ロボット・AIは、人間の競技を壊すのか?
ロボットがハーフマラソンで人間を超えた。
少し前なら、冗談みたいなニュースだったと思います。
しかし近年は、二足歩行ロボットの進化が凄まじく、「走る」という極めて人間的な動作にまで、AIやロボットが踏み込み始めています。
そんなニュースを見た直後、2026年のロンドンマラソンでは、人類初となる公式レースでのサブ2達成が生まれました。
しかも2名同時。
さらに3位の選手ですら既存の世界記録を更新するという、とんでもない高速レースでした。
正直、少し不思議な感覚がありました。
機械は確実に進化している。
しかも「走る」という身体性の領域にまで入り始めている。
それなのに、自分はロンドンマラソンのサブ2に強く感動していた。
やはり人間が限界へ挑戦する姿には、特別な価値があるのだと思います。
そして同時に、こんなことも考えました。
ロボットやAIは、人間の競技を壊すのか?
それとも、進化させるのか?
正直、純粋な性能勝負だけなら、多くの競技でいずれロボットやAIが人間を超える可能性はかなり高いと思います。
実際、現在のマラソンですら、AIによるフォーム解析やペース最適化、リアルタイムデータ分析など、「効率化」の要素が急速に増えています。
つまり現代マラソンは、既に「いかに効率良く走るか」という競技へ変わり始めているのかもしれません。
そこで思い出したのが、囲碁AIの存在でした。
2016年、AlphaGo が世界トップ棋士を破った時、囲碁界には大きな衝撃が走りました。
当時は、「人間はもうAIに勝てない」「囲碁の価値が変わる」「研究する意味がなくなる」といった声もかなりありました。
しかし実際には、少し違う未来が来ました。
特に印象的だったのが、囲碁界がかなり早い段階で、トップ棋士をAIとの対局へ送り出したことです。
李世ドル。
そして 柯潔。
どちらも、その時代のトップ中のトップでした。
もちろん、敗北のリスクもあったと思います。
AIに負けることで、人間の価値や権威が揺らぎ、競技そのものの魅力が失われるのではないかという不安も強かったはずです。
それでも囲碁界は、AIとの対局を避けませんでした。
むしろ、「AIから何を学べるか」という好奇心が勝り、早くからAIとの対局、AIでの研究の方向へ進んでいった印象があります。
一方で、将棋界は少し違う空気だったように思います。
もちろん今では将棋界もAI研究を積極的に取り入れています。
ただ初期段階では、ソフト指し問題やカンニング問題などもあり、トップ棋士とAIの対局にはかなり慎重だった印象があります。
AIに敗北することで、「人間らしさ」や「棋士の価値」が揺らぐことへの警戒感も、囲碁界以上に強かったように感じます。
これはどちらが正しいという話ではありません。
ただ、「AIをどう受け入れるか」で、その後の競技の進化の仕方はかなり変わるのだと思います。
実際、囲碁界ではAIによって、長年積み上げられてきた常識が次々に塗り替えられました。
定石。
形。
地の感覚。
厚みの価値。
つまりある意味では、AIは囲碁を“壊した”とも言えます。
しかし面白いのは、人間棋士たちは、AIに負けたから囲碁をやめたわけではないということです。
むしろ、「こんな打ち方があったのか」と、囲碁そのものをより深く研究し始めた。
AIは、囲碁を壊した一方で、囲碁を進化もさせたのです。
これは、マラソンをはじめとする他の競技でも同じことが起きる気がしています。
今後さらに、AIフォーム解析やロボット研究、センサー分析などが進めば、「人間にとって最も効率的な走り」が今より遥かに高精度で分かるようになるかもしれません。
つまりロボット研究は、単なる「人間の代替」ではなく、「人間を理解する研究」でもある。
これは囲碁AIとかなり似ています。
そして今、その波は頭脳競技だけではなく、“身体性”の領域にまで来ています。
少し前まで、AIが人間を超えるのは、囲碁や将棋のような頭脳競技だと思われていました。
しかし今は違います。
ロボットは、「走る」という極めて人間的な動作にまで入り始めている。
そう考えると、今後AIが影響を与えるのは、マラソンだけではないのかもしれません。
サッカー。
野球。
格闘技。
もっと複雑な身体競技ですら、「人間の常識」が塗り替えられる時代は、案外遠くないのではないかと思います。
それでも、人間の価値そのものが消えるとは思いません。
むしろ逆です。
ロボットが完璧に近づくほど、「不完全な人間」の価値が際立つ気がします。
人間は、苦しみ、失敗し、緊張し、怪我をする。
それでも挑戦する。
そこに感情が生まれる。
実際、ロンドンマラソンのサブ2に感動したのも、単なる数字ではなく、「人間が限界へ挑戦している」ことに心を動かされたからでした。
囲碁AIは、確かに囲碁を壊しました。
長年積み上げられてきた定石や価値観を塗り替え、人間の常識を次々に覆していったからです。
しかし同時に、AIは囲碁を進化もさせました。
人間だけでは辿り着けなかった発想を示し、棋士たちはそこから新しい囲碁を学び始めた。
つまり、「壊す」という言葉には二つの意味があります。
競技の価値を失わせる壊し方もあれば、古い常識を壊すことで、競技を次の時代へ進化させる壊し方もある。
そして、そのどちらになるかは、AIそのものではなく、人間側がどう受け止めるか次第なのかもしれません。
囲碁界が、敗北を恐れながらもAIと向き合ったように。
今後、マラソンでもロボットやAIによって、「人間の走り方」の常識は変わっていくと思います。
それは、人間の価値を奪う未来なのでしょうか。
それとも、人間が自分自身をより深く理解していく未来なのでしょうか。
少なくとも、自分には後者に見えます。
だから未来のマラソンは、「人間 vs AI」ではなく、「AIを使いながら、人間がどこまで限界へ挑めるか」という競技になっていくのかもしれません。
