相手を変えられない世界で、私が選んだ子どもの守り方|毒親育ちの子育て記
子どものお友達トラブルを目にすると、つい
「許せない」「相手が悪い」
と思ってしまうことがあるかもしれません。
でも私は、そこにこそ
子どもが大きく育つための“学びの芽”があると感じています。
小さな告白
上の子が、夜ごはんの最中にぽつりと打ち明けてくれました。
新しく持っていった名前入りのハンカチを、
「赤ちゃんのガーゼみたい」と言われたこと。
給食のときも、練習用のお箸を使っていると
「まだそんなの使ってるの?赤ちゃんみたいー!」と言われるそうです。
その話し方は、怒っているというより、
どこか苦い、悔しそうな表情でした。
私は一瞬、
「ああ、ちゃんと集団の中で生きてるんだな」と
不謹慎ながら、少しだけほっこりしてしまいました。
でもすぐに、
「そっか。……それは、どんな気持ちだったの?」
と聞き返しました。
思いを言葉に
なかなか言葉が出てこなかったので、
私はそっと選択肢を出しました。
「いやだった?」
「悔しかった?」
「泣きたくなった?」
「それとも怒った?」
すると、
「いやだった」「悔しかった」「違うのにって思った」
そう言ったあと、
「○ちゃんも言われてたんだよ。それってダメだよね」と。
この言葉を聞いて、私は一瞬迷いました。
きっと上の子は、
私にダメだと言って欲しいのだと思いました。
その子を一緒に非難して欲しかったのかもしれません。
自分の正しさを守るために。
ちょっと考えてから、私は聞きました。
「もし、みんなより早くできることがあったら、同じこと言う?」
すると、
「言わない。嫌な気持ちになるから」と。
「ママは嬉しいな。
(上の子)くんには、お友達が悲しくなること言ってほしくないって思ってる。
(上の子)くんは、とっても嫌な思いしたよね。
それを覚えておいてね。」
何と返すのが正解か、いまだにわかりません。
でも私はこう返しました。
上の子は少し何か考えて、
わかった!と短く答えてからは
もう何も言いませんでした。
私の返事の後ろにあったもの
母は、私が友人関係で嫌な思いをしたと話すと、
まるで自分のことのように怒り、ヒートアップしていました。
当時の私は、それが「正義」だと思っていました。
悪いことは悪いと言ってくれる、
私を守ってくれる母なのだと。
でも成長するにつれ、
少しずつ違和感を覚えるようになりました。
母の怒りは、
いつのまにか私のためというより、
母自身の領域を侵されたことへの怒りのように見えてきたのです。
まるで、大切な所有物を貶されたことに
怒っているように感じることもありました。
本当の気持ちは、母にしかわかりません。
それでも私は、
「この関わり方は選びたくない」と思うようになりました。
まるで当事者かのように
私と一緒になって相手を悪く言ったり、
あるいは私そっちのけで相手を非難する姿は、
どう考えても私との間の境界を越えた言動でした。
次第に私は、母の前では自分の辛さを話さなくなりました。
相手は変えられない。でも、自分を大切にして欲しい
子ども同士のこととはいえ、度を越えた行為は、もちろん止める必要があります。
でも、究極、相手が子どもであっても、
「変える」ことはできない世界で私たちは生きています。
親にできることは、
我が子の気持ちを一番に受け止めること。
そして、取れる選択肢を一緒に考えたり、考えるためのサポートをしたりすること。
今回、上の子は気持ちを話してくれました。
私の返事に、どう思い、どう考えたかはわかりませんが、
それ以上は私に求めていないようでした。
お友達とのことは、
この子が自分の心を動かして、
自分の頭と心で考えて試行錯誤するしかない。
親が冷静に、一歩引いて客観的に眺めることは難しいと感じます。
でも、そこをグッと堪えて、
「つらかったのね。大丈夫。
お家でたくさん充電して、ほら、また行ってらっしゃい。」
そういう積み重ねが、親の子離れなのかもしれません。
◾️マガジン|毒親育ちの子育て記
毒親育ちの私が、親としての葛藤や小さな気づきを綴るエッセイ記事をまとめています。
完璧じゃなくてもいい。かけがえのない子どもとの日々からの気づきを、やさしく記録しています。
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