俺が鈍感すぎて、元トップアイドルに我慢させてたら逆プロポーズさせてしまいました。
【橋本奈々未 短編物語】
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仕事が終わると、〇〇はいつものように改札を抜けた。
帰宅ラッシュに逆らうように、家とは反対方向の電車へ乗り込む。
窓に映るスーツ姿の自分を見ながら、小さく息をついた。
——今日も、会える。
それだけで、一日の疲れは少し軽くなる。
大学時代は親友。
そして今では、恋人。
あの頃はキャンパスで肩を並べて講義を受けていた橋本奈々未は、乃木坂46という国民的アイドルとして誰もが知る存在でもあった。

その後、人気絶頂の時にアイドルを卒業して、芸能界まできっぱりと引退し、今では静かな日常を選んでいる。
それでも。
いや、だからこそなのか。
テレビ越しでは気づけなかった大人の美しさが、年々増している気がする。
電車を降りると、夜風が少しだけ頬を撫でた。
駅前の喧騒から一本路地へ入るだけで、街の空気は驚くほど変わる。
石畳のような道。
暖色の街灯。
窓辺に飾られた小さな花。
まるで海外の路地裏に迷い込んだような、小さなカフェ。
〇〇は迷うことなくドアを開けた。
カラン——。
控えめなベルの音が鳴る。
店内にはジャズが静かに流れ、コーヒーの香りが優しく漂っていた。
そして。
カウンター席に座る一人の女性。

長い亜麻色の髪を肩に流し、何気なく虚空を眺めるような視線。
彼女はふと入り口の〇〇に気づくと視線を向けてきた。
目が合う。
奈々未だった。

〇〇が小さく手を振ると、彼女は口だけを動かす。
奈々未「おそい」
声は聞こえない。
でも、その口の動きだけで分かった。
次の瞬間。
ふっと口元を緩めて微笑む。
……反則だろ。
大学の頃から何度見ても、その笑顔だけは慣れない。
〇〇「ごめんごめん。会議が長引いてさ。」
奈々未「言い訳」
〇〇「事実です」
奈々未「ふーん」
そう言いながら、〇〇が席に着くと、見計らったかのようなタイミングで〇〇の分のカフェオレが出てきた。
奈々未がもう注文してくれていた。
〇〇「ありがとう」
奈々未「カフェオレでよかったよね」
〇〇「さすが」
奈々未「付き合って九年だからね」
さらっと言われて、少し照れる。
奈々未とは彼女が乃木坂46を卒業してから付き合い始めた。
一般人になってどちらからともなく。
奈々未とは気づけばもう長い付き合いになる。
沈黙すら心地いい。
会話がなくても隣にいられる。
そんな相手。
それが奈々未だった。
……
コーヒーを飲みながら他愛もない話をする。
会社のこと。
旅行のこと。
大学時代の友人の結婚式のこと。
奈々未「この前ね、乃木坂時代のメンバーが結婚したの」
〇〇「あー、ニュースで見たかも。最近多いね」
奈々未「知ってる?私たちもう33歳なのよ?」
〇〇「あーあー、聞こえないー」
奈々未「バーカ。まぁ、私たちもそれ相応の歳ってことよ」
〇〇「俺らの代もそういう歳か」
奈々未「そうだね」
奈々未はカップを見つめたまま、小さく頷いた。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
何か言いたそうだった。
奈々未「ねぇ」
〇〇「ん?」
奈々未「〇〇」
〇〇「なに?」
奈々未「……別に」
首をかしげる〇〇。
奈々未は小さくため息をつく。
……なんだ?
少し機嫌悪い?
いや、違うか。
コーヒーが熱かった?
違うな。
奈々未「そういえばさ。」
奈々未がスマホを取り出した。
奈々未「これ」
画面には友人夫婦と赤ちゃんの写真。
〇〇「かわいいな」
奈々未「そうだね。ほかには?」
〇〇「幸せそう」
奈々未「そうね…」
〇〇「いい写真だ」
奈々未「そう…」
返事が短い。
今日どうした?
奈々未「そういえば。」
奈々未が続ける。
奈々未「指輪って、きれいだよね。」
そう言いながら、奈々未は自らの薬指をさする。
そこにはなにもつけられていない。
でもまるで、指輪でもあるかのように薬指の付け根をなぞる。
〇〇「う、うん」
〇〇は意味がわからないが、奈々未はさらに話を続ける。
奈々未「結婚式って素敵だよね」
〇〇「そうだな」
奈々未「ウェディングドレスも憧れるな。あ、でも和装もいいかも」
〇〇「奈々未ならどっちも似合いそう」
奈々未「……」
沈黙。
……?
〇〇は本気で分からなかった。
奈々未はじーっと〇〇を見る。
〇〇も見返すが、奈々未の真っ直ぐな視線に思わず根負けして視線を外す。
数秒。
さらに数秒。
〇〇「……」
奈々未「……」
〇〇「……」
奈々未「……はぁ」
盛大なため息。
〇〇「え、俺なんかした?」
奈々未「した」
〇〇「えっ?」
奈々未「ていうか、今絶賛してる」
〇〇「えっ?」
奈々未は両手で額を押さえた。
奈々未「もう…無理」
〇〇「え?」
奈々未「限界」
〇〇「えぇ?」
奈々未は椅子を少し回して、真正面から〇〇を見る。

真剣な瞳。
奈々未「〇〇」
〇〇「は、はい」
奈々未「私たち」
〇〇「うん」
奈々未「付き合って何年?」
〇〇「えっと…九年」
奈々未「大学から知り合って何年?」
〇〇「……十…五年くらい?」
奈々未「そう」
一呼吸。
奈々未は自分を落ち着かせるかのように小さく息を吸ってから、すぐ真っ直ぐ改めて〇〇を見た。
奈々未「〇〇」
〇〇「うん…」
奈々未「好き」
心臓が止まりそうになる。
奈々未「大学の頃から」
〇〇「……」
奈々未「今も」
〇〇「……」
奈々未「これからも」
奈々未は照れ隠しみたいに笑って、
奈々未「だから…」
一度深呼吸をした。
そして
奈々未「私と、結婚してください」

……。
…………。
………………え?
頭の中が真っ白になる。
〇〇「…え?」
奈々未「だから」
奈々未は少しだけ頬を赤くしながら笑う。
奈々未「私と結婚してください。」
〇〇「……」
奈々未「返事」
〇〇「いや、その……」
思わずスパッと答えられない。
奈々未「返事」
〇〇「ちょ、ちょっと待って!」
奈々未「待たない」
〇〇「整理が……」
奈々未「九年待った」
〇〇「あ……」
思わず店内に笑みが広がる。
店員さんは慌てて後ろを向いて肩を震わせている。
〇〇はようやく状況を理解した。
さっきの結婚式の話。
赤ちゃん。
指輪。
ウェディングドレス。
話の話題、全部。
全部ヒントだったのか。
〇〇「ご、ごめん!」
奈々未「やっと気づいた?」
〇〇「いや、本当に気づかなかった。」
奈々未「知ってる」
〇〇「俺、そんな鈍い?」
奈々未「世界大会あったら優勝できる」
〇〇「そんなに?」
奈々未「そんなに」
奈々未は呆れたように笑う。
だけど、その瞳はどこまでも優しかった。
奈々未「本当は」
奈々未が静かに言う。
奈々未「プロポーズ、待ってた」

その一言だけで胸が締めつけられる。
どれだけ勇気を出してくれたんだろう。
どれだけ待ってくれていたんだろう。
〇〇は椅子から立ち上がる。
奈々未の前でゆっくりと姿勢を正す。
そして深く息を吸った。
〇〇「奈々未。」
奈々未「うん」
〇〇「俺の方から言わせて」
奈々未は少しだけ笑って頷く。
〇〇「これから先も、笑って、けんかして、同じ時間を重ねていきたい。」
大学生だった頃も。
アイドルとして輝いていた頃も。
芸能界を離れて静かな日々を選んだ今も。
どんな奈々未も、〇〇にとっては変わらず特別だった。
〇〇「奈々未」
奈々未「はい」
〇〇「俺と結婚してください。」
奈々未は数秒だけ黙ったあと、安心したように目を細めた。
奈々未「……うん」

その笑顔は、スポットライトを浴びていた頃よりも、ずっと綺麗だった。
帰り道。
手をつないで歩きながら奈々未がぼそっと言う。
奈々未「ちなみに」
〇〇「ん?」
奈々未「あと一か月待ってたら婚姻届を持って〇〇の会社まで行くつもりだった」
〇〇「危なっ!」
奈々未「受付で『〇〇さん呼んでください』って」
〇〇「やめて! あなた有名人!」
奈々未「いつの話ししてんのよ」
〇〇「今でもあなたの誕生日とか、ことあるごとにXとかお祭り騒ぎなのよ!」
奈々未「面白そうだったのに」
〇〇「会社にいられなくなる!」
奈々未「そしたらずっと一緒にいられるじゃない」
そう言ってイタズラに笑う奈々未につられて、〇〇も笑った。
奈々未はそんな〇〇を見て楽しそうに笑いながら、そっと腕を組んでくる。
夜風は少し涼しかった。
でも、隣で並んで歩く奈々未の温もりは、驚くほど暖かく幸せをかみしめるのだった。
おわり
※この物語はフィクションです。
※実在する人物などとは一切関係ございません。
