「マザーグースのレシピ④」
第4章ー ケータリングは大成功 ー
アーク放送センターは六本木通りが高速道路に合流する角にある。六本木の交差点から外苑東通りに折れると東京タワーが正面に見える。高速道路と交差した地点―飯倉片町を左に折れ、高速の高架線に沿って300メートルほど走って左折、その先のくねくね曲がった細い裏道を通り背面の駐車場から中に入る。地下のエントランスで社名を記入し、案内嬢から入構票を貰って首に掛ける。地下B3のスタジオまで黒の長い絨毯の通路を進みロビーまで行く。スタジオはどこも迷路のように複雑な構造をしていて、新米の孝史はいつも迷子になったような心境になる。ロビーには、ゆったりとした丸い大きな色とりどりのスツールが幾つも並び、スタッフや背広姿のスポンサー関係の人がてんでバラバラに坐って、思い思いの方向を向いて何人かで話したり、携帯で誰かと話していたりする。
すでに配膳用の長テーブルが用意されており、そこに孝史が台車に積んで持ってきた料理を並べる。ケータリングには盛り付けの動線がある。人がどこから流れて来るか、テーブルの置かれた状況により、右から左―その逆もある。それに従ってご飯ジャーや料理の配置が決まる。まず、入れる容器とご飯、次にメインの料理、サブの料理、最後にスープとカップといった具合にセッティングされる。料理を載せるお盆、ご飯のジャー、チキンカレー、ビーフストロガノフ、ハンバーグ、トンカツ、ウインナーを並べ、少し離れた壁際にある別の長テーブルに、ニース風サラダと杏仁豆腐を並べる。クローク風の丸いカウンターには箸やスプーンを置き、その隣にスタッフが用意した蛇口の付いた冷茶のボトルが置かれた。セットは完了した。栗原は大きな紙に「今日の昼食は高原謙さんから頂きました、有難うございます!」と書いて壁に貼り付けた。回りから歓声が上がる。
「ちょっと、今、押してるんですよ、時間が読めない。準備終わったらそこのソファーに座ってゆっくりしてください。」
栗原が笑顔で孝史に言った。『押してる』と言うのは長くなって遅れると言う意味だ。逆に速まる時は『巻いてる』と言う。そう言って栗原は忙しなく何処ともなく消えた。そう言われても孝史には座って待つほど心に余裕はない。時間は過ぎた。鍋をカセットコンロで暖め、すべてのラップを外し、蓋をかけて待った
栗原がスツールに坐り携帯で話している。
「27日と28日、車は2日間のチャーターでお願いします」
車両の貸し出しの依頼だ。地方ロケ―下田での撮影の手配だ。
「はい、36名、男女半々で、27日です、8時から正午まで。」
もうひとりがエキストラの手配をしている。
10時半に来て、もう11時半になっていた。
「伊豆の下田の大野屋旅館、分かりますか?あ、そうです、念のため後で住所をファックスさせていただきます。はい、11時、45食で、和食がいいんですが、何かいいメニューはありますか?」
栗原は今度は現地の弁当屋と携帯で話している。『巻く』のも辛いが、『押した』場合は時間を持て余してこれもしんどい。ひたすら待つしかない。
いつの間にか居なくなっていた栗原が時計を見ながら戻ってきた。
「後30分ぐらいで飯に入りそうです。」
後からタイムキーパーの沢口が遣ってきて、
「43話、44話のあたりで昼食を入れる事になったよ。43話押してるけど、それが終われば後はスムーズに行くと思うよ」
と、栗原に言った。
「でも、まだ分かりませんね」
「そう、まだ読めないね」
二人は同時に時計を見た。
「そろそろ準備しましょう、何人要るかな?俺、ご飯遣ります。杉村さんはチキンカレーとストロガノフ遣ってください。そうすると・・後の副菜と、サラダ。二人要りますね。杏仁豆腐はセルフでいきましょう。」
盛り付けに必要なスタッフの人数を決めた。それが終わると彼は分別したゴミの袋の用意を始めた。
「おー、豪華ジャン!旨そう。速く食いてー!」
ラップで覆ったニース風サラダに誰かが歓声を上げる。孝史は嬉しくなって、にんまりとする。
「サラダ、皿4枚もある。」
もうひとりが呟く。そろそろお腹がへったと見える。
収録スタジオのドアが開いて、慌てて沢田が駆け込んできた。
「栗原、後5分で飯だ、急げ!」
「マジで!ちょっと、それはないよ」
「監督、44話をすんなり1回でOKを出した―ありえない!」
栗原は慌てて孝史に声を掛ける。
「5分です!スタンバイOKですか?」
「大丈夫です!」
にわかにすべての蓋が開けられ、カセットコンロに火が付く。大股開きに踏ん張って栗原がジャーの蓋を開けて構える。鍋のカレーとストロガノフはクツクツと音をたてはじめた。黒いスーツにネクタイ姿のマネージャーが最初にやって来て声を掛けた。
「二人分お願いします」
そう言ってお盆を差し出す。自分と高原謙の分だ。やはり大物俳優は雲の上の人だ、直接食べには来ない。暖かい湯気を出してご飯が盛られ、その上に一つずつチキンカレーとビーフストロガノフをかける。そうこうしている内に、どっと人が遣ってきた。
「皆さん、お食事の用意はできています、どうぞ!」
栗原が大きな声で呼びかけた。たちまち列ができた。
「メニューはチキンカレーとビーフストロガノフです。副菜のハンバーグとトンカツはどっちか一つ―ウインナーはみんなにあたります。どちらにするか選んでください。即、決めてください、考えないでください、立ち止まらずに、進んでください。」
栗原は大声で笑いながら話しかける。
「おー!非情だな、強引な!」
別のスタッフが笑う。
「カレーとストロガノフはハーフアンドハーフもアリです、言ってください、なるべく速く!さあ、どんどん進んで!―迷っちゃダメ」
なおもダメ押しする。
「無理言うな、ひっでえ!」
どっと笑いの連鎖が広がる。流れが滞ると食事時間が延びる。スムーズに盛り付けを終わらせることが要求される。時間との勝負、限られた時間は1時間だ、あと30分しかない。
スタッフに混じってタレントと呼ばれる俳優女優も一緒に並び始めた。その中に佐和子が好きな「たかせ安奈」がいた。気さくに笑いながら、「ご飯、少しでいいです」と控えめに栗原に話しかける。有名な父親のあとを継いだ二代目俳優もいた。しかし料理をご飯の上にかけるのに手一杯で、孝史は一人ひとりの顔さえ見れない。
一区切りが付いた頃、盛り付けを手伝っていた北村がポツリと言った。
「ハンバーグがかなり減ってきたな、まだ美術と前田さんと矢部も食ってないよな?これからエキストラ来るから彼らはハンバーグは無しにしてトンカツだけ食べてもらおう。」
皿を覗き込み、手早くハンバーグの皿の蓋をしてしまった。現金なものである。
「皆さん!お食事です、どうぞ!」
前方の通路から集まってきたエキストラの群れに北村は声を掛ける。
「有難うございます!」
彼らは一列に並んだ。
実際より人数がいたらしく、用意した使い捨てのカレー容器が足りなくなった。
「サラダの皿がありますよ」
孝史が気転を利かして栗原に言った。
「なるほど。助かります!料理のほうはまだ充分残っていますね」
栗原がほっとしてレードルで鍋の底を掻き回す。何人かはそれでなんとか納まった。最後はお弁当にして三人分ぐらいは残った。
最後に、高原謙の事務所の人が声を掛けてきた。
「ケイロジックの橋本です。今日は有難うございました。大変おいしい料理でした。」
成功である。これで終わった―孝史はほっと一息ついた。
「撤収、撤収です!」
栗原の掛け声で、一斉にスタッフが動いた。瞬く間に調理用具や皿が台車の上に乗せられた。もうテーブルは折りたたまれ、分別ゴミの袋の口は堅く閉じられている。どこのスタジオにもゴミの回収所があって、そこではゴミは厳密に分別され、その徹底ぶりは一貫しており、スタッフに対してかなりうるさい。
孝史は栗原の素早さと的確な動きに感心した。慣れていることもさることながら、その状況に応じた迅速さと緩慢さのバランスが見事に取れていることに驚いた。これがマザーグースの言う「優秀な人材」なのだ。孝史は通路やエレベータの中で、一緒に荷物を運んでくれた栗原からこの業界の話を色々聞き出した。孝史には分かっていなかったことばかりだった。栗原との間に少し親密な関係が芽生えたような気がした。
「またよろしくお願いします」
「もちろんですよ、待っててください、必ず注文しますよ!」
そう言って栗原は片手を上げ、爽やかな笑顔を残してスタジオの中に入って行った。
ーマザーグースのレシピー
牛肉と舞茸のビーフストロガノフ3人分
[材料]
・牛モモ 450g
・玉ねぎ 1個
・人参 1/2 本
・舞茸 1P
・デミグラスソース 50cc
・無糖ヨーグルト 80cc
・牛乳 30cc
・赤ワイン 20cc
・水 20cc
・ビーフコンソメ 大匙3杯
・粗挽き黒胡椒と塩 少々
・ガーリックオリーブオイル大匙1杯
・おろし生姜 大匙1/2
・パプリカパウダー 少々
・シナモン 少々
・セイジとタイム3:1 少々
・ベイリーブ 2枚
[作り方]
①牛モモ肉は繊維に沿って短ザク切り
(約6mm×6mm×5cmくらい)
②玉ねぎと人参は皮を剥いてフードプロフェッサーで刻む。みじん切りでもOK。
③舞茸は石づきを切り取り、ほぐす。
④自家製ガーリックオイルを鍋に入れ、おろし生姜を足し温度を上げる。
⑤煙が出る寸前くらいになったら牛肉を入れ粗挽き胡椒と塩をかける。火が通り始めると牛肉から少し水分が出てくる。
⑥玉ねぎ、人参、舞茸以外の材料を入れる。出てきた水分量に従って、自分好みのとろみ感を掴んで、入れる水の量を調整する。(煮込んで減る水分量はこの料理の場合はそれほど変わらない。)
⑦5分ほど煮込んだ後、玉ねぎと人参のみじん切りを入れる。
⑧15〜20分ほど煮込み、牛肉が柔らかくなったら、仕上げ前に舞茸を入れる。
舞茸に火が通ったら出来上がりです。
風味づけに最後に有塩バターを入れるのもありです。
牛肉と舞茸の相性はバツグンです。
*追記
次回の予告!
熱帯魚が突然登場。
マザーグースの過去が少し見えてくる。
お楽しみに!
