メタ認知能力があっても、人生がつまらなくなることはない

メタ認知能力があると人生がつまらなくなるという話をごく最近見かけた。この考え方は普通に間違っているので、その考察をしていきたい。


メタ認知とは

メタ認知とは、自分のことを客観的に把握することである。自分の感情、思考、置かれている状況などを、まるで自分の外から他人を分析するかのように理解することを言う。

メタ認知を行える能力をメタ認知能力と呼ぶが、少なくとも社会で生きていくためには、この能力が必要不可欠である。自分を適切に評価するには、メタ認知能力によって自分ではない人を観察するかのように自分を観察する必要があり、そうでなければ正確な評価はできない。

メタ認知は自分の視点を変えないといけない都合上、メタ認知をするにはある程度高度な知力が要求される。そのため、メタ認知ができる人間は、必然的にある程度の賢さが保証される。

メタ認知が行き過ぎると人生がつまらなくなるのは本当

マインドフルネスはメタ認知とほぼ同じ

以前、マインドフルネスが流行っていたことをご存知だろうか。もしかすると、今でも流行っているかもしれない。

マインドフルネスとは、今体験していることに集中している状態を指す。こういう体験をしたという事実や自分の中に渦巻く感情に着目し、それをそのまま受け入れ、他のことは気にしない。このような姿勢で物事を考えることで、集中力の向上や心理的な健康状態の維持に繋がると言われている。

マインドフルネスでやっていることは、ほぼメタ認知そのままである。自分の感情や思考に捕らわれず、ただありのままに受け入れるというのは、自分のことを自分でない存在として客観的に観察することとほぼ同義だ。実際にマインドフルネスをやってみると分かるが、自分を操縦するような感覚になることもある。

マインドフルネスが人生をつまらなくする。メタ認知も同じ

このマインドフルネスの副作用として、創造的な発想ができなくなるとか、精神疾患が増えるなどと言われることがある。実際に私も、マインドフルネスは以下のデメリットが存在すると感じており、そのデメリットが大きすぎるため、今ではマインドフルネスを一切やめている。

  • 自分の感情も含めて全て自分の外で起こったことになるので、「このままだと嫌な気持ちになるから改善したい」というような発想になりにくい。当事者でなくなる

  • ただ受け入れるだけなので、自分の思考を整理して言語化するようなこともできなくなる

  • やることが決まっているタスクをやる分には良いが、何かを生み出すような創造的な仕事をやろうとすると、客観視しかできない状態が足を引っ張る。面白いものを作るには主観も大事

  • 休息が目的であるなら、普通の瞑想で事足りる

実行する人の練度ややり方にもよるが、マインドフルネスはやろうと思えば、起きている間ずっとその状態を維持できる。だが、マインドフルネスは切り捨てるものがあまりにも多すぎる。人生がつまらなくなるのも当然であるし、何かを経験した時の学びも少なくなるので、やらない方が良いだろう。

そして、メタ認知もまた同じである。メタ認知をしながら生きていると、自分が経験したことを客観視してしまうため、人生がつまらなくなる。感動も薄れるだろう。

メタ認知は切り替えるもの。ずっと維持されるものではない

何かに没頭すれば、メタ認知の状態から逃れられる

「メタ認知ができる人は、人生がつまらなくなってしまう」という主張は、メタ認知が永続するものという前提で話をしているように感じる。確かにメタ認知が永続するものと仮定すると、メタ認知ができてしまう人の人生はつまらなくなるだろう。

しかし、メタ認知はオン/オフを切り替えられる。例えば、楽しい遊びをしている時はそれに熱中すれば良いし、自然に囲まれた環境でリラックスしたい時は、五感を研ぎ澄ませて、心ゆくまでその世界に浸ればよい。毎日の美味しい料理を食べる時も同様だ。

このようなことをする間、メタ認知を使った不要な思考は放棄すれば良い。ただそれだけの話である。

メタ認知をしない状態にするには、論理的に考えるのではなく、感覚に集中すると良いかもしれない。論理的思考を放棄すれば、自分の感覚に集中できる。感覚に集中できれば、何かに没頭することができるだろう。没頭とはメタ認知とは逆の概念なので、没頭するやり方を自分なりに体得できれば、メタ認知のオン/オフは簡単なはずだ。

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