無宗教・無神論者なのに、お守り落として気持ち悪い
毎年、母が元日にくれるお守り。ヤツを落としてしまった。失くしてしまった。
今や財布を持たず、カード入れ、それも運転免許証とマイナンバーカードが入る物しか持ち歩いていないのだけれど、その中に入れていたお守りが消えてなくなった。
無宗教・無神論者なのに気持ち悪い。
こんなことなら最初から持たなきゃよかった。持たされなきゃよかった。
って思ったけど、実のところ、無宗教・無神論者ではないんだろう。
⛩️ ← このマークを書くと立ち小便が減るという、まるで割れ窓理論みたいな話を聞くけど、それって実は「よく分からんけど何かへのありがたさ」だとか、「よく分からんけど何かの畏れ」だとか、そういうものをよく表していると思う。
日本人には、自分を無宗教・無神論者だと思っている人が多いけど、実は文化、伝統、生活様式、ライフスタイル(同じ意味やん!)に知らず知らずのうちに根付いているのが宗教。
宗教 → 文化、伝統、生活様式
の場合もあれば、
文化、伝統、生活様式 → 宗教
の場合もある。と思う。知らんけど。
たとえば、ユダヤ人は「よし、アブラハムの宗教を信じるぞ!」なんていう動機で信じてないわけで、生まれた瞬間にユダヤの文化や伝統や生活様式を受けているからユダヤ人なわけで。
とどのつまり、私も例外なく生まれていきなり日本人だった。「王」なんて名字だけど。それだけの話なんだな。
だって、箸から箸へ食べ物を受け渡しするのを気持ち悪がるし、ご飯に箸を立てるのを気持ち悪がるし、もちろんお守りを落として気持ち悪がるし……色々気持ち悪いことはある。
お守りよ、いずこへ?
ああ、それと、無神論と無宗教は別物だというトリビア、適当にググってね。
で、映画の話。
いま『教皇選挙』が絶賛上映中だけど、宗教映画と言えばやはり、シナノ企画の映画でも幸福の科学の映画でもなく、ビートたけし原作『教祖誕生』だね。
文:王ケイ
