扉の前に立つということ〜幸せを受け取る許可〜
扉の前に立つということ
最近、ふと思うことがある。
私は今まで、
「その扉を開いていい」
と人に伝える側だった。
幸せになっていい。
豊かになっていい。
受け取っていい。
自分らしく生きていい。
そんな言葉を、たくさんの人に伝えてきた。
でも、本当は。
私自身が、その扉の前に立てていなかったのかもしれない。
いや、立っていたとしても、
どこかで遠慮していたのだと思う。
本当に受け取ってしまったら申し訳ない。
楽になってしまったら怠けている気がする。
まだ頑張りが足りない。
もっと努力しなきゃ。
もっと手放さなきゃ。
もっと学ばなきゃ。
そんな声が、ずっと心の奥にあった。
振り返ると私は、
ずいぶん長い間、
歯を食いしばって生きてきた。
弱音を吐いたら負け。
泣いたら負け。
ここを越えたら楽になる。
あと少し。
もう少し。
そう言い聞かせながら。
仕事もそうだった。
会社もそうだった。
数字だけ見れば、
「頑張っているね」
と言われることもあった。
私自身も、
「すごいじゃん」
と自分に言ってあげていた。
でも今なら分かる。
あの頃の私は、
笑っていたけれど、
心から笑ってはいなかった。
そんな私に変化が起き始めたのは、
本当に小さなことからだった。
半年以上続けた瞑想。
そして、
本当の潤いを感じるために始めた「麗活」。
まだ35日。
たった35日。
何か特別なことが起きたわけではない。
ただ、
身体がゆるんだ。
心がゆるんだ。
それだけだった。
でも、その「それだけ」が大きかった。
内側にいた私が、
ようやく力を抜いた。
ようやく許した。
ようやく、
「もう頑張らなくていいよ」
と言ってあげられた。
すると不思議なことに、
外側の景色が変わり始めた。
スピリチュアルな話だと思われるかもしれない。
でも私は思う。
この地球で生きていること自体が、
十分すぎるほど神秘だ。
朝が来ることも。
呼吸できることも。
大切な人と笑えることも。
本当は奇跡の連続なのだと思う。
先日、
パパの笑顔を見ながら、
ふと思った。
「こんな笑顔、初めて見たかもしれない。」
心から楽しそうで。
心から幸せそうで。
その笑顔を見ていたら、
私まで涙が出そうになった。
あぁ。
私たち、
やっとここまで来たんだな。
そんな気持ちになった。
もちろん今でも、
少しだけ怖い。
こんな幸せを受け取っていいのかな。
こんなに満たされていいのかな。
そんな真面目な私もまだいる。
でも、もう大丈夫。
少しずつでいい。
ゆっくりでいい。
私は幸せになっていい。
豊かさを受け取っていい。
人生を楽しんでいい。
そう思えるようになったから。
だから今、
私は新しい扉の前に立っている。
半年後。
夫婦で決めた場所へ向かう。
まだ行き先は決まっていない。
でも不思議と焦りはない。
きっと必要な場所へ導かれる。
そんな安心感がある。
だから私は今日も、
内側の私をキラキラさせておく。
無理に頑張るのではなく。
何かになろうとするのでもなく。
ただ、
私らしく。
扉を開く許可を、
自分自身に出しながら。
