ラレへの回帰⑩|静かな怒りが、確信に変わった日
グルコンが終わっても、私はすぐにはパソコンを閉じることができませんでした。
しばらくの間、ただそこに座り、いつの間にか真っ暗になったその画面をぼーっと見つめていました。
だんだん、頭が冴えていくと同時に、自分の深いところから湧き上がってくるものに気が付きました。
それは、静かな『怒り』でした。
私は自分が、怒っているのだと気づきました。
でもそれは、声を荒げるような怒りではなく、もっと静かで、もっと深い場所に沈んでいくような感情。
正確に言えば、怒りというよりも、「あぁ、やっぱりな」という冷ややかな確信に近いものでした。
これまでずっと何となく感じていた違和感の正体が、はっきり輪郭を現した瞬間でした。
私は、嬉しかったんです
「安心安全」
「年齢も、売上も、キャリアも関係ない」
「誰が何を言ってもいい、対等な場所」
私は、その理念に共感し、本音で参加していました。
「綾香さんにインスパイアされて、私もやってみます!」
「幽霊部員だったけど、綾香さんに言われて出てきました」
「綾香さんの根っこの出し方、すごく素直ですごいと思うよ」
「綾香さんのおかげで、コミュニティ全体が明るくなったよね」
みんなと接するうちに、いろんな角度からそんな嬉しい言葉を受け取りながら、私はこの場に関わっていました。
入った頃には、静まり返っていた空気が、私が始めた「聞くだけセッション」をきっかけにほぐれ、チャットでのやり取りが増え、声が行き交いはじめた。
そんな風に、人が動く瞬間を、その小さな連鎖が生まれる場面を、私は確かにここで見てきました。
私は、本当に嬉しかったんです。
── あぁ、みんなと学んでいるうちに、長年封印していた私のリーダーシップが、本来の姿が、生き生きと蘇ってきているんだな。
そう感じていました。
だから、ここは数字だけを追う場所ではなく、人の内側の変化や、揺れている途中のプロセスも、ちゃんと扱ってくれる場所なのだと、心から信頼していたのだと思います。
だからこそ、本当にショックでした。
怒りのあとに来たのは、失望でも、悲しみでもない。「理解」だった。
思い返せば、伏線は少し前のグループコンサルティングの場にありました。
私が大切にしてきた自身のブランドへの想いを伝えたとき、講師からさらりと言われた言葉。
「10年大切にしてきたブランドの歴史や想いはわかるよ。でも、まずは数字を作ろう」
そのときも、正直、私が10年という歳月をかけて、大切に育ててきたブランドや思想が、あまりに軽くあしらわれたことに、多少の引っかかりは感じていました。
でも、ビジネスの世界なのだから、確かに現実的で正しい助言なのだろう、きっと私を想ってのことに違いない、と自分を納得させていました。
だけど、このシェア会での衝突でも、講師が私に向けて放った言葉は、やっぱり、「とりあえず、綾香さんも数字出そ!」でした。
—— あぁ、そうなんだ。
心のどこかで、今までの違和感とその言葉が、すとんと音を立てて一本の線に繋がった瞬間でした。
── 数字がある人は、正しい
── 数字がない人は、まだ語る段階にない
この場では、「何を大切にしてきたか」よりも、「今、いくら出しているか」の方が、圧倒的に優先される。
いま、私がどこに立っていて、何を感じ、何を掴みかけているのか。
それらは深くは見られないまま、「数字を出せばいい」というたった一言で、すべてが回収されるのだなと、その瞬間、はっきりと理解しました。
どれだけ早く、数字として示せるか。
それが、この場で重視されている評価軸なのだと、ようやく腑に落ちました。
私にとっての数字
私は、数字を否定しているわけでも、成果を出すことを、軽んじているわけでも全くないのです。
ただ私は、「単にコピーだけで、たいした中身がなく数字を出すこと」に違和感を感じていただけでした。
それはいつか必ず、『もっと数字を出す!』と、ただひたすらに数字を追いかけることになり、結果として自分自身を追い詰めることに繋がってしまうことを、私は自分自身の過去から知っているからです。
売上の100万、300万という数字は、本来、誰かを幸せにした結果であり、対価であるはずです。
それがいつの間にか、信頼性や権威を証明するための記号となり、序列を作るための道具になり、数字=偉い、という単一の価値観に変わっていく。
成功事例を守るために、理念が少しずつ後退していく。
同じやり方をなぞれる人だけが評価され、それ以外は静かに弾かれていく。
その感覚を、私はどうしても受け入れることができませんでした。
揺れながら考えること。
違和感を言葉にすること。
まだ形にならない問いを持つこと。
ここは、その過程ごと、引き受けてもらえる場所だと、信じていました。
でも、違ったのです。
立ち止まることも、問い続けることも、未完成のままでいることも、何ひとつ価値にはならない。
そのことが、もう疑いようもなく、私の中ではっきりと分かってしまったのです。
私はこの日、その構造を、身をもって理解しました。
(続く)
