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グループを卒業した幼馴染アイドルと卒業旅行に行ったら彼女になりました

【梅澤美波 短編物語】 
卒業記念作品

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2026年5月21日。

東京ドームの熱狂は、夜空に溶けるように終わった。


色とりどりのサイリウムが揺れていた光景が、まだ網膜の奥に焼き付いている。


アンコール。

最後の挨拶。

涙をこらえながら笑った彼女の顔。


――梅澤美波が、乃木坂46を卒業した。


客席からその姿を見上げながら、〇〇は何度も胸の奥が熱くなるのを感じていた。


アイドルである以前に、自分にとっては一人の大切な幼馴染。

幼馴染という、その言葉だけで片付けられないくらい、美波は昔から特別だった。


近所の公園で泥だらけになって遊んでいた頃から、彼女はどこか真っ直ぐで。


困っている子がいれば真っ先に駆け寄り、自分が損をしてでも誰かのために行動する。


そんな性格は、アイドルになってからも変わらなかった。



だからこそ、キャプテンになったとき、なにも不思議には思わなかった。


むしろ妙に納得したのを覚えてる。


誰よりも責任感が強くて、誰よりもメンバーを見ていた。



そして今日、その役目を終えた。


ステージの中央で深々と頭を下げた美波は、あまりにも綺麗だった。


スポットライトを浴びる長身のシルエット。

涙で滲んでもなお凛としていた表情。

会場中から飛んだ「ありがとう」という声。




〇〇は拍手を送りながら、ふと寂しさを覚えていた。

自分のずっと昔からの“推しメン”が卒業した。


それ以上に、幼馴染が一つの人生を終えたという不思議な感覚。


もちろん終わりではない。


これから美波にとっては新しい道が始まるのだろう。

それでも、十年以上も乃木坂46として走り続けてきた彼女の区切りを見届けたことで、自分の中にも何か一区切りついた気がしていた。





帰宅した頃には、もう深夜だった。


服やグッズを脱ぎ散らかし、ベッドへ倒れ込みながら、〇〇は天井を見上げた。


〇〇「……終わったんだな」


ぽつりと呟く。


スマホにはSNSのトレンドが並んでいた。

 “梅澤美波 卒業”

 “最高のキャプテン”

 “乃木坂46をありがとう”


どれも誇らしかった。


そして少しだけ、遠い存在になってしまったようで寂しかった。










-- 

翌日。
金曜日の夜。


会社帰りの〇〇は、疲れた身体を引きずるようにマンションの廊下を歩いていた。


昨日の余韻がまだ抜けない。


同僚からも

「お前虚無感ヤバくね?」

「心ここにあらずって感じだな」


と散々言われた。


おかげで今日は仕事が全く集中できなかった。



それでも今日で案件が一区切りして、週明けからは少しゆっくりできる。


土日からアイドリング的にのんびりしよう。




そんなことを思いながら、ようやく家だ、と息をつきながら鍵を開ける。


〇〇「ただいまー……」


誰もいないのを知っていても癖で気の抜けた声とともに玄関を開けた瞬間。




美波「おかえりー」


聞き慣れた声が飛んできた。



〇〇「…………は?」


〇〇は固まった。


リビングのソファーの上で足を組み、旅行雑誌をめくっている梅澤美波が、当然のような顔でこちらを見ていた。

黒縁メガネにラフな白Tシャツ。

ゆったりしたグレーのスウェット。


ステージ衣装ではなく、完全オフの姿。

なのに隠しきれない芸能人オーラ。

〇〇「……美波?」

美波「なによその反応。幽霊でも見たみたいな顔して」

〇〇「え?……なんでいるの?」

美波「それ、幼馴染に言う第一声?」

〇〇「いやそうじゃなくて! 昨日卒業したばっかだろ!?」

美波「したわよ? 〇〇卒コンも来てたじゃない。アイコンタクトもしたの忘れたの?」

〇〇「いや、そうじゃなくて、どうやって入ったんだよ!?」


美波「合鍵」

美波はケロッとして雑誌のページをめくりながら、〇〇の家の合鍵をくるくると回してみせる。


〇〇「ああ……」


そういえば前に酔った勢いというか、美波に言われるがまま渡したのを思い出した。


仕方なく、ふとソファーの上に視線を向ける。

そこには旅行雑誌が何冊も積まれていた。

 『地球の歩き方 イタリア』

 『死ぬまでに見たいヨーロッパ絶景』

 『ローマ完全ガイド』


なんだろう。

この妙な予感は。



〇〇はゆっくり後ずさった。


美波「ねぇ、〇〇」


〇〇「…はい」


美波「約束、忘れてないわよね?」


その瞬間、美波の視線が鋭くなる。

獲物を逃がさないハンターみたいな目だった。


〇〇「え、な、なんだっけ……?」


美波「はぁ!?」


バンッ! とソファーから飛び起きる美波。


美波「まさか忘れたの!?」


〇〇「いやいやいや、待って待って!」


美波「待たない!」


長い脚でずかずかと迫ってくる。


そして気づけば、壁際まで追い詰められていた。


〇〇「近い近い近い!」


美波「本当に忘れたの!?」



〇〇「ちょ、ま! 一回落ち着こう!?」



美波「幼馴染との大事な約束忘れるなんて最低なんだけど!」



美波の顔が目の前にある。


顔が近い。

近い。

とにかく近い。

本当に近い。


整いすぎた顔面が数十センチ先にある。

大きな瞳。

すっと通った鼻筋。


卒業したての国民的アイドルが、なぜか会社帰りのサラリーマンを壁際に追い込んでいる。


ていうか、もはや壁ドン状態。


意味が分からない。


しかも美波は身長170cm。

ヒールなんて履いていなくても普通に迫力がある。


アイドルの整った顔が数センチ先にあるだけで心臓に悪かった。


〇〇(お前、自分のビジュアルの暴力性を自覚しろ……!)


〇〇は内心で叫ぶ。



だが美波はまるで気にしていない。


美波「卒業旅行! 一緒に行こうって言ったよね!」


旅行雑誌を抱えながら、美波は頬を膨らませた。


〇〇「……卒業旅行?」


〇〇は眉をひそめる。


だが次の瞬間。


脳裏に、古い記憶が浮かんだ。


まだ美波が乃木坂に入って少し経った頃のこと。


まだお互い実家にいて、〇〇の家でジュースを飲みながら、美波が言ったのだ。


美波『私が乃木坂卒業したら旅行行こうよ』


〇〇『旅行?』


美波『うん。せっかくだし海外とか!』


〇〇『はは、いいじゃん。卒業旅行だ』


美波『約束だよ! 絶対だからね!』


部屋の中で制服姿で笑っていた彼女の顔まで、鮮明に蘇る。


〇〇「あっ」


美波「思い出した?」


〇〇「……はい」


美波「幼馴染との大事な約束忘れるなんて、いい度胸ねぇ〜?」

〇〇「いやでも、あれ何年前だよ……。覚えてるのお前だけだろ普通」

美波「覚えてるに決まってるじゃない」


美波は即答した。

あまりにも自然に。

まるで、“忘れる理由がない”と言うみたいに。


一瞬だけ、〇〇の胸が妙に熱くなる。


美波「それとも、〇〇にとっては私との約束なんてその程度ってこと?」


じとーっとした目で見上げてくる美波。


〇〇「いや! 覚えてるって! 海外だろ!? ど、どこ行く!?」


必死に取り繕う〇〇。


そんな彼を見て、美波はふっと笑った。


美波「やっぱりヨーロッパかな」


〇〇「写真集の撮影で行ってなかったっけ?」


美波「まぁね。でも完全プライベートでも行きたいから。またイタリアでもいいくらい」


そう言って、美波は目を輝かせた。


その表情に、〇〇は弱かった。


アイドルとしてテレビで見る梅澤美波じゃない。

幼馴染として未来の話をしている時の、美波の顔だった。


昔から変わらない。

楽しいことを考えている時の彼女は、本当に無邪気だ。


〇〇は苦笑しながら肩をすくめた。


〇〇「じゃあ、イタリアにしようか」


美波「ほんと!?」


ぱぁっと顔が明るくなる。


美波「やった!」


美波はその場でぴょんぴょん跳ね始めた。


〇〇「落ち着けって」


美波「だって〇〇とイタリアとか、絶対楽しいじゃん!」


無邪気にはしゃぐ姿は、つい昨日まで東京ドームを満員にして凛とした姿で卒業コンサートをしていたトップアイドルとは思えなかった。


〇〇は思わず笑ってしまう。


……こういうところ、昔から変わってないんだよな。



そう思うと、なんだか少し安心した。



〇〇「それで、いつ行こうか?」


スーツをハンガーに掛けながら何気なく尋ねる。



すると、美波がこちらを見た。


美波「〇〇、明日から予定どうなってる?」


〇〇「土日? 空いてるけど」


予定でも立てるのか、と何気なく答える。


美波「その先は?」


〇〇「え……?」


嫌な予感がした。


〇〇「月曜からは普通に会社だけど……?」


美波はニヤリと笑った。


嫌な予感が確信へ変わる。


彼女は再び顔を近づけると、小悪魔みたいに囁いた。


美波「明日から行くわよ」


〇〇「…………は?」


美波「だから、イタリア」


〇〇「いやいやいやいや!」


〇〇は思わず後ろへ仰け反った。


〇〇「無理無理無理! 会社あるって!」


美波「有休、余ってるって言ってたわよね」


〇〇「急すぎる!」


美波「社会人でしょ?」


〇〇「そうだけど!?」


美波「じゃあ大丈夫」


〇〇「大丈夫じゃねぇよ!」


美波はケラケラ笑う。


卒業翌日に海外旅行を強行しようとする元国民的アイドル。


自由すぎる。


だが、その笑顔を見ていると。

〇〇はどこか嬉しくもあった。


乃木坂46のキャプテンとして走り続けてきた彼女が、今ようやく“自分の時間”を楽しもうとしている。


その最初の相手に、自分を選んでくれた。


それが、少し誇らしかった。


〇〇「……ほんと、めちゃくちゃだな」


美波「今さら?」



美波が悪戯っぽく笑う。


〇〇は頭を抱えながら、深いため息をついた。










それからが大変だった、本当に嵐みたいだった。


〇〇「部長夜分遅くすいません! 大変申し訳ないのですが、ちょっと長めに休みを……!」


部長「はぁ!? 何かあったのか!?」


〇〇「まぁ、なんと言いますか一大事というか、一身上のトラブルといいますか…」


部長「な、なんかよくわからんが、大変そうなのはわかった。ちょうどプロジェクトも一段落したし有給取得してもらわないとだから休め」


〇〇「ありがとうございます」


部長や同僚、部下などの会社連中とそんなやり取りをしながら、〇〇は半ば土下座みたいな勢いで有休をねじ込んだ。


いろんなやつから「彼女と旅行っすか?」とニヤニヤされる。


もちろん「幼馴染とイタリア」と正直に言えるはずもない。


しかも相手は、ついこの前まで国民的アイドルグループのキャプテンだった女性である。


説明したところで誰も信じない。



結局、〇〇は曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。




なんとか調整を終えたのは日がかわりそうになったころだった。


ヘトヘトになってスマホやPCを閉じると、美波はソファーに座りながらタブレットを開いていた。


美波「有休とれた?」


〇〇「……なんとか」


美波「よし!」


美波はガッツポーズをした。


美波「航空券とホテルはもう予約済みだから」


〇〇「……は?」


〇〇は固まる。


〇〇「え、予約済み?」


美波「うん」


〇〇「……もし俺が行けないって言ったら?」


美波「その時は〇〇の会社まで行って泣き落としで直談判」


〇〇「怖ぇよ!」


美波は声を上げて笑う。



卒業した途端、行動力が変な方向に増している気がする。


いや、もともとこういう人間だったのか。


グループを引っ張っていた時も、一度決めたら絶対に曲げなかった。

責任感が強くて、真っ直ぐで、でも時々強引で。


〇〇はため息をつきながらも、どこか嬉しくなっていた。


自分との約束を、美波はずっと覚えていたのだ。


アイドルとして忙しく走り続ける日々の中で。

何万人ものファンに囲まれながら。


それでも、昔交わした他愛ない約束を忘れずにいた。


その事実が、胸の奥をじんわり温かくした。






--


出発当日。

成田空港は朝から人で溢れていた。


大型スーツケースを引きながら歩く人々。

絶えず流れるのアナウンス。

出国ゲート特有の、少し浮き足立った空気。



そんな中、美波はサングラスを掛け、ベージュのジャケットに身を包みながら歩いていた。


シンプルなのに、異様に目立つ。


スタイルというか、オーラというか、とにかく存在感が半端ない。


長い脚。

すらりと伸びた背筋。

歩くだけで絵になる。


〇〇は隣を歩きながら、何度も周囲を気にしてしまう。


〇〇「……なんか緊張するな」


美波「なんで?」


〇〇「いや、お前の横歩いてるの普通に怖い」


美波「なにそれ笑 卒業したんだし気にしなくてもいいじゃん」


〇〇「いやいや、それでも元トップアイドルなのは変わらんかんね」



すると美波はクスッと笑った。


美波「もう“元”なんだよねぇ」


どこか不思議そうな響きだった。

寂しさと、解放感と、少しの実感のなさ。


いろんな感情が混ざっている気がした。




飛行機に乗り込む頃には、〇〇もようやく覚悟が決まっていた。


――本当に行くんだな、イタリア。


しかも美波と二人で。


夢みたいだ。



直行便で十三時間。


本来なら気が遠くなる長さのはずだった。


だが、不思議とあっという間。


映画を観ながら笑ったり。


機内食を食べながら「これ美味しいね」と盛り上がったり。


途中、美波が眠そうにしていたので「寝れば?」と言ったら、「じゃあちょっとだけ」と言いながら肩にもたれてきたり。


その瞬間、〇〇は完全に硬直した。


〇〇(近い近い近い近い!!)


甘いシャンプーの匂いがした。


細い髪が肩に触れる。


規則正しい寝息が耳元で聞こえる。


しかも相手は美波である。


何度でも言うが、東京ドームの中心に立っていた女性が、今は無防備に自分へ寄りかかって眠っている。


〇〇は身じろぎ一つできなかった。



そのくせ、美波は途中で薄く目を開けると、


美波「……動いたらダメだからね」


と寝ぼけ声で釘を刺してきた。


〇〇(無茶言うな!!)


心の中で全力ツッコミを入れながら、〇〇は結局そのまま数時間耐えることになった。






--


美波「到着ー! イタリアー!」


空港へ降り立った瞬間、美波が両手を広げた。


抜けるような青空。


乾いた地中海特有の風。


石畳の街並み。


日本とは違う空気の匂い。

異国に来たという感覚が、一気に押し寄せてくる。


美波「ほら、〇〇! 行こ!」


美波が〇〇の手を引っ張った。


〇〇「うおっ!?」


突然の感触に、〇〇の心臓が跳ねる。


柔らかくて細い指。

昔から知っている手のはずなのに、今は妙に意識してしまう。


美波はそんな〇〇の動揺なんて気づいていないのか、楽しそうに笑っていた。


美波「すごい、ほんとに来ちゃったね!」


〇〇「ああ……」


〇〇は周囲を見回す。


どこを見ても映画みたいだった。


古い建物。

色鮮やかな花。

テラス席で談笑する人々。


その景色の中にいる美波もまた、非現実的なくらい綺麗だった。


ホテルへ荷物を置いたあと、二人はすぐ観光へ出かけた。

まるで海外雑誌の1ページみたい。


すれ違う現地の人ですら、思わず振り返る。



〇〇はそんな様子を見ながら苦笑する。


〇〇(やっぱオーラ隠せてねぇんだよな……)



歴史地区の広場を歩いている時だった。


〇〇「なぁ、美波」


美波「ん?」


〇〇「今更だけどさ、変装とかしなくていいのか?」



〇〇は周囲を見回しながら小声で尋ねた。


日本人らしき観光客もちらほら見える。


もし誰かに気づかれたら――。


アイドルと男の二人旅。


卒業したとはいえ、騒ぎになってもおかしくない。


だが美波は、あっさり言った。


美波「もうアイドルは卒業したんだからいいの」


〇〇「いや、でも……」


美波「それに」


美波は少しだけ歩みを緩めた。


夕陽が彼女の横顔を照らす。


美波「〇〇となら、見られてもいいかなーって」


〇〇「……え?」


心臓が止まりかける。


だが次の瞬間。


美波「あ、ほら見てこれ! 可愛くない!?」


美波はくるりと振り返り、お土産屋のキーホルダーを見せてきた。


小さなハートがついている。


〇〇「いや、今の言葉――」


美波「あ、このパスタのマグネットもよくない?」


〇〇「絶対わざと流しただろ!」


美波「えへへ」


いたずらっぽく笑う美波。


〇〇はそれ以上聞けなかった。



聞いてしまえば、今の関係が変わってしまいそうだったから。


幼馴染。


推しメン。


憧れ。


その全部が、今は絶妙な距離感で成り立っている。


そして何より。


今こうして隣にいられるだけで、十分幸せだと思ってしまった。


 



--


夕方。


観光を終えた二人は、一度ホテルへ戻った。

しばらく休憩したあと、窓の外がオレンジ色に染まり始める。


ヨーロッパの夕暮れは、日本よりずっとゆっくり流れているように見えた。



美波は立ち上がると、軽く髪を整えた。


美波「よし、夜ご飯行こっか」


〇〇「ああ」




二人は再び街へ出る。


石畳の道に、街灯の明かりが灯り始めていた。


レストランから漂う香ばしい匂い。


遠くから聞こえる陽気な音楽。


夜風に揺れる美波の髪。


〇〇は隣を歩きながら、ふと思う。


――この旅が終わらなければいいのに。


そんなことを願ってしまうくらいには、彼女との時間は特別だった。



美波「こっちこっち!」


数歩先を歩く美波が振り返りながら手招きする。


長い髪がふわりと揺れた。

彼女が歩くだけで街の風景そのものが華やかになる。


〇〇「そんな急ぐなって」


美波「だって早く行きたいんだもん」


その言い方がどこか子供っぽくて、思わず笑ってしまう。


やがて、美波が立ち止まった。


美波「ここここ!」


指差した先には、小さなバールがあった。


木製の扉。
年季の入った看板。
テラス席では地元の人らしき客たちが陽気に談笑している。

店の奥からはエスプレッソとワイン、それにオリーブオイルの混ざった香ばしい匂いが漂ってきた。


観光客向けというより、昔から地元に根付いているような店だった。


美波「前に来た時にオススメだって教えてもらったの」


美波は少し得意げに胸を張る。


美波「ご飯の前にバールで軽く飲んでからレストランに行くのがイタリア式なんだって」


完全に“知ってる人”の顔だった。


〇〇「へぇ〜」


美波「どう? イタリア通でしょ?」


〇〇「いや、ドヤ顔が腹立つ」


美波「なにそれ!」


むっと頬を膨らませる美波。


そんな仕草さえ愛おしいと思ってしまうあたり、〇〇もかなり重症だった。




店内へ入ると、陽気なイタリア語が飛び交っていた。


カウンター席しかない小さな空間。

壁にはワインボトルがずらりと並び、奥では白髪の店主が忙しそうにグラスを磨いている。


美波は自然な動きで店員に案内されてカウンターへ向かった。

美波「赤と白どっちにする?」


〇〇「んー……ちょい暑いから白かな」


美波「じゃあ、私もそうしよ」


慣れた様子で注文する美波を見て、〇〇は少し不思議な気持ちになる。


つい昨日まで、彼女は日本中の注目を集めるアイドルだった。

ステージの中央で何万人を魅了していた存在。


なのに今は、自分の隣で普通にワインを選んでいる。


それが妙に現実感を失わせた。


やがて差し出された白ワインを、美波が嬉しそうに掲げる。

美波「カンパイ」


〇〇「カンパイ」



小さくグラスが触れ合った。


澄んだ音が夜の店内へ溶ける。



美波はゆっくりとワイングラスを傾けた。


細い指。


白い喉。


少しだけ細められた瞳。


その仕草の一つ一つが、驚くほど綺麗だった。


まるで映画のワンシーンみたいで、〇〇は思わず見入ってしまう。

美波「ん?」


美波が首を傾げた。


〇〇「いや、何でもない」


慌てて自分もワインを飲む。

冷えた白ワインが喉を通り抜けた。


美味い。

だがそれ以上に、隣にいる美波の存在が酔いを早めている気がした。





--


ほどよくワインを楽しんだあと、二人はレストランへ向かった。


石畳の道を歩きながら、美波はずっと楽しそうだった。


美波「あ、あそこ可愛い! この路地めっちゃ映画っぽくない?」

いちいち反応が大きい。

そのたびに〇〇は笑ってしまう。


それでも、その姿が絵画のようだった。







やってきたレストランは重厚感のある店だった。

レンガ造りの壁。

暖色の照明。

静かに流れるクラシック音楽。


案内された席へ座ると、美波はメニューを見ながら目を輝かせる。


美波「どうしよう、全部美味しそう」


〇〇「優柔不断発動してるな」


美波「だってどれも美味しそうじゃない?」


結局、店員のおすすめを中心にいくつか注文した。


そして運ばれてきた料理に、美波は声を上げた。


美波「うわ〜! すごい!」

大皿に盛られた肉料理。


香ばしい匂い。

肉汁の滴る断面。

彩り豊かな野菜。


見るだけで腹が減る。


〇〇「これ絶対うまいやつだろ」


美波「ね! いただきます!」


一口食べた瞬間、美波が目を見開く。


美波「んんっ! おいしい!」


〇〇「さすがの食レポ笑」


美波「だってほんとに美味しいんだもん!」


ころころ表情を変えながら食べる美波を見ていると、それだけで楽しかった。


ワインも進む。


話も進む。


気づけば二人は、時間を忘れるくらい笑っていた。


〇〇「でもさぁ、キャプテンって絶対大変だっただろ」


〇〇が尋ねると、美波は少しだけグラスを見つめた。


美波「……うん。正直、しんどい時もいっぱいあった」


柔らかい声だった。


美波「後輩のこと考えて、グループのこと考えて、自分のこと後回しにして……。でもね」


美波はふっと笑った。


美波「嫌じゃなかったよ。乃木坂、大好きだったから」


その言葉には嘘がなかった。


〇〇は改めて思う。

美波は、本当にグループを愛していたのだ。


だからこそ、多くの人に愛された。


美波「〇〇は?」


〇〇「ん?」


美波「ずっと見ててどうだった?」


不意打ちみたいな質問だった。

〇〇は少し困ったように笑う。


〇〇「……すごかったよ」


美波「ふふ、それ感想雑じゃない?」


〇〇「いや、ほんとに。幼馴染なのに、遠い人みたいだった」


その言葉に、美波は少しだけ目を丸くした。


そして小さく笑う。


美波「でも今は?」


〇〇「近い…かな。こうして隣にいれるしな」


そう答えると、美波は照れたようにワインを飲んだ。






--


気づけば、夜はすっかり更けていた。

レストランを出る頃には、街も少し静かになっている。


その時だった。


店員が笑いながら声をかけてきた。


店員「時間あるなら、その坂道を上がったところ行ってみな。夜景が綺麗だよ」


片言の英語混じりだったが、十分伝わった。


美波&〇〇「「グラッチェ!」」


美波が嬉しそうに礼を言う。

二人は教えられた坂道へ向かった。


石畳の緩やかな上り坂。


夜風が気持ちいい。


そして、途中で

ふいに、美波が〇〇の腕へ自分の腕を絡めてきた。


〇〇「っ!?」


柔らかな感触に、〇〇の身体が硬直する。


〇〇「み、美波……?」


美波「いいでしょ?」

美波は少しだけ上目遣いになった。


美波「それとも、私とじゃ嫌?」


ほんのり赤くなった頬。


ワインのせいなのか。

それとも別の理由なのか。


〇〇には分からなかった。


ただ、胸の鼓動だけが異常なくらい速かった。


〇〇「……嫌なわけないじゃん」


やっとそれだけ答える。


すると美波は、嬉しそうに笑った。


美波「よかった///」


その笑顔が妙に愛しくて、〇〇は視線を逸らした。


腕越しに伝わる体温が熱い。


歩幅を合わせるたび、肩が触れる。


夜景を見る前から、〇〇の心臓は限界だった。






やがて坂を登り切る。


そこは少し開けた高台になっていた。


〇〇「……うわ」


〇〇は思わず息を漏らす。

そこからはイタリアの街並みが、一望できた。


オレンジ色の灯りがどこまでも広がっている。


古い建物の輪郭。

遠くの教会。

夜空に浮かぶ月。


まるで絵画みたいだった。


美波「きれい……」

美波が呟く。


そして柵の前まで歩いていった。

夜風が彼女の髪を揺らす。


その背中が、どこか幻想的だった。


〇〇は少し遅れて歩き出す。


その時。


美波「〇〇」


名前を呼ばれる。


振り向いた美波と目が合う。


夜景を背負って立つ彼女の姿に、〇〇は息を呑んだ。


言葉にできないくらい綺麗だった。


今まで何度も見てきたはずなのに。

今日の彼女は、今までで一番綺麗だった。


美波「〇〇……もう一つの約束、覚えてる?」


その言葉と同時に。

記憶が蘇る。


昔の美波が言った。


美波『〇〇、私が乃木坂を卒業したら付き合って』


少しだけ冗談めいた、でもどこか真剣な口調だった。


でも、その瞳だけは本気だった。


〇〇「ああ……覚えてる」


〇〇はゆっくりと歩み寄る。

胸の奥が熱かった。


ずっとどこかで憧れていた。


ずっと好きだった。


でも、幼馴染として隣にいるだけで満足しようとしていた。


でも、本当は違う。


ずっと…


美波「〇〇……私、〇〇のことが好き」


美波の声が少し震える。



美波「ずっとずっと。だから――」



そこまでで〇〇は一歩近づき、真っ直ぐ彼女を見つめて言葉を止めた。


自分から言わないとダメだ。



小さく震えながら深呼吸を一度してから



〇〇「俺も美波のことが好きだ」



夜風が吹いた。


街の灯りが揺れた気がした。



〇〇「だから、俺と付き合ってください」




一瞬。


美波の目が大きく見開かれた。




次の瞬間。


ぽろり、と涙が零れる。



美波「……はい……!」


声にならないくらい嬉しそうに笑いながら、美波は〇〇へ抱きついた。


細い身体。


温かな体温。


肩へ顔を埋めながら、美波は小さく震えていた。


〇〇はそんな彼女を、そっと抱きしめ返す。



イタリアの夜景が、二人を静かに包み込んでいた。



















--

イタリアでの九日間は、夢みたいに過ぎ去った。


ローマの石畳。

フィレンツェの夕焼け。

ヴェネツィアの水路。

深夜まで笑いながら歩いた街並み。


そして、夜景の見える高台で交わした告白。



帰国便の中でも、〇〇は何度も思っていた。


本当に付き合うことになったんだな、と。




幼馴染で。


憧れの存在で。


ずっと手の届かない場所にいると思っていた美波が、今は恋人として隣にいる。


美波「ただいま〜……」


〇〇の部屋へ戻った瞬間、美波がソファーへ倒れ込んだ。


長時間のフライトで少し疲れているはずなのに、どこか満足げな声だった。


美波「日本だぁ……」


〇〇「やっぱ落ち着くな」


〇〇もスーツケースを玄関脇へ置きながら息を吐く。


久しぶりの自宅の匂い。

静かな空間。


旅の高揚感が少しずつ日常へ戻っていく感覚があった。


けれど。


部屋の中には、イタリアの余韻がまだ溢れていた。


テーブルの上には大量のお土産袋。

冷蔵庫には向こうで買ったチーズやワイン。

ソファーには機内で使っていたネックピローが放り投げられている。


そして何より、美波がいる。


それだけで、この部屋は今までとはまるで違う空間になっていた。


美波「あー、最高だったなー!」


美波がスマホを見ながら足をバタバタさせる。


美波「もうまた行きたくなってる!」


ソファーの上でごろごろしながら写真をスクロールしていく姿は、テレビで見る“元国民的アイドル”というより、旅行から帰ってきた普通の女の子そのものだった。


〇〇「わかる」


〇〇はキッチンでお茶を淹れながら苦笑する。


〇〇「明日から社会復帰できねーかも笑」


美波「絶対無理だよね笑」


〇〇「現実見たくない」


美波「わかる〜」


二人で笑い合う。

その空気が、心地よかった。


イタリアにいた時の浮ついた非日常感とは違う。


もっと穏やかで、温かい。

“帰ってくる場所”みたいな安心感があった。


〇〇は湯呑みを持ってソファーへ戻る。


〇〇「ほい」


美波「ありがと」


美波はお茶を受け取りながら、ふっと笑った。


その笑顔を見ていると、胸の奥がじんわり熱くなる。


恋人。


その言葉がまだ少しくすぐったい。


けれど、美波が自然に隣にいるだけで、〇〇はどうしようもなく幸せだった。


しばらく二人で写真を眺めていた時だった。


美波がぽつりと呟く。

美波「でもさ」


〇〇「ん?」


美波「卒業旅行っていうより……ハネムーンみたいだったよね」


〇〇「ぶふっ!?」


〇〇は危うくお茶を吹き出しかけた。


〇〇「げほっ、ごほっ……!」


美波「ちょ、大丈夫!?」


〇〇「誰のせいだと思ってんだ!」


〇〇が顔を真っ赤にしながら抗議すると、美波は楽しそうに笑った。


美波「だってほんとじゃん」


〇〇「ほんとじゃねぇよ!」


美波「えー?」


美波はにやにやしている。

完全に面白がっていた。


美波「イタリアで夜景見て告白して、そのあと毎日一緒に寝て、一緒に観光して、一緒にご飯食べて」


〇〇「やめろやめろ!」


美波「しかも〇〇、夜も凄かったしね〜」


〇〇「んなっ!?」


〇〇の動きが止まる。


〇〇「お、お前なぁ……!」


耳まで熱くなるのが分かった。

だが美波は止まらない。


美波「ふふっ、顔真っ赤」


〇〇「うっせ! 美波だって寝かさなかったじゃねーか!」


思わず言い返した瞬間。


美波の目が細くなった。


美波「へぇ〜?」


妙に艶っぽい声だった。


美波「そんなこと言うんだ〜」


〇〇「……あ」


しまった、と思った時には遅かった。

次の瞬間、美波がソファーの上で身を乗り出してきた。


〇〇「うおっ!?」


気づけば〇〇は背もたれへ押し倒される形になっていた。


目の前に、美波の顔。


ほんのり赤く染まった頬。


長い髪が肩からさらりと落ちる。


距離が近い。


近すぎる。


〇〇「み、美波……?」


美波「ふふ」


美波は悪戯っぽく笑うと、そのままゆっくり唇を重ねてきた。


柔らかい感触。


甘い香り。


触れるだけの優しいキスなのに、心臓が壊れそうなくらい跳ねる。


〇〇の首へ、美波の腕がそっと回された。


恋人になってから何度も触れ合ったはずなのに、まだ慣れない。


むしろ好きになればなるほど、一つ一つの仕草に心を持っていかれる。


少しして、美波がゆっくり顔を離した。


唇が離れる瞬間が、妙に名残惜しい。


美波は至近距離のまま、ふにゃりと笑った。


美波「んふ、〇〇、好き」


その表情があまりにも綺麗だった。


アイドルとして見せていた完璧な笑顔とは違う。

今、自分だけに向けられている柔らかな顔。


信頼と安心と愛情が全部混ざったような瞳。


〇〇は胸がいっぱいになる。

この人を好きでよかった。

ずっと憧れてきてよかった。

そして今、隣にいられることが、どうしようもなく幸せだった。


〇〇はそっと美波を抱き寄せる。


華奢なのに、驚くほど温かい身体。


美波も安心したように胸へ顔を埋めてくる。


美波「……ふふ」


〇〇「なに笑ってんだよ」


美波「幸せだなーって思って」


その言葉に、〇〇の胸がまた熱くなった。


窓の外では、日本の夜景が静かに光っている。




イタリアの旅は終わった。




けれど。


二人の物語は、ようやく始まったばかりだった。








おわり
※この物語はフィクションです。
※実在する人物などとは一切関係ございません。

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