最低限知っておくべき領土の話[尖閣編]
領土・主権展示館へ休日行ってきたので,「3回くらいに分けて領土に関する記事を書いてみようか.やっぱり最初は北方領土ッピね~」と(例の思想激強バードのように)思っていたところ,中国機によるレーダー照射事件が発生.こっちが先でええかとなったので,第1弾は尖閣諸島編とすることに.
そもそも領土問題は存在しない
そもそも尖閣に関しては,1971年あたりから中国サイドが勝手に領有権を主張し始めただけの話であって,領土問題として議論する価値すらない.日本政府としても「領土問題は存在しない」というのが公式見解だ.
そもそも尖閣に関しては,資源目当てに1971年あたりから中国サイドが勝手に領有権を主張し始めただけの話であって,領土問題として議論する価値すらない.日本政府としても「領土問題は存在しない」というのが公式見解だ.ちなみに,1961年に人民解放軍海軍司令部が作成した海図には,ガッツリと尖閣が日本領であるという認識が反映されている.
尖閣諸島の歴史的経緯
まず,日本側について.
尖閣諸島が沖縄に編入されたのは1895年.現地調査で"無人島"かつ"清国支配の痕跡がないこと"が確認されたことを受けての,正式な領土編入だ.領土編入後は,商人・古賀辰四郎に国有地4島(南小島,北小島,魚釣島,久場島)が無償で貸与され,開拓がはじまる.古賀氏のもとでは,アホウドリの羽毛採取・カツオ漁・鰹節の製造などが行われた.1919年に福建省の漁師が遭難・漂着した際には日本人に救助されており,中華民国駐長崎領事から感謝状も贈られている.
敗戦により沖縄の一部としてアメリカ統治下となるが,1951年のサンフランシスコ平和条約で放棄した領土には含まれなかった.そして,1971年の沖縄返還協定で施政権が回復したことにより,本土復帰となった.返還後も黄尾嶼射爆撃場と赤尾嶼射爆撃場は米軍への提供が継続されたが,1978年以降は使用されていない(これについては後述する).
中国側の主張
一方,中国側ではどうか.
明代に台湾の附属島嶼として"発見"したというのが中国の主張だ.なお,単なる"発見"だけでは領有権が認められることはない.明確な領有の意思をもって実効支配する必要があるからだ.また,先述の明治政府のように"他国の支配の及ばない無人地帯"であることを入念に確認する必要もある.これらは一切行われた形跡がない.その上,そもそも台湾の清への編入は1683年であるため,明代には台湾本島すら領有していないじゃねーかというツッコミどころも存在する.
1951年にサンフランシスコ平和条約で日本の台湾および澎湖諸島を放棄すること,また南西諸島を米国の施政権下(あくまでも日本領である)とすることに決まった際にも,中国は異議を唱えていない.その後もしばらくは日本領であるという前提で扱われたことは,人民解放軍が作成した海図の件などからも明らかである.しかし,1969年5月に転機が訪れる.ECAFEによる学術調査で,石油埋蔵の可能性が指摘されたのだ.これをふまえて,1971年12月,中国外交部が尖閣領有権を主張する声明を出し,今に至る.
なお,翌年1972年の日中国交正常化や1978年の日中平和友好条約の際には,尖閣問題は双方触れない形で交渉が進められた.そのため,棚上げに合意したという事実は存在しない.
まとめ
尖閣は領土問題ですらなく,根拠の一切存在しない,単なる中国側の我儘に過ぎない.それも沖縄が返還されたタイミングを見計らってであるので,日本を舐め腐って起こした横暴であるようにしか思えない.アメリカ相手だったら喧嘩を売る度胸もないチキン野郎の癖にと.また,ちょうど米中接近の時期と重なるため,関係に水を差すまいとアメリカ側が対応してしまったことが問題を拗らせているようにも思う.1978年以降アメリカ政府が米軍からの黄尾嶼射爆撃場・赤尾嶼射爆撃場の使用許可を却下し続け,国務省から米海軍へ何十年にもわたって使用停止の指示が出されていたことからも,日中間の領土をめぐる対立にアメリカが弱腰な態度であったのは明らかなのだ.米中という大国の思惑で日本は振り回されている状況だが,東シナ海の平和を守るために何ができるか考えていかなければならない.
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたチップは馬券を通じて農業従事者の支援に活用します