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このところやっと朝に啼く蝉の声が落ち着き、さわやかな空気を感じる日も増えてきました。

窓を明けて朝日を浴びると、ふと不思議な感覚になることがあります。
この光は、太陽を出発してわずか八分ほどで地球に届いているそうですが、
でも、そのもっと奥をたどれば、数万年前に太陽の中心で生まれ、長い時間を旅してきたエネルギーなのだといいます。
気の遠くなるような道のりを経て、ようやく今ここに届いた光。
そう思うと、ただの「朝日」ではなく、宇宙と私をつなぐ見えない糸みたいに感じられてきます。

その光を浴びて、植物は芽吹き、花を咲かせ、酸素をつくってくれる。
それが私の呼吸になり、命を支えてくれている。
そして海の流れを動かし、四季の循環をつくり、生命のリズムを保ち続ける。
考えてみると、私もその大きな循環の一部で、八十億の命のひとつとして生きる私もまた、太陽の物語の続きに置かれた一片なのだと思うと、「自分はきっと意味があって生まれてきたんだ」なって静かに胸に広がっていく感覚があるんです。
偶然じゃなく必然としてここに置かれている。その事実にふれると、不思議と安心できるんですよね。

でも…日常に戻ると、やっぱり「こうあるべき」とか「もっと頑張らなきゃ」って声に縛られてしまう。
お金のこと、仕事のこと、人の期待。。。
左脳的な基準に合わせようと必死になり、気づいたら自分の感覚を後回しにしているんですよね。

けれど太陽は「光らなきゃ!」と思って輝いているわけじゃなくて、ただそこにあるだけで自然と光と熱を放っています。
私の命も同じで、本当は「やらなきゃ」じゃなく、「これをしたい」と心が震える瞬間に従うことこそが自然なんだなって思うんです。

右脳で感じる世界は、とてもやわらかく、曖昧なようでいて確かです。
風の涼しさとか、土の匂いとか、朝露に光る草のきらめき、誰かと交わした笑顔の余韻。
そういう小さな感覚に立ち止まるだけで、体の奥から「生きてる!」って確かさが湧き上がってくるんですよね。
数字や効率に換算できなくても、それこそが命の証で、私を確かに生かしてくれるものなんだなって。

だからこれからは、もっと直観的に、感じるままに生きていきたい。
朝日のように、ただそこにあるだけで周りを温める存在でありたいなって思うんです。
そう思うと、肩の力が抜けて、呼吸が深くなるのを感じます。

今日という一日を、「やらなきゃ」という義務感ではなく、「これをしたい」から始めてみる。
そんな小さな選択の積み重ねが、やがて私自身の光になって、誰かの一歩を照らすのかもしれません。

あなたは今日、どんな「やりたい」に光をあてますか?

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