色彩のノイズ
広くもない八百屋の店内。
買うものがきっちり決まっていたわけでもなく、
「玉ねぎも高くなったな」なんて思いながら、なんとなく野菜を選んでいた。
その時、少し離れたところで会話が始まった。
綺麗な声の女性が、品のある口調で、
「ベニアズマとベニハルカって、どう違うのかしら」
と聞いた。
「ベニアズマは、ほくほくしてますね。昔ながらの焼き芋って感じで」
店員は少し考えながら優しい口調で答えた。
「ベニハルカは、甘みが強くて、しっとりします。冷めても甘いですよ」
甘さの違いだとか、焼いた時の食感だとかを、丁寧に説明している。
ふたりの会話は、急ぐ必要のない時間みたいに、店の中に流れていた。
わたしは穏やかなやり取りを、顔も見ずに、
ただ心地よいBGMのように背中で聞いていた。
「……そう。じゃあ、甘いのがいいわね」
彼女のその一言のあと、籠にゴロリと何かが収まる音がした。
そのタイミングで、バッグの中から携帯の音が鳴った。
「もしもし」
その声に、私は反射的に振り向いた。
どこかで聞いたことがあるような、記憶の隅をかすめる響き。
通話を続ける彼女の横顔を、失礼にならない程度に、でも確かめるように見た。
――もしや、あの人だろうか。
数年前、憧れて見ていたミニマリストのライブ配信。
そのゲストとして招かれていたのが彼女だった。
「色はノイズですから。原色が目に入ると、疲れてしまいます。」
モノトーンの服に身を包み、一切の無駄を排した彼女の佇まいは、潔く、かっこよかった。
何もかもを捨て去ろうとしていた当時の私にとって、その徹底した美学は、ひとつの憧れだった。
その彼女が今、目の前で、目が覚めるような鮮やかな赤のコートを纏っている。
かつての彼女なら、真っ先に「ノイズ」として排除したはずの色だ。
「え? これから?」
不意に、彼女が声をあげた。
電話を終えるまでのあいだ、その声は、かつての静かな微笑みを湛えた印象とは正反対に、隠しきれない喜びで無邪気に弾んでいた。
電話を切ったあと、その余韻をまとうようにして彼女はゆっくり店内を歩き出した。
宝石のような高価ないちごの前で足を止め、ひとつ籠に入れる。
続けてレジ横の切り花から、オレンジのガーベラを選び、籠に添えた。
どこまでも真っ白な雪に染まる街中へ、彼女の赤いコートは鮮やかに色彩を放ちながら、ふわりと溶けていった。
私はただ、その背中を呆然と眺めていた。
人は、こんなに自由に、鮮やかになれるんだ。
私は、声をかけることはできなかった。
ただ、彼女が去ったあとの棚に残された、もう一輪のガーベラを見つめていた。
私も花でも飾ってみようかな、と思った。
「平穏が乱れること」を恐れて、色を捨て続けてきたあの頃の自分へ、一輪だけ、このノイズを届けてみたいと思った。
きっと小さな花瓶にそっと挿すのだろう。
それは、ほんの少しの想像だけれど。
