見出し画像

謝霆鋒(NicholasTse)を尋ねて

2002年1月に発売だったというアルバム「Me」です。

蘇有朋の同好で知り合った香港の”Joey仔”から海外郵便でもらったのを紹介しておきます。
2002年6月末に蘇有朋の台湾でのファンイベントに参加をしたより少し前だったかもしれません。
どっちにしても、私が

「蘇有朋の日本人の勇気のあるファン」

として特に海外からも多くから注目をされた後にもらったんだと思います。

Joey仔のBFが当時香港で謝霆鋒の職場の近くで働いていたことがあり、
その時にその「BF」を通して彼本人に私の話をして頼んだら快くサインに応じてくれたということでした。

尖がった感じで冷たそう、偉そうにしていそうなイメージを持たれがちだった謝霆鋒のそんな実話をそのまま話したら、
2002年6月末に台北市での滞在先を提供してくれたウォンバットさんがものすごく驚いていたのは言うまでもありませんでした。

「日本に自分のファンがいる、海月ちゃんがいるということを思いながら熱心に書いてくれたんだと思うよ」

これはその通りだったかと思います。

彼女は、生の謝霆鋒は2001年8月に福岡空港で、GLAYの大規模コンサートのゲストで彼や他の海外アーティストと同時に来日をしたという台湾の五月天(メイディ)の特に阿信と2ショット写真やサインなどに応じてもらえたりとかをしたときについでに見かけたことがあり、
VIP専用通路からクールに出国をしていったという謝霆鋒に対して五月天は一般の出国通路からフレンドリー(?)に出国していったとか、
五月天はたくさんいた彼らのファンたちをしばらくの間謝霆鋒のファンだと思っていて、日本での知名度なども少なそうだった自分たちのファンだった件がわかり次第びっくりしつつも喜んでいたらしいという逸話も忘れたくないので残しておきます。

表紙にサイン
9枚のブロマイドにも1枚ずつにサイン、ジャケットの内側(右下)にもサイン
CD、VCD(真ん中)にも丁寧にサインをくれています。

若い時の謝霆鋒は今見ても女の子みたいでカワ(・∀・)イイ!!ですね。(^^♪

今は年を取ってやせたみたいになっているらしいですが、父親のこの人も若い時はツヤツヤで人気だったということですね。

やしきたかじんに似ている、という感想は私の母だけではなかったのも残しておきたいと思います。(´ー`)

「2000年夏に初公式来日、そのあとすぐに開催があった香港コロシアムでの謝霆鋒のライブに”大して興味もない友達”を巻き込んで2泊3日ほどで一緒に行って来た」

やらを当時ものすごく苛烈にDMで私に送り付けてきた山里亮太似のブサ女らは多くはこの頃には結婚、目を吊り上げて出産などをしていたらしいのが実名で確認が取れたのはさんざん配信もしていますが

どっちにしても彼女らには無縁の「穏やかな記憶」とかがたくさんあるのはありがたいことだって思っています。(´ー`)

2000年ごろに東京でのお花見オフ会で対面をしたことなどのあった方などからもらった公式来日時の素敵ショットなども残しているうえに、
当時から今でも大した傷みなどがないままで使っているキティちゃんの可愛い写真ケースに空きがあったのでそこにまとめてしまいなおしておきました。

うっすら写っているのは、2000年に開催があったという東京国際映画祭などで開催がされた謝霆鋒、馮徳倫の来日舞台あいさつでのショットの一部です。

私が参加ができなかった東京などでのイベントなどのおすそ分けとしても写真を撮ったファンの方たち本人からいただけたりをしてうれしかったので残しています。
写真ケースはサンリオショップかどこかで購入をしましたが、1999年に製造、発売などがされたものが今でも大して傷んだりもなく現役で使用ができています。☆彡

当時の楽しかった盛り上がりを横から暗~く覗いてメラメラ、イライラしていた多くの、私の特に元同級生とかの変な人たちが今でも目に浮かびます(´ー`)

仲良しな集合写真を撮ったりをするのは私は若い時ほど好きだったうえに実行もしていた(しかもできていた)のですが、
大きくは1994年、日吉寮(京女)の相部屋同士でとか、夜桜を見に行った日とか、
京大の学生集会所にあったタタミ部屋でとか、エキスポランドでとか、演奏会の打ち上げでとかタイツアーでとかが入口みたいでバンバン撮っていましたが、

これらはイメージ的には簡単そう?みたいですが難易度が高いということみたいですね?(゜_゜)

どうでしょうか?…

磯野海鼠_海星海月

いいなと思ったら応援しよう!

磯野海鼠 よろしければ応援お願いします!いただいたチップはクリエイターとしての活動費などに使わせていただきます!!!