページを超える修士論文を気合いで書き終え、なんとか修士号を持って卒業をすることに成功した。

社会人(3年目まで)

社会人として生活が始まり、最初の3か月で新卒研修が行われた。未経験にとっては明らかに多すぎる課題の量をこなし、何とかついていった。(Javaの研修が2週間で終わる程度には早く、入社前に全て予習済みの私でもギリギリ消化できるレベルの大量の課題が用意されていた)

実はこの新卒研修でも体調を崩した。課題の消化のために常に頭をフルに使っていたせいで、うつ病が少しぶり返した形になった。しばらくの間産業医に診てもらうことになり、自分にあった休憩の取り方を見つけようとか、どうせ他の人より素早く作業できるんだから、休憩時間が長くなっても気にしなくて良いとか、いろいろ良いことを言ってくれ、研修やその後の仕事でも体調を崩さずに仕事ができるようになった。

ただ、研修で体調を崩したことにより、当初行きたかった部署には配属されず、身体への負荷が少なく残業も少ない部署に回されることになった。今思うとそれで良かったのだが、当時は割と不満ではあったし、実際に最初に配属された部署は技術的な学びがなく、リーダーや上司以外に見本になる先輩もいなかったので、昇給ペースが周りよりも早かったこと以外は微妙な社会人生活が続いた。新しいことを学びたいからとマネージャーにお願いして、部署やチームを転々としていた。

なお、この期間内で、人生で初めて自分より頭の回転が速い人に出会った。大学の先生方を含めても1人もそんな人を見かけなかったのに、なぜこんな程々の給料の会社の同期に居たのか分からないが、その出会いは自分にとって衝撃的だった。

彼は同時に3つインプットできる(動画3つか講義+動画2つ)とか、タイピングが異常に早い(e-typing 800 - 900ptくらい)とか、未経験なのに新卒研修で1人だけ経験者の上位陣と同じペースで課題をこなしていたとか、規格外のスペックを持っていた。もちろんそれらは妄言ではなく、頭の引き出しの異常な多さや、どんな話題でも大体ついていける対応範囲の広さ、物事の理解の異常な早さから、少し話しただけでも頭の回転の速さのリミッターが外れていることが容易に理解できた。自分の思考スピードが置いていかれかける感覚を人生で初めて感じ、なんとも言えない感情が生まれたことを今でも鮮明に思い出せる。

そんな彼と話してみて実感したのは、私もまたリミッターが外れている側の人間だということで、これに関して彼も同意見だった。予備校での成績の伸びなどで感じた違和感の答え合わせができた瞬間だった。そして、同時に以下のことも分かった。

  • 体調が崩れがちになっているのは「過集中」によるもので、リミッターが外れている人は普通の人より早く疲れること

  • 彼は手の抜き方を幼少期から体得していたから、過集中状態になっても問題にならないこと

  • 私が今になって過集中に苦しんでいる原因は、研究で体調を崩して体力が低下したことと、手の抜き方を体得してないことの2つ

また、学部生時代にいた「なんで教えたことをいつまでも覚えられないのか分からない」と塾講師の同期が口を揃えて言う件についても、ほとんどの人は頭のリミッターが外れていない普通の人だということが分かったことから、理由が明らかになった。

  • 勉強や仕事で成功するためには、頭の回転が異常に早いみたいな特殊能力は一切必要ない。頭の回転よりも、型通りの思考を使いこなせるかどうかの方が支配的な要素であり、型通りの思考を使いこなせるよう継続して練習すれば、普通の人でも成功することができる。
    (もちろん、家庭環境などに左右されることも多いため、全員が成功できるわけではない。特に受験は、各個人のスタートラインの違いの影響を大きく受けてしまう)

    • 教えたことをなかなか覚えられない人がいる理由は、型通りの論理的な思考が分かっていないか、頭が論理的な思考に慣れておらず使いこなせていないかの概ね2択しかない

    • そして、このことに気付いてない知力が高い人たちのほとんどは、幼少期から型通りの思考を鍛えられる環境にいたおかげで受験が成功したことにもおそらく気付いていない。そのため、塾の生徒の頭を鍛える方ではなく、知識を詰め込む方に力を入れてしまい、生徒の成績が伸び悩むことになった

当時既に30歳くらいだったが、30にもなってようやく自分のことがよく分かった気がした。小学生の頃はハブられがちだったことや、中学生の頃は長いこといじめに遭ったこと、良い大学に入って急に楽しくなり始めたことなども理由に見当がついたし、自分のことを理解できる似た境遇の人は相当限られていることや、リミッターが外れた人の中でも私は相当運が良い方なんだろうということもなんとなくわかった。

社会人 (4年目以降)

知力に関する考察のネタは概ね出し切ったが、せっかくなので残りの過去も書いておく。

社会人3年目が終わりにかかる頃に転機が訪れた。新卒研修で運営リーダーをしていた方が、社内転職で私に合ってそうな案件(求人)を見つけて、私に知らせてくれたのである。その案件は、自社プロダクト開発の開発メンバーのポジションの募集で、新卒研修の時に運営リーダーに伝えていたやりたいことそのものだった。本当に良い人たちに囲まれて、とても恵まれていると思った。

私はこれまでスクラッチ開発の経験がほぼ無いに等しかった。ローコードで作られた基盤システムやデータレイクに関する保守寄りの業務がほとんどで、そもそも開発業務すら経験があまりなかった。ちょうど今の状況を打開したいなと思っていたタイミングで、このような社内転職の絶好のチャンスが訪れ、即応募し、その部署に移ることになった。
(ちなみに、こういう社内転職の案件を他の社員から紹介してもらうみたいなやり方は良くなかったらしく、元の部署の上司に嫌われてしまった。同じタイミングで転職する後輩のための歓送会だけが行われ、後輩へのメッセージだけ私に書かせて私は歓送会に招待されないという、手厚い対応を受けることになった。)

モダンな技術スタックとは言えなかったものの、デファクトスタンダードな技術スタックで開発でき、ソフトウェアエンジニアとしての市場価値をちゃんと高められる環境で仕事ができるようになった。最初はスクラッチ開発で求められる技術や運用をキャッチアップするのが本当にきつかったが、毎日が楽しかった。周りの人もやる気のある良い人が多く、嫌な人は1人もいなかった。技術的に頼りになるテックリード的な立場の人もいて、学びがない日もなかった。

しかし、これも全てがずっとうまく行くようなことはなかった。半年後に仕事が急にできなくなったのである。

身体の調子が明らかにおかしくなったが、どこが悪いのか分からなかったので、近所の総合病院に行ってみたものの原因不明。血液検査なども異常なし。半ばあきらめながらも、最後に行った心療内科でうつ病を正式に診断された。

内心やっぱりなとは思ったし、大学院で体調を崩した時もうつ病だったんだろうなということで、ここでもちゃんと伏線を回収してしまった。その後、新卒研修の時にお世話になった産業医の方とも話しつつ、休職することになった。

ちなみに、残業はほぼしていなかった。常に1桁時間/月の残業で済ませていて、大きな負荷をかけていたわけではなかったし、プライベートを削って勉強するようなこともなかった。ただ、これまで万全でない状態で何とか仕事を続けてきたのが、何のきっかけもなく崩壊したんだろうと思われる。

ただし、この休職は結果的に良い方向に向かうことになった。約1年で職場に復帰し、その1年後に薬の服用を完全にやめた上で仕事ができるようになった。その頃から、今までよりも体力の上限値が明らかに上がった感触が出てきて、仕事が終わった後も余力が残るようになった。7年半前の大学院での体調不良(おそらくうつ病)が、ほぼ完治したと思える瞬間だった。

体力が増えて余力が残るようになってしばらくした頃に、ゲームを作りたいなと急に思うようになり、プライベートでゲーム制作をするようになって今に至るわけである。今ゲーム制作ができるのは、昔失った体力がある程度戻ったからであり、久々にフルパワーで何かに打ち込める嬉しさを噛みしめて毎日を送っている。そして、相変わらず良い職場環境で、嫌な人もいない。年収があと100万でも増えてくれれば何も文句はなく最高なんだが、そこまでうまくはいかない。でも、控えめに言って最高である。

人間の成長とは何なのか

ようやく本題に戻ろう。人間の成長とは何なのかについて、今から考えていく。

ここで、哲学的な問いを立てて、改めて深く考察していく気はない。私の人生の振り返りや伏線の考察はこれまで何度もしているし、休職期間中にいくらでも考える暇があったので、そこから得られた知見は既に洗練されているはずである。

結論から言おう。
私の経験から考えると、人間の成長は知力を高めることに他ならない。

私が明確に知力を高められた時期は、「型通りの思考」の重要性に気付いてその思考を練習した予備校時代と、研究室にお世話になっていた頃くらいしかないが、その2つの時期が私の人間性を大きく変えており、人としての非連続的な成長を実感したタイミングと重なっている。少なくとも私にとっての人間の成長は、知力を高めることと一致している。

知力について

知力という言葉は過去の振り返りの時点でいくつか出てきていたが、今更ながら、知力の定義から確認していきたい。

知力の定義

知力は知恵と大体同じらしい。「物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。」などと書かれている。

知力の根源は何か

では、知力の根源は何なのだろうか。これはもうほぼ答えが出ている。

ここで、知力の定義について改めて確認しておきたいところが1点ある。
それは、頭の回転の速さは定義に全く含まれていないことである。

定義に書いてある文章「物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。」は、型通りの思考そのものを指している。その型通りの思考が慣れてくれば、誰だって知力はつけられるものだと考えて良いだろう。
つまり、知力の根源は、型通りの思考と、型通りの思考への慣れ具合の2つしかないと考えられる。頭の回転の速さは関係ない。

知力がほとんどの問題を解決する理由

今までの経験上、型通りの思考はほぼ全てのことに適用できる。勉強でも趣味でも、美術や音楽、ゲーム、武道、話術でも、なんでも型が用意されていて、その型通りに練習すれば、誰でも上達できるようになっている。

そして、その型の本質を理解できれば、他の分野にも応用できるようになる。少なくとも、私がこれまで経験したことのある全ての分野の型通りの思考は、ベースとなる考え方が同じである

突飛な発想が必要になることは驚くほどないどころか、突飛な発想は邪魔になることがほとんどである。どの分野も退屈なほどに「物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく」ことが求められるため、逆に言うと、これしかしなくて良い。そんな面白くなさそうな考え方だけで成功できるのが道理で、その道理の上に人間社会が構築されているのである。

知力の上げ方

知力の根源についての話が先にあったため、知力の上げ方もほぼ自明の状態であろう。
型通りの思考を学び、その扱いをひたすら練習することが、知力を上げる唯一の方法である。

一応、この次のステージに上がるための方法も紹介しておこう。

先述の通り、どの分野も型通りの思考のベースは同じであるが、それに加えて個々の分野特有の考え方の中にも、似ている箇所が多くみられる。この似ている箇所同士を関連付けて理解できるようになると、知力が高まるスピードが速くなっていく。この主張は、「脳は関連付けによって記憶力や理解力が向上する」という事実で補強できる。

この関連付けの例として、私はよくカードゲームを挙げることが多い。
カードゲームでは、各デッキの強みを強化し、強みを押し付けられる土俵で戦うことが鉄則とされている。このことは、RPGやFPSなどほとんどのゲームでも応用できる話であるし、就職活動で自分の強みを採用担当や面接官に伝えるのが良いという話にも関連付けできる。絵を描くときや作曲でも、主題という一番伝えたい部分を強調し、主題を際立たせるためにそれ以外を使うのが普通で、これらも似たような話である。となると、プレゼン資料やソフトウェアのUIデザインの考え方などにも、当然応用可能だ。

これらの関連付けにより、最初のカードゲームの考え方を1つ覚えれば、あとは「強みを押し付ける話と一緒だ」という感じでカードゲームの記憶と関連付けるだけである。こうやると簡単に記憶でき、しかも本質の理解も素早くなる。

このように、いろんなことを関連付けて理解できるようになり、記憶力や理解力が高まってくると、地頭が良いと周りから言われ始めるかもしれない。

何度でも言うが、ここまでの一連の流れは、頭の回転の速さと一切関係がない。知力という頭の回転の速さが関係ないことを上げるための方法を列挙しているだけであり、関連付けの話も頭の回転の速さと直接関係がない。

知力が上がることで、結果的に頭の回転が速く見えるかもしれないが、実際のところは頭の使い方の効率が良くなっているだけである。ソフトウェア開発の話に絡めて言うと、コンパイラやアルゴリズムの最適化をしているに過ぎず、PCやサーバーのスペックを上げるのとはわけが違う。

地頭が良い人は頭の回転が速い人だと思っている人が多い印象を持っているが、正確に言うと地頭の良さとは思考の効率の高さであり、本当に頭の回転が速い人は、地頭が良い人にほぼ含まれていない。私から見れば、ほとんどの人は頭のリミッターが外れておらず、普通の人間である。

※念のため補足しておくが、普通の人を蔑む意図は全くない。それどころか、普通の人を羨ましいとすら思っている。誰かに相談しやすい・共感されやすいというのは、それだけで大きすぎる利点であり、こんな馬鹿みたいに自分の過去を分析したりして多くのことを自己解決することは、本来必要ないはずの作業である。同じくリミッターが外れた会社の同期の彼に出会わなければ、もっと大変な人生を送っていたかもしれない。

頭の回転の速さは必要なのか

意外に思われるかもしれないが、素の頭の回転が速くても、大したメリットにはならない。これは断言できるし、だからこそ「自分が特別な存在だ」などという傲慢な気持ちを持っていない明確な理由となっている。

これはPCの話で例えると分かりやすい。
CPUやGPUなどにはオーバークロックという機能がついている。オーバークロックは、定格よりも早くプロセッサーを動かす機能で、計算が早く終わる代わりに消費電力が大幅に増え、発熱が激しくなり、その分冷却ファンがたくさん動いてうるさくなる。オーバークロック状態は電力効率が悪いので、電力効率が高い定格で動かした方が良いことが多い。

頭の回転の速さのリミッターが外れるということは、普通は定格で脳が動くところを、勝手に脳がオーバークロックで動くのと同じと考えてもらって良い。非効率な状態で脳が働くため、パフォーマンスは上がるかもしれないが、代償としてすぐに脳が疲れてしまうのである。

要所でオーバークロックすれば良さそうに見えるが、そんな簡単に制御できるものでもない。勝手にオーバークロックするし、酷いときは寝る前にオーバークロックしてしまい、その後布団にもぐっても、オーバークロックが3時間くらい持続して寝れなくなったりする。
(この記事を書いている今も正直やばい。24時ごろに寝ようとしていたし、普段は規則正しく眠れているんだが、今は眠気を感じないまま5時になっている。)

このどうでもいいオーバークロック機能が一番問題になるのは、仕事の時である。日本は所定の勤務時間が決められており、裁量労働制の役職以外は誰だって同じ勤務時間ではたらくようになっている。しかし、私のような人間は、普通に仕事をしていてもオーバークロックしちゃうことがあるので、瞬間的に見ると効率よくはたらけるが、すぐに疲れてしまう。普通の人は残業しても体力が残っているだろうが、私は残業せずすぐ帰るしかない。

そして、日本企業のほとんどは、(成果主義だとか言っている企業は多数いるが)本当の意味で成果主義であることはない。本当に成果主義であるならば、私は6時間勤務とかで同じ給料が出ても良いはずだし、他の人より成果が出るのであれば、その追加の成果の割合分多くの給料が出るべきである。しかし、現実は決められた昇給幅の範囲で我慢するしかないし、部署の中で昇給の予算が決められていたりしているので、成果分だけ払うみたいなことをする気が元々ないようにも見える。
(文句をたらたら述べているが、終身雇用が前提の日本では到底無理な話だということは理解しているので、会社や社会を変えようとする気は特にない)

話がそれたが、頭の回転のリミッターが外れているのは、特に利点でも何でもないのである。私もe-typingで普通に800ptとか取れたら面白いと思うかもしれないが、その瞬間面白いだけで、何かの役に立つことはほぼないだろう。会話のネタの数や対応できる話題のカバー率が他の人より多くても、今まで役に立ったことはない。
…いや、いろんな知識や経験が求められる個人ゲーム制作では割と役に立っている気がするが、他で役立った記憶はない。個人ゲーム制作が特殊過ぎると思ってほしい。

では中学生まで勉強しなくて済んだ理由や、予備校で成績が大幅に伸びた理由はなんなのか。それは利点ではないのかという意見も聞こえてきそうなので、それについても補足しておく。

中学生まで勉強しなくて済んだ理由はおそらく、幼少期から科学雑誌や数学パズルの本などを読んでいて、元々知識があったからだと思う。実際のところ、テストは数学と理科だけかなり良くて、他は大したことがなかった。特に暗記系科目や英語は試行回数がものを言うので、からきし駄目だった。歴史で33点を取ったこともある。

予備校で成績が大幅に伸びた一番の理由は、人生の中で頭を使う機会が多く、思考能力自体はちゃんと鍛えられていたからだと思う。もちろんリミッターが外れていることも要因の1つではあるだろうが、それが支配的な要素だとは思っていない。

過去の振り返りで出ていないが、囲碁や将棋なども好きだったので、そういう遊びで思考能力が上がっていた可能性が高い。その状態で一度型にはまった思考をしてみたら、思考効率の向上による勉強する能力の伸びしろが大きくて、それが成績にも反映されたのだろう。

余談だが、この話は成績が急激に伸びる現役生と伸びない現役生の違いや、多くの浪人生の成績が伸びない理由も説明できる。
これまで勉強以外で伸ばしてきた思考能力を勉強にうまく活かせる人は、勉強する能力の伸びしろが大きいので、成績が急激に上がる。思考能力が高くない現役生は、勉強を始めても伸びにくい。浪人生は既に伸びしろを使い切っていることが多いので、思考能力の強化を視野に入れた取り組みをしなければ、いくら勉強しても成績が上がらない。

そして、思考能力の強化は2-3年ですぐできるようなものではない。普通に10年以上かかるイメージだし、強化できたらそれで終わりという話でもない。知力の高い人は日頃から頭を使い、それによりずっと思考を強化し続けている。この積み重ねが、思考能力を強化していない人との格差を広げ続け、覆しようのない大きな壁を構築する。浪人でいくら1年間頑張っても、それまで積み上げてきた思考能力の差を覆すことは極めて難しいのである。

おわりに

ここまで長々と述べたが、結論は単純明快である。

  • 人間の成長は、おそらく知力を高めることで達成される

  • 知力を上げるためには、型通りの思考を学び、それを使いこなすために練習する必要がある。それ以外の方法はない

  • 物事の関連付けにより知力の上昇率を上げることもできる

    • が、これはそこまで重要ではない。そんなに関連付けできるほど幅広い知識を持っている人がそもそも少ないし、それほど知識を持っていたら、おそらく関連付けの方法も自ずと見つけていると思う

  • 頭の回転の速さは普通で問題ない。普通より明らかに早い人はごく少数しかいないし、そのごく少数も何かしら代償を払っている。そもそも、これを鍛える方法がおそらくない

ここまであえて触れていなかったが、厳密に言うと、人間の成長は他にもあるはずだ。モラルはそのうちの1つに含まれるだろう。モラルがなければ、どれだけ知力が高くてもチープな人間に見える。そして、モラルを高めることについて考えようとすると、単純な話では済まない。それがうまくいくような単純な仕組みがあれば、社会はもっと平和になっているはずだ。

ただ、知力を上げることに話を絞ると、話は単純になる。型を守った思考をひたすら練習すればいい。面白くないかもしれないが、それが基礎作りである。幸いなことに、基礎はその1つしかない。

一度マスターしたら何にでも応用できるので、いろんなことがうまく回りはじめ、いろいろ楽しくなってくる。楽しくなってくると、もっと応用したくなる。このサイクルが回り出し始めると、何かすごいことができるかもしれない。

型破りなことをしたいのなら、型を守った思考をマスターしてからでも遅くないだろう。型を守った思考をちゃんと理解していないと、型破りは理解できない。


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