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なんであんなに気を遣って、目立たないように生きてきたんだろう

なんであんなにビクビクと、
周りに気を遣って生きてきたのだろう。

最近、ふとそんなことを思う。

昔、心理学のセラピストに言われたことがある。

「そんなに下手に出て、何かいいことありましたか?」

——まさに、その通りだった。


世渡り上手な人というのは、たいてい図太い。
自分の意見も言うし、引くところでは引く。

一方で、おとなしくて真面目で、義理堅く、
人に気を遣ってばかりいる人間ほど、
なぜか軽く扱われたり、虐げられたりする。

そんな気がする。


じゃあ自分が、
謙虚で真面目な人間だったのかというと——
それも違う。

ただの怠け者で、頑張れない人間だった。

母親にはよく言われた。

「あなたはやればできるのにやらないのね」


でも今思う。

能力があっても、使わなければ意味がない。

それはもう、
人間の無駄遣いであり、
生命の無駄遣いであり、
命の無駄遣いだ。


そのうちに、

自分には能力などないのではないか、
全部思い込みだったのではないか、

そう思うようになっていった。

そして本当に、
持っていたはずの何かが、
少しずつ消えていった気もする。


「昔はできたのに」

そう思うことが、山ほどある。


老兵は去り行くのみ、という言葉があるけれど——

そもそも自分は、
戦ってきた人間ですらなかった。

兵士でもなかった。


戦わなかった一因は、祖母の言葉だった。

「負けるが勝ち」

幼い頃、兄との喧嘩で泣かされていた私に、
祖母がかけてくれた魔法の言葉だった。

その言葉に、
良くも悪くも縛られて生きてきた。


祖母は、もう50年も前に亡くなった。

1890年生まれ。
日露戦争も、関東大震災も知っている。
そして、大東亜戦争の時代も生きてきた人だった。

そういう時代をくぐり抜けた人の言葉には、
自分が思っている以上の重みがあったのだと思う。

それはきっと、
生き延びるための知恵だったのだろう。

この言葉で、物事を少し引いて見ることができるようになった。
ある意味、メタ視点を持てたのだと思う。

でもそれと同時に自分は、その言葉を
戦わなくていい理由にしてしまったのかもしれない。


生きている限り、戦えるのだと思う。

今まで戦ってこなかったのなら、
いまからでも遅くはない。

ロッキーの最終ラウンドのように、
倒れても、ただ立ち続ける。

そういう戦い方もあるはずだ。


——でも、何と戦うのだろう。

老いか。
過去か。
それとも、自分か。

戦わなくてもいいのかもしれない。

ただ、この内側から湧き上がる渇望——
そのエネルギーを、
一度でも世の中に晒してからでも、
死ぬのは遅くない気がする。

ろうそくが消える前、最後に強く光るように。


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