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偏愛を語る

あれは確か小学生の時だったと思います。いつからそれがそこにあったのか、いつ出来上がったのか、それは分からないのですが、ある時それは突然出来上がっていました。

つぶ立ちよく毛羽立った非常に肌触りのいいタオルケットです。

他のどの布とも一線を画す肌触りのタオルケットです。

元々の素材が原因なのか何なのかは分かりませんが、それは新品では絶対に表現できない肌触りで、使い古さないと出てこない肌触りです。

手で触った感触が癖になる非常に気持ちいい感触で、指の間に挟んでスリスリしたり、唇に当ててスリスリしたり、触るか触らないかぐらいの距離感でちょっと触ったりするのがいいのです。

小学生の頃、私は突然できあがったそれを非常に気に入っていました。ある日突然現れたそれを触ることが大好きでした。

日が経つにつれて、それはボロ布のようになっていきます。

例えば小学校の時の、ずっと使い古した掃除用の雑巾で、もう穴とかが開いて薄くなってズタボロになっている、ああいう感じを思い浮かべてもらえると分かりやすいかもしれません。

私はそのことにある意味では気がついていなかったのでしょう。

ある日、そのタオルケットは跡形もなく消えてしまいました。母がボロ切れだと思って、捨てたのです。

非常に後悔しました。明日も明後日も触れると思っていたものが、突然なくなってしまったのです。

捨てないで、と一言いっておけばよかったのですが、まさか捨てるなんてことは思いもよらなかったので、あれにもう触れなくなったそのことが、すごく悲しかったのです。

それから、似たような肌触りのタオルケットをいくつも試しましたが、あのタオルケットのような肌触りのものはとうとう現れませんでした。

それからしばらくして、時間とともに、あのタオルケットのことも思い出に変わりつつあった頃、高校1年生くらいだった頃だと思います。

それは突然現れました。

いつそれが出来上がったのか、どういう条件でそれが出来上がったのかは分かりませんが、あの肌触りと同じタオルケットが出来上がっていたのです。

厳密に言えば、「あの肌触りに非常に近い!非常に近いぞ!」という感じだったと思います、

そんな感じで最初はぎこちなかった私とタオルケットの間にも、日々スリスリしたり、なでなでしたりしている間にぎこちなさの角が取れてきて、またあのタオルケットのように、私を集中力のゾーンに連れて行ってくれるような、そんな肌触りを再現できるようになりました。

そうしているうちに、そのタオルケットはまたボロ雑巾のようにズタズタになっていきます。

これは非常に不思議なことなのですが、見た目はどんどん汚くなっていくのですが、全然臭くなったりせず、むしろ日が経つにつれて良い匂いになっていくのです。

そのため、スリスリしたり、そっと触ったり、唇にスリスリしたり、匂いを嗅いだりしていると、森の中にいるような、森林浴をしているような、そんな気になるのです。

そんな中、また悲劇が起こりました。母親が洗濯をしてしまったのです。

タオルケットの洗濯が終わり、戻ってきたタオルケットはもう生気を失ってしまいました。

触ってもどこか感触が違うのです。生きた感じはしないのです。

これが2度目の別れです。

ただここで私は考えました。

1度目のタオルケットの時は、たまたま偶然できあがったものだと思っていたので、それがなくなった時にはある意味で諦めていました。

ですが、2度目ができたということは、再現性があるということです。

そこで試行錯誤しながら、その条件を考えてみました。

まず、新品ではそれはありえないということと、日々使い古さないとそれは現れないということです。

そして私は、日照時間も関係していると考えました。おそらくある一定時間日光を浴びないと、あの肌触りは再現できないと考えたのです。

RPGか何かでよくある特定の要件を満たさないと出現しないアイテムみたいな、そういう特性があるのではないかと思ったのです。

そして寝かせる時間も重要だと考えました。しばらく押し入れの中で寝かせる時間が必要なのではないかと思ったのです。

そして、その出現の新たな芽を見つけたら、それを大切に大切に育てていく、そういうことが大事だと考えました。

それからは、あの肌触りを再現するために色々と試行錯誤しました。

しかし、なかなかそれは現れませんでした。

もしかしたら、こちらが求めてくるとやってこなくて、求めていないとき、つまりそれを考える時間が極端に減ったときに、それはやってくる。

そういう何かなぞなぞの問題みたいな、そういうものなのかもしれないと考えるようになりました。

その上で日照時間と睡眠時間の両方の条件を満たしたタオルケットのみが、その存在として芽を出す。

この仮説が正しいとすると、あれが思い出に変わるのを待つしかないということになります。

そんなことを考えつつ、日々の喧騒の中、私はまたその肌触りを忘れていきました。思い出になっていったのです。

そしてまた月日が流れ、あれは社会人になって7年目ぐらいだったと思います。

ワンルームマンションに住んでいた、その時のことです。

それはまた突然現れました。

いつ条件を満たしたのか、すべての条件をいつ満たしたのか。それは不明なのですが、それは突然そこにありました。

新たな発芽を見つけたのです。私は「また芽が出た!!」と喜びました。

それから日々、スリスリしたり、なでなでしたり、唇でハムハムしたり、クンクンと匂いを嗅いだり、そうして集中力を高め、ゾーン状態になったりして、大切に大切に育てていきました。

そして、それはあの求めていた肌触りになったのです。

それと同時に、やはりズタボロの布になっていきました。昔、外で飼われていた犬が小屋の中で敷いていた布のように、ボロ雑巾のようにズタボロになっていきました。

見た目はただのゴミになってしまいました。でも私にとっては、大切なタオルケットです。

現在、私は結婚して妻の実家に住まわせてもらっています。妻にも義理のお母さんにも一応理解を得て「それは洗濯しない、捨てない」ということを言ってあります。

嫁は親指と人差し指でつまんでそれを持ちます。

でも、私は本当の本当に、それは全然臭く感じないですし、むしろ太陽の匂い、大自然の匂いがすると思っています。

汚いものとはとても思えないのです。自然が作り出した、大自然物のようなものだと思ってもらえると分かりやすいかと思います。

写真も載せようかと思いましたが、見た目には写真で良さが伝わらないですし、本当にちょっとズタボロなので、センシティブな感じになってしまう可能性もあるかなと思いました。

それは例えば、牛の糞などが混ざった肥沃な大地のようなものです。それは汚いものではなく、美味しい野菜が育つ大地なのです。

なので、写真を掲載しようと思っていましたが、写真では理解が得られないと考え、すんでのところで思い留まりました。

そんなタオルケットです。今でも私の元にそれは存在してくれているのです。自然の恵みに感謝です。



この記事は無職さんのコンテストに参加している記事です。ありがとうございました!


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