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映画『ザリガニの鳴くところ』感想 出てきた涙がどういう訳か奥に引っ込んだ件

昨日『すずめの戸締まり』を見る前に、この映画を見た訳です。その感想です。文中でネタは割ってないと思いますが、もしかしたらカンの良い人だったら「あっ」と察してしまうおそれがあります。しかしミステリの感想やら批評を書くって難しいですね。

で、まことに稀有な体験をした。この映画はラスト観客を泣かせにかかるのだが、今わの際にいい音楽を鳴らし、露骨なまでに感動的な描写をばぁんと見せてくるもんだから、「あぁベタな畳み方だなぁ、はいはい」と呆れながらも何故かひどく目が痛くなってきたので私も自前のハンカチを用意して、拭ってやるぜだからいつでも流れてこいよと男らしく構えていたいたら、その涙が眼球の奥の方に消えたのである。なんだこれは。

みなさまに誤解を与えないように補足しますと、これはあまりにひどくて興ざめしたとかではないのです。私が感じたのは寧ろその逆。とんでもないテクニカルな方法を見せられて、びっくりしたというか、感心してしまった。もっと詳細に表現しようとするのは難しいが、しいて言えば、うるっときてるところにさらに追い打ちをかけるようにすごい感情が押し寄せてきた、という感じがするのである。

本作はノースカロライナ州でおきたある不審死をめぐる現代パートの法廷ドラマ+過去パートでは湿地に住む事件の容疑者カイア(デイジー・エドガー=ジョーンズ、他数名のキャスト)の謎に満ちた人生を、交互に追う映画となっている。容疑者ははたして無実なのか、それとも街の人々が口々にいうように人を殺めてしまったのか。観客は、陪審員やつめかけた傍聴者の一人のようになって、この行く末を見守ることになる。

しかし舞台となる町の連中ときたらひどい。主人公のカイアに向ける好奇にみちた下卑た視線や価値観は反吐がでるほでで、ぜったいこんな人間になどなりたくないとこちらが思ってしまうほどだ。事実、ある事情から幼少期に家族が去って一人で生きるしかなくなったカイアに手を差し伸べたのは、小さな商店の夫婦と幼少期から懇意にしていたテイト(テイラー・ジョン・スミス他数名のキャスト)という少年だけだった。その商店の夫婦にしたって、あからさまではないものの、彼らの物腰や口調から周囲から人種差別の憂き目にあっているのは明らかである。調べてみるとノースカロライナは相当保守的な風土のようで、何も突飛な描写ではないようである。

主に60年代を舞台にしているものの、カイアの家庭環境は現代の貧困白人、あのヒルビリーエレジーそのものといった風情がある。とくに彼女の父親はそうで、自信を喪失しているのか家にこもってばかり、無職のくせにDVを働くクソ男である(彼には戦争にまつわる悲しい過去はありそうだが)。そしてそんな父親や近付いてくる男たちの理不尽なまでの暴力の標的になっていたのは、今も昔もカイアのような弱い女性だった。カイアはそんな中生き抜く術を身に着け、少しずつ自分の人生を確立していく過程が過去パートでは相当丁寧に描かれる。

なるほど、つまりこうした偏見の目をもった人間たちが、一人の貧しくていたいけな女性を無理やり殺人犯に仕立て上げようとしているのだな、そしてそんな差別と偏見の構造に押し込まれた女性が無実と自由を勝ち取るべく闘うお話なんだ、という現代につうずる構図が観客側に見えてくるあたりからこの映画は本番となる。

何か含みのある書き方となったが、まぁ映画の10分の9まではかなり泥臭い地味な人間ドラマが展開されると思っていい。が、エンドクレジットが終わった後でその評価は唐突に一転した。なかなかハイコンテクストでテクニカル、なによりメタフィクショナルな映画だと思った。

例を挙げるときりがないほど周到に準備がされているが、たとえば、キャスティングにもそれがいえる。幼年期から大人のカイアを演じた女優さんは何人かが担当しているのだが、それぞれ違った個性をもっているが、誰もがとても感じがすごくいい人だったりする。とくに成人を迎えた彼女を演ずるデイジー・エドガー=ジョーンズは、人目をはばかって隠遁生活を送っていたという設定の人物を演ずるわりに異様に容姿の整った人で(追記22/11/26 俳優さんやその役柄の容姿について言及してしまったのですが、読み返してみてこれはルッキズムに該当する記述と感じましたので、取り消し線で撤回します。それに伴い同時に前後の文脈で矛盾が生じないよう文章の手直しもしております。すいませんでした)、これはある意味でミスキャストじゃねと思ったりするのだが、その起用も何気に重要な要素だったりする。

このヒューマンドラマっぽい顔をした物語全体に仕掛けられた罠は、作中の登場人物ではなくて明らかに我々に標準を設定されている。そこで映画をみてるあなたもまた、何かのひどい偏見に囚われてやいやしませんかね? というかなりエッジの効いたメッセージ入りの弾丸が、気が付けば登場人物の一人として巻き込まれた観客の心に撃ち込まれたとき、ようやくこの映画の幕を下ろす。映画の最後の犠牲者であるあなたは、その時いったい何を思う!? と問われたような気がしたし、今もその感情に私は囚われている。

※最後に、この映画は性暴力的な描写がある。そうした犯罪に立ち向かうひとのお話でもあるが、もしあなたがそういう描写を見たくないのであれば、無理して見なくてもいいと思う。

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