#358「書く」ことが好きになった原点は
noteでは約1年、毎日記事を投稿することができている。
それまでは、3年、毎日連用日記を書くことに成功した。
それまでは、10年、毎日学級通信を書いて配布してきた。
それまでは、約7年、毎日のようにTwitterにつぶやいてきた。
それまでは、約3年、手作りのブログに日記を書いてきた。
ネットには、24年間書いてきたことになる。
どうしてここまで書くことが好きになったのだろうか。
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◆「書く」原点
通っていた小学校の担任の先生は、学級通信をよく発行してくれていた。
しかも手書き!すごいなあ。
その日の他愛のない日常から、行事、子どもの様子、作品紹介、さまざまな記事だった。
その先生の学級通信を読むのが大好きだった。
ときどき、自分の作文や詩などの作品が、学級通信に載った。
自分の作品が他の人の目に触れ、反応が返ってくることに、感動したのを覚えている。
きれいな文でなくても、拙い文でも、相手にいろんな影響を与えることを知っておもしろいな、と思ったのを覚えている。
もちろん、友達の作品を読むことも好きだった。自分と全然違う発想がそこにあることに、ワクワクが止まらなかった。
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そして、「書いたものが残る」というところにも、大きな魅力を感じた。
母が、当時の学級通信を全て保管してくれていたのだ。
大人になって忘れた頃に読んだとき、みるみるうちに記憶が蘇るのを感じた。
それもまた、おもしろかった。
愛すべき懐かしいあの頃が、まだここに残っている。
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これが、きっと私の書くことの原点になっているのだと思う。
人は、忘れる生き物である。
でも、忘れたくない。
あの日の感動は、あの日の自分しか全身で感じられない感動。
あの日考えていたことは、あの日の自分にしか考えられなかったこと。
なんでもないあの日の日常は、あの頃にしかない日常。
愛おしいね。
明日の自分は、今日の自分とは違う。
この記事を書けるのも、“今”の自分だからこそ。
数十年後の自分には、きっと書けない。
「書くこと」
「書き残すこと」
多分私は一生書き続けていくのだと思う。
