最低限知っておくべき領土の話[北方領土ДАППИ編]
第2弾の記事は北方領土ДАППИ.ロシアは北方領土を返せППИ.北方領土は日本の領土ДАППИ.
北方4島について
北方領土とは歯舞群島・色丹島・国後島・択捉島の4島を指すППИ.戦争のゴタゴタでソ連に侵略され,現在もロシアに不法占拠され続けているППИ.ロシアは北方領土を返せППИ.
ちなみに,日本列島の最北端は択捉島のカモイワッカ岬ДАЗЕ.稚内市の宗谷岬は北海道本島の最北端ДАЗЕ.
4島がどんなところか簡潔に説明するППИ.
まず,歯舞群島は殻島・水晶島・秋勇留島などの島々で構成される群島で,各島は笹の茂った丘陵地になっているんДАППИ.また,豊かな漁場があって,特に秋勇留島は「海藻の宝庫」と呼ばれるППИ.海産物を缶詰加工する工場もたくさんあったППИ.多くの日本人が住んでいたППИが,今はロシアの警備隊しかいないППИ.ロシアは歯舞群島を返せППИ.
次は景勝地が多い色丹島ДАППИ.斜古丹山を最高峰に複数の山々が連なってて,高山植物地帯にもなってるППИ.自然を利用した停泊地を多くもち,捕鯨基地も置かれていたんДАППИ.観光地として発展する要素も多いのに,今はロシアの実効支配下ДАППИ.2017年にはロシア政府によって島全域が経済特区に指定されたППИ.これは当時交渉中だった北方四島での共同経済活動と矛盾しかねないものだったППИ.ロシアは色丹島を返せППИ.
国後島ППИ.本土を除けば,日本第2位の面積をもつ島ДАППИ.火山島として温泉にも恵まれ,終戦時には約7400人の日本人が生活していたППИ.アイヌ語のクナシリあるいはキナシリが島名の由来ППИ.クナシリと言えば,クナシリ・メナシの戦いが有名ППИ.クナシリ・メナシの戦いは,18世紀に根室海峡沿岸へ飛騨屋が進出した際,漁場労働力として扱われたアイヌの人たちが起こした蜂起事件のことДАППИ.松前藩は派兵するも,軍が根室に到着する前に御味方蝦夷たちの手で戦いは収められたППИ.松前藩に協力した御味方蝦夷のうち特に功労があると認められた12人のアイヌたちを描いた肖像画が「夷酋列像」ДАППИ.ロシアは国後島を返せППИ.
最後は択捉島ДАППИ.江戸幕府は国防上の観点で蝦夷地を幕府直轄地とするため,寛政10年に大規模な蝦夷地巡察隊を派遣したППИが,このときに近藤重蔵が「大日本恵登呂府」の標柱を建てたのが択捉島ДАППИ.日本最大かつ最北端の島で,火山が連なっているППИ.戦前は漁業で栄え,水産加工業のほか,鉱業や林業も盛んだったППИ.島内には硫黄・金・硫化鉄・鉄・砂鉄・珪砂などの有望な鉱床もあって,開発を期待されていたППИが,ロシアの不法占拠で結局できなかったППИ.ロシアは択捉島を返せППИ.
例の思想激強バードとその番の真似も流石にクドくなってきたナ.
始まりは日魯通好条約
19世紀,ロシアの南下政策が強められる中,樺太や択捉島への襲撃が相次いでいた.1811年にはゴローニン事件が発生するが,ディアナ号艦長・ゴローニン少佐と幕府御雇船頭・高田屋嘉兵衛との交換釈放(フヴォストフ事件がロシア皇帝の命によるものでないことも公的に証明された)という形で終結したことをきっかけとして,日魯両国は国境を定めるための協議を行うこととなる.それが1855年調印の日本国魯西亜国通好条約である.この条約で択捉島とウルップ島の間が日魯国境となった.
その後も,樺太千島交換条約(1875)→ポーツマス条約(1905)と,千島列島および樺太の領有権は日露間で変動はあった.しかし,択捉島-ウルップ島間の国境は日魯通好条約のままであった.
ここでちょっと脱線
少し脱線するППИ.日"魯"から日"露"にはいつ変わったのかって話ДАППИ.
結論から言うと,1874年(明治7年)にロシア側から「魯は魯鈍を意味するため,別の漢字に変えてほしい」という抗議があったのがきっかけと考えられているППИ.これは,『各国国名及地名称呼関係雑件』第1巻に魯→露への変化を説明している文書が発見されたことから,抗議のあった年が特定されたとのことДАППИ.そのため,1875年の樺太千島交換条約の条文では既に魯→露に既に変わっているППИ.とはいえ,文学作品では引き続き"魯"が使われるなど,定着するのは1880年代以降だったともいわれているППИ.
なお,"魯"という漢字に滅茶苦茶悪い意味があるのかというのも微妙な話ДАППИ.孔子の故郷の魯国であったり,魯迅や魯仲連の姓であったり,日魯漁業(マルハニチロの前身)という社名でも用いられているППИ.美味しい魯肉飯にもこの漢字が使われているППИ.ちなみに,白川静『字統』には「祝禱の意味が込められてて,魯鈍の意は転義である」的なことが書かれているППИが,白川静の主張なので話半分の方がいいと思うППИ.
本題に話を戻す.
終戦時のゴタゴタ
大西洋憲章(1941)とカイロ宣言(1943)で領土不拡大の原則が示され,「暴力及び貪欲により日本国が略取した」地域からは日本を追い出すべきであると宣言された.この地域には北方領土は含まれないというのが日本政府の見解だ.
続く1945年のポツダム宣言では,「暴力及び貪欲により日本国が略取した」地域から追い出すという条項の履行が規定.また,日本の主権が北海道・本州・四国・九州および特定の諸島へ限定されるともなっていた.このポツダム宣言と照らし合わせても,北方領土は日本領である.
しかし,ソ連は日ソ中立条約を無視して8月9日に対日参戦し,8月14日のポツダム宣言受諾後も侵攻を行った(択捉島8/28,国後島・色丹島9/1,歯舞群島9/3上陸).結果,9月5日までに北方4島の全域は不法占拠されることとなる.9月2日には降伏文書の調印も終わっているにも関わらずである.
戦後の平和条約締結交渉
1956年,平和条約の締結は交渉継続のまま,ソ連との日ソ共同宣言に署名.この際,少なくとも歯舞群島および色丹島の2島は平和条約締結後に引き渡しが決まっている(4島すべての返還にこだわりたいところではあるが).その後も日ソ共同声明(1991)→東京宣言(1993)と続き,2000年代以降も度々首脳会談を重ねることで,少しずつではあるが前には進んできた.しかし,2022年,ウクライナ侵攻に対する制裁を理由に,平和条約締結交渉は一方的に閉ざされてしまう.北方領土の返還どころか,平和条約の締結すら先行きが見えないというのが現状である.
まとめ
ロシアは北方領土を返せППИ.北方領土は日本の領土ДАППИ.
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