日出処のアッティスと秦氏(2)
アッティス
ギリシャ神話に、アッティスという神様がいます。AIに「アッティスを描いて!」と言って、書いて貰ったのが、見出し図です。日出処の天子の世界なので、日出処のアッティスと名づけました。
ミトラス教のミトラのルーツを探ると、アッティスとアドニスに辿り着きます。アッティスとアドニスは、非常に似ているのですが、アッティスがアナトリア地方の神なのに対し、アドニスは、シリア・フェニキアの神です。
ミトラはフリギア帽を被っているので、どちらがミトラに近いかと言うと、アッティスの方が近いと思っています。
キュベレーとアッティスの誕生
ゼウスが眠っているうちに大地へ精液を放ち、その後、時が経って大地は男女両性を備えたダイモンを産んだ。地元では、このダイモンをアグディスティスと名づけている。神々はこのダイモンを縛って男根の方を切取った。この男根からアーモンドの樹が生え出て実が熟した時、サンガリオス河神の娘がこの実を採った、という話で、娘がくぼみに実を納めると、実はたちまち見えなくなって娘は身ごもった。お産がすむと、生れ出た児を雄山羊が世話した。
子供が大きくなるにつれ、その美しさは人間の域をこえていたため、アグディスティスは若者への恋のとりこになった。
このアグディスティス(ダイモーン)の男根を切取られた神が、地母神キュベレーです。
ローマにキュベレーの御神体として運ばれたのが、円錐形の黒い隕石だったようです。おそらく、隕石をゼウスの精液に譬え、その隕石が、フリュギアの大地に落ち、アグディスティスが生まれた。そして、アグディスティスからキュベレーに、御神体が引き継がれたものと思われます。
アッティスのほうは、生まれた子が男女の違いはあるものの、日本神話でも似たような話(丹塗矢の話)があります。
古代人は神霊によって子供が生まれると考えていたようなのですが、アッティスの話も、丹塗矢の話も、ストレート過ぎて、古代人らしくない表現になっていることが似ているのです。アーモンドの実も、丹塗矢も、赤色を思わせるのは、精液と月経(血)が混じって子供が生まれると考えているからでしょう。
アッティスの去勢
アッティスの去勢に至る経緯については、異なる話が多々あるのですが、ここでは、オウィディウスの『祭暦』の話を要約して記します。
美少年アッティスが、キュベレーを汚れない愛で虜(とりこ)にした。
キュベレーは、少年が自分だけのものであり、自分の神殿の番をすることを欲して、『おまえはいつまでも少年のままであるようになさい』と言った。
少年は、『もし僕が嘘をついたなら、偽りを犯したが最後、僕が愛を交わすことはありません』との誓いの言葉を言った。
アッティスは誓いを破り、森の精サガリーティス(ニンフ)のために、以前の彼ではなくなってしまった。
キュベレーは怒り、罰をくだす。
ニンフに対しては、(ニンフの住んでいる)樹を切り刻んで倒し、ニンフは死んでしまう。アッティスのほうは、気が狂い、妄言を吐き、尖った岩で自分自身のものを斬り、長い髪を地面に引き摺って砂まみれにした。
彼は股間に下がるものを取り去り、男を示すしるしが、なにもかも消え去った。
ローマにおけるキュベレーとアッティスの春の祭り
祭りの内容は、J.G.フレイザーの『金枝篇』にもとづいています。
3/22 (1日目)
森で松の木を一本切り出してキュベレの聖域に運び、偉大な神として扱う。木の幹は毛織の帯で死体のように巻き、スミレの花束で飾る。(スミレはアッティスの血から咲き出したと言われている)アッティスの青年像を、その幹の真ん中に括り付ける。3/23 (2日目)
トランペットの吹奏3/24 (3日目) 血の日
高位祭司(アルキガルス)が腕から血を出し供物として捧げる。シンバル、太鼓、角笛、フルートの荒々しい音色に興奮した下級の聖職者達が、踊り狂い、陶器の破片で身体に打ちつけて傷つけ、ナイフで体を切って、流れ出る血を祭壇や聖樹に浴びせる。新米の祭司の中には、興奮のあまり自らの生殖器をアッティスのように切り落とし、キュベレーに捧げる。3/25 (4日目) 歓喜の祭典(ヒラリア祭)
アッティスの復活を祝う。
人々は皆言いたいことを言い、やりたいことをやり、仮装して街中を歩き回る。3/26 (5日目)休息日
3/27 (6日目)洗浄(浄め)
アルモ川への行進と沐浴
血の日のキュベレーの聖職者たちの [自身の四肢を切り刻む衝動] は、『祭暦』によると、
アッティスの狂乱に倣って、司祭たちは髪を振り乱し、男の部分を切り落とす。
とのことです。
血の日の楽器は、能の太鼓、鼓(シンバル)、笛(角笛、フルート)を思わせます。
アッティスの死
アッティスの死についても、いくつか諸説があります。
アッティスが去勢の傷がもとで死にかかっているのを見たアグディスティス(キュベレー)も可哀そうになり、ゼウスに頼んでアッティスを死から甦らせようとした。ゼウスによって、アッティスの身体がどの部分も腐ったり溶けたりしないようになった。
アッティスは生まれた時から、子を作れない身体だった。成長しリュディアまで移住し、母神の密儀を行い、人々の尊敬を集めた。このため、ゼウスの怒りをかい、ゼウスはリュディアの耕地に一頭の猪を差し向け、アッティスは猪に殺された。
(以下、引用)
髪の毛を結い上げた格好で、天辺(てっぺん)だけ葉の生い茂る [イタリア] 傘松(かさまつ)もやってきた。これは神々の母 [キュベレ] のお気に入りの木だ。その故は、キュベレの寵児アッティスが、人間の姿を脱ぎ捨て、樹幹となって固まって、この木に変身したからである。
最後の3.のアッティスが松になった、という話には、オウィディウスの『変身』のみに記載がある旨の大西氏の訳注が記されています。
これは、原因と結果が逆で、「キュベレのお気に入りの木が、松だった」ので、オウィディウスが、「アッティスを松の化身にした」ものと思われます。
松(マツ)というのは、1本の同じ木の中に「オスの部分(雄花)」と「メスの部分(雌花)」が同居している(雌雄同株)植物です。

動物だと両性具有になるわけで、
松(雌雄同株) = アグディスティス(両性具有)
ということになります。
『キュベレとアッティス』(M.J.フェルマースレン 小川英雄訳)では、あるアグディスティスの誕生物語を載せています。ジュピターの数滴の精子が、レアの姿に似たアグドゥス山の上にこぼれ落ち、山が受胎した後の話として、次のように語っています。
見るも恐ろしい半陰陽の生物が生まれた。それはアグディスティスと名付けられた。半陰陽は凶兆である。一つの生物の中に男女両性が結合されていると、子孫は他の者の助けなしにどんどん増えていく。このような性質を持った神はヘルマフロディテと呼ばれ、神々にとっても人間にとっても危険なものとされた。
これが、秦氏が能舞台に描く松の正体であり、聖徳太子と秦河勝が祀ったアカマツの弥勒菩薩像の正体だと思います。
日本神話では、両性具有の一柱の神から、男女神の二柱の神になっていく神の系譜を描いています。
次回は、殺牛祭祀についてです。
