日出処のアッティスと秦氏(3)
殺牛祭祀
『ローマ文化王国-新羅』(由水常雄著)を読んで、気になる器台がありました。

これを角杯(リュトン)というのか?は、疑問なのですが、本文では次のように説明しています。
新羅から伽耶にかけて、多くの小杯を、盤上に載せたような容器(上図)や・・・等々、いずれも、新羅、伽耶においてのみ出土するユニークな器形の土器類である。
日本でも古墳から「子持器台」や「子持高杯」などと呼ばれる類似の土器・須恵器が見つかっています。従って、この形状の土器類は、新羅、伽耶においてのみ出土するわけではなく、日本列島でも見つかっています。
ただ、「一体これは何に使ったのだろうか?」と、ずっと気になる想いで過ごしていました。
タウロボリウム
キュベレーとアッティスの密儀を追いかけていると、タウロボリウムと呼ばれる儀式に出会います。

2世紀から4世紀のローマ帝国において、タウロボリウムは雄牛の生贄を伴う儀式を指し、2世紀半ば以降は神々の偉大なる母キュベレの崇拝と結びつくようになりました。
タウロボリウムの儀式では、大司祭は穴の中に立つ。
雄牛は穴の上の台に連れて行かれ、喉を切られて生贄にされました。
雄牛の血が司祭に降り注ぎ、彼に血を浴びせた。
その後、雄牛の睾丸が摘出され、供物として聖域に運ばれました。
この儀式は、ローマ市民の去勢が禁じられていたため、大祭司の去勢に代わるものとして行われました。
神器ケルヌス(Kernos)
タウロボリウムの儀式で、供物を運ぶ土器が「ケルヌス」と呼ばれているようです。

この写真を見た瞬間、驚きを隠せませんでした。先の新羅・伽耶出土の小形器台付角杯や、日本列島の子持器台と似ているではありませんか。
そこで、日本の子持器台を調べて、もっとも上図のケルヌスに近い土器が、
たつの市埋蔵文化財センター保管の下図の袋尻浅谷3号墳から出土された土師器子持器台でした。

「写真提供:たつの市」
袋尻浅谷3号墳は、秦河勝や聖徳太子が活躍した6世紀末から7世紀初頭のものとみなされています。このケルヌスは、土師器なので、日本列島内で作られており、ギリシャ・ローマ世界から、そのまま持ってきたものではありませんが、ローマ帝国内では、密儀宗教の祭司に関わった一族にしか作れない神器であるということです。
『キュベレとアッティス』では、このケルヌスに関して、次のように述べています。
・犠牲獣の生殖器(ヴィレス)がカエルヌスと呼ばれる容器に収められた
・カエルヌス或いはケルヌスと呼ばれるこの種の容器は大型の高杯の上面に一連の小型のカップが付けられたもので、とりわけエレウシスのデメテルとプロセルビーナの密儀で用いられた
・プテオリからも長い碑文がでているので、明らかにそこには大地母神殿があったに違いない・・・非常に多くのキュベレの信者たちがいた・・・第三の碑文はヘリア・ヴィクトリーナの墓碑銘で、彼女は儀式の際にケルヌスを運ぶ役割をした
・ケルヌスは一個の容器に幾つもの小型のカップが付けられたものであるが、ギリシァ人の宗教儀式でしばしば用いられていた。このケルヌスに受けられたものは、実はヴィレスであったということが広く信じられて来た。・・・しかし・・・ヴィレスに入れられたのは牡牛の血だけであり、ヴィレスその物は埋められたのであろう
・ケルヌスはエレウシスの密儀によって最も良く知られている(第一ハ図)。そこからアッティスの密儀の発展に大きな影響が及んだことは確かであろう。ケルヌスの中の小さなカップには、「ケルヌス運び」という名前の儀式の中で信者によって女神に捧げられた、「万物の種子」を象徴する五穀が入れられていた。
フェルマースレンは、「エレウシスの密儀では、ケルヌスには五穀が入れられていた」と語るものの、アッティスの密儀では、「牡牛のヴィレス」あるいは「牡牛の血」としながらも、謎のままである、としています。
英語版のwikipediaでは、
ケルヌスは、エレシウスの密儀で祭司の頭に乗せて行列で運ばれた。
ランプが(運んでいる時でなく)静止した時のケルノスの中央に置かれることもありました。
と、書かれています。ケルヌス運びという言葉があるように、本来の密儀ではケルヌスで運ぶことに意味があったと思われます。
