見出し画像

同棲彼女との朝のキスはコーヒーの味

【山下美月 短編物語】

↓ その他の短い物語はコチラから




目覚まし時計のベルが、朝の訪れを告げる。


スマートフォンの電子音ではない。
〇〇がいつかの骨董市で見つけた、ゼンマイ式の古い目覚まし時計だ。


ジリリリリリリ、という物理的なけたたましい音は、電子音に慣れた耳には刺激的で、目を覚まさせるには十分だった。


〇〇「ん…んん、」


なんとか手を伸ばして目覚まし時計をとめる。



カチ、カチ、カチ。


それでもまだ秒針の音が、まだ薄暗い部屋に静かに響いている。


そんな音を嫌がってか、ベッドの中で美月が布団を頭まで引き上げた。


美月「……うるさい」


〇〇「いいじゃん、いかにも朝って感じだろ?」



美月「ただの騒音」


そう言いながらも、美月は〇〇の背中に額と身体をギュッっと押し当てる。




六月の東京。


エアコンの必要もない、少しだけ涼しい朝。




〇〇「ごめんごめん」



〇〇は美月の髪から頬をゆっくりと撫で下ろしてから、ベッドを抜け出すと、ヨタヨタとした足取りでキッチンへと向かった。


キッチンの棚からサイフォンを取り出す。



サイフォン一式を持ってリビングのローテーブルのあるソファーへ腰掛けた。


ガラスの球体、金属のスタンド、古びたアルコールランプ。



今どき、ボタン一つでコーヒーが淹れられる時代だ。


それでも〇〇は、この面倒な道具を愛していた。



ランプに火を灯す。


青白い炎が揺れる。



美月「……また始まった」



寝ぼけ眼のまま、美月がリビングへやってきた。


フラフラと歩いてきたと思ったら、美月は〇〇の横にやってくるなり抱きつく。


美月「ほんと、古臭いよね」


〇〇「褒め言葉として受け取っとく」


美月「褒めてないし」


くすりと笑う声。


ガラスの中で湯が温まり、やがて上部へと移っていく。


コポ、コポ、と小さな音が鳴った。



〇〇「この待ち時間がいいんだよ」


美月「効率悪いだけじゃない?」


〇〇「昭和は効率だけじゃなかったんだ」


美月「昭和生まれじゃないくせに」



美月は呆れたようにため息をついた。



けれど、その腕と身体は〇〇から離れない。



洗いざらしの寝巻き代わりのTシャツ越しに伝わる美月の生暖かい体温。


柔らかな髪が肩をくすぐった。


〇〇「眠い?」


美月「……ちょっと」


〇〇「今日は休みだし、もう少し寝ててもよかったのに」


美月「だって、〇〇が側にいなくなっちゃったから」


美月は〇〇の肩に顎を乗せる。



〇〇「いなくなったって… コーヒー淹れに来ただけじゃない」


美月「それでも、私のそばからは離れちゃうでしょ。そんなの嫌なの」


〇〇はやれやれと肩をすくめる。


付き合って4年、同棲して1年がたつ。

正直、皆の憧れだった美月と付き合えるとも思ってなかったが、ここまで依存されるとも思わなかった。


嬉しい限りではあるが。



美月「それに、好きなんだよね」


〇〇「ん? コーヒーが?」


美月「〇〇が淹れるコーヒー、というか、コーヒーを入れる間に〇〇といれるこの時間が」



アルコールランプの火が揺れる。



窓の外では、車の走る音が遠くに聞こえた。



昭和の喫茶店を思わせるサイフォン。



レコードプレーヤー。



木製の食器棚。




最新家電よりも、少し不便なものを選んでしまう〇〇の趣味。



最初は理解できなかった。


それでも。



美月「なんか落ち着くんだよね」


美月がぽつりと言った。


美月「こういう朝」



コーヒーが出来上がる。


〇〇は二つのカップにゆっくりとコーヒーを注ぎ入れる。

その間も美月は〇〇に抱きついたまま。


もう慣れたもんで、それでもコーヒーを淹れるくらいはわけもない。



〇〇「ほら、美月。コーヒーはいったよ」




〇〇の言葉に、美月はソファに座りなおしてから、両手でマグカップを包む。



一口。





美月「……おいしい」


〇〇「古臭いんじゃなかったのか?」


美月「それとこれは別」


〇〇「都合いいな」


美月「彼氏の趣味を全肯定する彼女なんてつまんないでしょ?」



そう言って、美月は微笑んだ。




朝日がカーテンの隙間から差し込む。


琥珀色のコーヒーが揺れた。



美月「ねえ」


〇〇「ん?」


美月「昔の恋人って、こういう感じだったのかな」


〇〇「どういう?」


美月「休みの日の朝に、喫茶店みたいなコーヒー飲んで。テレビでワイドショー見て。お昼になったら商店街に買い物行って」



美月は少し考える。



美月「〇〇となら、なんか、悪くないかも」


〇〇は笑った。


〇〇「レトロ、見直した?」


美月「んー、半分だけ」



そう言って、美月は〇〇の腕に自分の腕を絡める。


〇〇が抵抗せずに受け入れると、美月は自然に肩へ寄りかかった。


美月「ねえ」


〇〇「ん?」


美月「来週、骨董市あるんでしょ?」


〇〇「ああ、うん。行こうかなって思ってるよ」


美月「私も行こうかな」


〇〇「珍しい」


美月「んー、〇〇が楽しそうだから…かな」



少し照れたように視線を逸らす。



美月「あと、帰りに純喫茶寄ろ」


〇〇「プリンアラモード食べる?」


美月「食べる」


〇〇「ナポリタンも?」


美月「食べる。あ、あとパンケーキも捨て難い」


〇〇「太るぞ」


美月「それ言ったら、今日の夕飯作らない」


〇〇「すみませんでした」



美月は満足そうに頷いた。


そして、〇〇との距離をさらに詰める。

もう距離などなかった。


美月「……こういうの、好きかも」


〇〇「昭和レトロ的な?」


美月「ううん」


美月は静かに微笑む。


美月「〇〇と過ごす、こういう時間」


美月はそういうと、マグカップをそっとテーブルに置くと身を乗り出して〇〇の首に腕を回した。


そして


ゆっくりと唇を重ねてくる。



美月「ん…」


柔らかい感触


そして、ほのかに感じたのはコーヒーの味。



〇〇「…美月、キスがコーヒーの味って、どうなのよ…」


美月「いいじゃない。私たちらしくて」

そう言うと美月は屈託なく微笑んだ。





窓の外では、東京の街が少しずつ動き始めている。



令和のマンションの一室。

その中のどこかレトロな空間。



アルコールランプの火。


サイフォンで淹れたコーヒーの香り。




恋人同士の、何気ない休日の朝。




便利ではない。


効率的でもない。




けれど。


時間をかけるからこそ、愛おしくなるものがある。




〇〇は冷めないうちにと、美月へコーヒーカップを差し出した。


〇〇「ほら」


美月「ありがと」



美月は受け取ると、小さく微笑む。



美月「明日もね」



〇〇「毎朝飲んでるだろ」



美月「そうじゃなくて、キス」


カップの縁に唇を寄せる美月を見ながら、〇〇はコーヒーを吹き出しそうになる。



それを見て美月は小悪魔みたいな笑みを向ける。



それが何とも言えず心地良い。



再び飲んだコーヒーは


少し苦くて、少し甘い。



どこか懐かしい味だった。







おわり
※この物語はフィクションです。
※実在する人物などとは一切関係ございません。

いいなと思ったら応援しよう!