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『Flow』それぞれの居場所をめぐって【映画感想文】

ギンツ・ジルバロディス監督の他作品も面白かったです。

世界が大洪水に包まれ、今にも街が消えようとする中、ある一匹の猫は居場所を後に旅立つ事を決意する。流れて来たボートに乗り合わせた動物たちと、想像を超えた出来事や予期せぬ危機に襲われることに。しかし、彼らの中で少しずつ友情が芽生えはじめ、たくましくなっていく。彼らは運命を変える事が出来るのか?そして、この冒険の果てにあるものとは―?

『Flow』公式HPより引用
https://flow-movie.com

はじめに

 『Flow』(2024)は、ラトビアのギンツ・ジルバロディス監督による長編アニメーション作品である。2025年3月14日に日本で公開され、第97回アカデミー賞長編アニメーション賞を受賞した。本作は、洪水により水没した世界を舞台に、猫をはじめとする動物たちがボートで旅をする物語である。人間が登場せず、セリフもない映像表現が特徴であり、視覚的に物語が展開される。制作にはオープンソースソフトウェア「Blender」が使用され、約6億円という低予算で制作されたことも話題となった。本稿では、本作を「居場所」というテーマで読み解くことを試みる。

1_ボートの「中」という場所

 むかし「猫と大工は気持ちのいい場所を見つけるのが得意」と人から教わったことがある。猫だけでなく犬も、自分が心地よいと感じる場所を探しにいく。大工も昼休みに現場で日陰になった心地よい場所で昼寝をしていたことから、そう言われたのだろう。わたしの生家には猫が3匹、犬が1匹、そして父親は大工をしていた。夏は日陰や冷たい床、冬は窓際の陽だまりをめぐって、猫も犬も人間も、場所の争奪戦を繰り広げていた。その記憶が、本作に登場する動物たちがボートの上で「気持ちのいい」場所を探して動く姿に重なった。

 動物たちが乗るボートは小さい。しかしそれは人間の尺度によるものであり、動物たちにとっては複数の「場所(スポット)」が存在している大きな空間だ。カメラの視点が動物たちに寄り添うことで、ボートの「上」は「中」へと変化し、ボートの壁が外の世界を遮る「境界」として機能しはじめる。さらに、ボートには「2階」「屋根」、そしてマストの上という「屋上」まである。とくに猫は、軽やかにマストの上へと跳び上がり、安息の地を見つける能力に長けている。

 すなわち、本作の前半では動物たちがボートの「中」で流動的に動き回る様が描かれ、それが後に描かれる「外」の世界との差異を際立たせているのである。

2_居場所を求める動物たち

 「外」の世界は極めて奇妙な景観を持つ。かつて人間がいたであろう廃墟や構造物が並び、見慣れない空間が広がっている。しかし、本作では人間がなぜいなくなったのか、洪水の原因は何かといった謎には明確な答えが提示されない。あくまでも背景として、世界の不在が設定されているにすぎない。それがかえってミステリーとなって観客を引きつける。

 猫にとっての居場所は、もともと暮らしていた家であった。その家が水没し、旅が始まる。家は犬が入ってこない安全な場所であり、理想的な安住の地だった。その喪失感が今作の冒頭におけるシークエンスを盛り上げる。

 「犬は人に懐き、猫は場所に懐く」という言葉通り、犬たちは他者との関係を軸に居場所を築こうとする。群れというよりもチームや運命共同体に近い関係性を持っている。監督はインタビューでこう述べている。

はじめのうち、猫はとても自立していて、他の動物と一緒にいたがりません。単純で教訓的な考えに基づく映画にはしたくなかったので、正反対の旅をする犬のキャラクターでバランスを取りました。初めのうち、犬はいつも誰かの後をついていきます。でも最後には、犬はより自立し、自分で決断するようになります。

『Flow』パンフレットより引用

つまり犬にとっての居場所は、他者にあるものとして描かれ、意思決定の根拠の描き方も変わっていったと言えるであろう。

 キツネザルの居場所も具体的な場所ではない。キツネザルはモノに執着している。モノの所有はキツネザルの社会において、他者との関係を媒介する装置として描かれている。ヘビクイワシは猫と同様、居場所を失った存在である。猫を助けた「罪」により群れを追放され、ボートに乗り込むこととなる。だが、唯一ボートの「外」を見つめ続ける存在でもある。これもまた後述しよう。

 一方で、カピバラはほかの動物たちと異なり、変化が描かれることがない。監督はこう語っている。

この物語にカピバラを選んだのは、カピバラがあらゆる動物とうまく付き合い、ライオンやワニと一緒に穏やかに眠っている映像を見たからです。猫や犬ともね。この物語にそういうキャラクターを登場させるのは自然なことだと思いました。

『Flow』パンフレットより引用

カピバラはただそこにいるだけで、ほかの動物たちに少しづつ影響を与える存在だ。監督の言うとおり、そういった存在は確かに、人間の世界でも周りにいないだろうか。そういった人に対して、居心地がいいと感じることはないだろうか。わたしは少なからずそういった人物が1人は思い当たる。そういった存在は居場所でもあり得るのである。つまりカピバラは居場所を失ったり求めているのではなく、居場所そのものとして描かれている。映画のラストにボートごと落下してしまいそうになるカピバラを動物たちが助けだそうとするのは、「居場所を失いたくないから」ではないだろうか。動物たちに社会的な意味を与えている今作ではあるが、実はカピバラが最も社会的な存在として描かれているのかもしれない。

3_他者を受け入れるという変化

 冒頭で猫は家で1匹暮らしているが、ほかの動物たちを極端に恐れている。後に同舟する犬たちに追いかけられたり、ボートの上で他の動物と過ごすのは、猫にとってとてもストレスフルな出来事であろう。しかしストーリーが進むにつれ、ほかの動物たちとの出会いによって、未知の他者である存在を受け入れ始める(とくに鯨の描かれ方は印象的だ)。とくに冒頭で猫が水面に顔を映す場面が、ラストでは複数の動物たちと共に映るシーンに変わることで、猫の内面の変化が描かれる。しかしその場面に、ヘビクイワシだけは映っていない。

 ヘビクイワシは、象徴的な岩山の頂上で、不思議な光に包まれて消えてしまう。ミステリアスな描写であるが、監督の言うとおり、猫は家という居場所を失い一人になりたがっているが、ヘビクイワシが居なくなることによって、下に降りて新しい居場所である動物たちを探しはじめる。前述したように、ボートの「中」から「外」の世界を見つめ、進路を定めるヘビクイワシの姿は、猫にとっての指標となり、自らの居場所が何かを再確認するターニングポイントであると言えよう。

4_リアリティと寓話のあいだで

 本作の魅力のひとつは、動物たちの動きのリアリティにある。猫が鏡の光に反応したり、犬が遊びに夢中になるといった描写は、動物を飼った経験のある者なら納得のいくものだ。

 しかし同時に、それらのリアリティは目的ではなく手段である。動物たちの「意思決定」や「関係性」は明らかに擬人化されており、寓話的な意図が強い。監督は次のように述べている。

ただ、僕たちがやろうとしたのは単なるコピーではなく、あくまで「解釈」です。僕自身、ただリアルな映像を作ることにあまり興味がなくて、自然を観察しつつ、それを物語のために再構築することが大切だと思っています。

animate Timesより引用
https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1739841041

たしかに、ボートに舵もなく動物たちがコントロールできなくても、映画としては「たまたま流れ着いた先で〜」という筋書きにいかようにも出来るであろう。しかし、動物たちキャラクターが自ら舵を取り、進むべき道を選ぶという描写は、リアリティを越えて物語としての必然性を帯びている。

 実際にうちの猫や犬を思い出すと、「もしかしたら本当に舵を取るかもしれない」と思わせられる (ただの親バカの可能性もある)。歌川国芳のように、動物たちに人間的な想像力を託すことが、本作の根底にある魅力なのであろう。

さいごに

 『Flow』は、動物たちのリアルな生態描写と、寓話的な構造を絶妙に融合させた作品である。「居場所」をめぐるテーマを軸に、空間や関係性、さらにはアイデンティティにまで踏み込んで描かれる物語は、私たち人間の生き方にもどこか通じている。人がいなくなった世界で、なおも他者とのつながりや居心地の良さを探し続ける動物たちの姿に、私たちは何を重ねるのか。静かな感動とともに、深く考えさせられる一作であった。


おわり

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