「好き」は、人生を動かす——東方神起との出会いから「私にもできる」と思えるまで
今では、韓国語は私の仕事や、これからの生き方を考えるうえで欠かせないものになりました。
でも、韓国語を始めた頃の私は、それを仕事にしようとはまったく考えていませんでした。
始まりは、ただ「好き」という気持ちでした。
1|2009年、テレビから聞こえた歌声に足が止まった
それまでの私は、音楽といえばROCK一筋。
ライブに行けば拳を上げて騒ぎ、フェスに行けば朝からビール片手に踊り狂う。
そんな私の人生が、2009年の1月、突如動き始めます。
ある日、背中越しに聞こえてきたテレビの歌声に、思わず足が止まりました。
(何だ、このきれいな声は……?)
パッと振り返ってテレビを見ると、そこにはスラッと背の高い5人の男性がいました。
画面に表示されたグループ名は『東方神起』
(東方神起……? すごいネーミングセンスだな……。ん? 韓国人?)
ところが、MCになると彼らは流暢な日本語で話し始めたのです。
きれいな歌声、ダンス、ビジュアル、そして韓国から来た5人が日本語で話しているという事実。
それまで韓国の音楽に触れたことがなかった私に、いくつもの驚きが一気に押し寄せてきました。
私はすぐに彼らのことを調べ始め、そのまま一気に東方神起の世界へ引き込まれていきました。
※初めて聞いた東方神起の曲『Bolero(ボレロ)』
2|出会って数か月で、上海まで追いかけていた
ここからの私の駆け抜け方は、今振り返ってもすごかったと思います。
東方神起を初めて見てから、まだ1か月ほど。
5月からツアーが始まると知った私は、2月末の一般発売日、極寒のなか夜中の2時からチケットぴあの前に並びました。
どうしても、彼らの歌を生で聴いてみたかったのです。
無事にチケットを手に入れ、その年の5月にはさいたまスーパーアリーナ、6月には大阪城ホールへ。
7月には、彼らにとって初めてとなる東京ドーム。
そして10月。
私はなんと、東方神起を追いかけて上海まで行っていました。

この上海公演が5人で行う最後の単独ライブになるとは、このときの私は知る由もなかった…
テレビで偶然見かけてから、まだ1年も経っていません。
「好き」の力は、本当にすごいものです。

3|彼らの言葉を、母国語のまま理解したかった
東方神起を初めて見たとき、歌やダンスのパフォーマンスと同じくらい、私の心を動かしたものがありました。
それは、彼らが流暢な日本語を話す姿です。
異国で活動するだけでも大変なはずなのに、通訳を介さず、自分たちの言葉でMCをしている。
その姿に、私は胸を打たれました。
そして、こう思ったのです。
「彼らがこうして日本語で伝えてくれるなら、私は彼らの母国語を学び、その言葉を直接理解したい」
初めて彼らを見た、その日のことでした。
翌日には本屋へ行き、日韓辞書を購入。
韓国語の歌詞をノートに書き写し、辞書を片手に、一つひとつ意味を調べ始めました。
私が初めて訳した曲は、東方神起の韓国デビュー曲『HUG』です。
推しだったチャンミンのパートに、
하루만 너의 고양이가 되고 싶어
たった一日だけ、君の猫になりたい
という一節がありました。
意味が分かったあとは、あまりのかわいさに、チャンミンを見るたびニヤニヤしていたのを覚えています笑。
仕事のためでも、資格のためでもありません。
ただ、好きな人たちの言葉を理解したい
それが、私の韓国語学習の始まりでした。
4|韓国語がくれた「私にもできる」という自信
東方神起との出会いをきっかけに、私は趣味として韓国語の勉強を続け、
音楽はもちろん、韓国ドラマや映画にも、どんどん夢中になっていきました。
そして2013年の冬。
28歳の私は、人生で初めての一人海外旅行に挑戦します。
行き先は、もちろん韓国です。
当時、特に韓国映画にハマっていた私は、この旅行で自分に一つのミッションを課しました。
それは、
韓国の映画館で、一人で映画を観ること
当時の韓国語力は、まだ会話ができると言えるほどではありませんでした。
映画館のシステムも、日本と同じなのか分かりません。
一人でカウンターへ向かうのは不安でしたが、それ以上に「韓国の映画館で映画を観てみたい」という気持ちが勝りました。
カウンターへ行き、たどたどしい韓国語で、
「〇〇〇〇(映画のタイトル)」「一人」「ください」
と、知っている言葉を必死につなげました。
決して流暢な韓国語ではありません。
それでも言葉は伝わり、無事にチケットを手に入れることができました。
そして私は、一人で韓国の映画館に入り、映画を最後まで観るというミッションを達成しました。
映画の内容をすべて理解できたわけではありません。
韓国語を上手に話せたわけでもありません。
それでも、自分が知っている言葉を使って、やりたかったことを実現できた。
映画館を出たとき、私の中には、
「完璧にできなくても、やってみれば何とかなる」
という小さな自信が生まれていました。
このときの成功体験がうれしくて、その後も韓国へ行くたびに映画館へ足を運ぶようになりました。

2009年に「彼らの言葉を理解したい」と始めた韓国語が、いつの間にか、私を一人で海外へ向かわせ、知らない場所で挑戦する勇気までくれていました。
5|趣味だった韓国語が、人生の選択肢になっていった
2009年に韓国語を始めた頃の私は、将来それを仕事にするとは考えていませんでした。
ただ東方神起の言葉を理解したくて、歌詞を訳していた。
ただ韓国映画が好きで、一人で映画館へ行ってみた。
その時々の「好き」や「やってみたい」という気持ちに従って、少しずつ行動していただけでした。
けれど、その一つひとつが積み重なり、韓国語はいつの間にか、趣味の枠を越えていきました。
「韓国語を使える仕事がしたい」と考え、日本語学校で留学生と関わる仕事を選んだこと。
コロナ禍に字幕翻訳を学び、副業として仕事を受け始めたこと。
韓国の制作会社へ転職し、韓国語で会話をしながら働いたこと。
そして今、韓国語を軸に、字幕翻訳や動画編集、発信を掛け合わせながら、現場通訳という新しい目標にも挑戦していること。
振り返ってみると、その始まりはすべて、2009年にテレビから聞こえてきた歌声でした。
おわりに|「好き」は、すぐ仕事にならなくてもいい
2009年の私は、韓国語が仕事になるとも、生き方を考える軸になるとも思っていませんでした。
ただ、好きだったから始めた
すぐに結果が出なくても、仕事に直結しなくても、好きで続けた時間は、少しずつ自分の中に積み重なっていきます。
そして後から振り返ったとき、点だった経験が一本の線につながることがあります。
私にとって、韓国語がまさにそうでした。
東方神起の言葉を理解したくて、翌日に買った一冊の日韓辞書。
一人で映画を観るために、勇気を出して立った韓国の映画館のカウンター。
韓国語を仕事に生かしたくて、学び直すために使った10万円。
そのときは別々に見えていた選択が、今の私につながっています。
好きなことが、すぐに仕事にならなくてもいい。
好きだから知りたい。
好きだからやってみたい。
その気持ちで続けてきた時間は、いつか自分でも思っていなかった場所へ連れていってくれるかもしれません。
これから、韓国語が趣味から仕事へ変わっていった過程や、その間に私が選んだ学びについても、少しずつ書いていきたいと思います。
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