2023年の身体の異変を状況と共に振り返る
2023年年末、note初投稿
今年一年は、自分の中の思想や将来を考え直す大きなきっかけとなった年だった。
初投稿であるこのnoteは、今年私の身体に生じた症状を全て記そうと思う。長くなるが、今後も治療していく中で自分自身の症状を整理しておくことは重要であると思った。
また、いずれは体調不良期間に変動した心情についても投稿する予定である。その為、その心情に至った私の背景をこの投稿で少しでも知ってもらえたら嬉しい。
自己紹介
まず、軽く自己紹介から始める。
私は理系の4年大学を卒業した後、同大学院に進学した修士1年生(女)である。成績が特別良い訳ではないが、真面目に講義に出席しテストも人並みにこなす平凡な学部生活を送った。また、学部3年生の頃に研究室に配属されてから院生となった今まで研究漬けの毎日を送った。
正直、今年の7月辺りまでの私はかなり順調であった。これまでに得られた研究成果を数々の学会で発表し、これらの経験から大学院では学費免除や財団からの給付型奨学金を獲得することができた。
研究室について
次に、私が今の研究室を志望した経緯について記す。
私は、いつも自分にうっすらと劣等感を感じていた。中高は県内有数の進学校に通っていたが、成績は最下位付近。何よりも中高時代、勉強に一切面白みを感じられず本腰が入らなかった。そのため志望大学のランクを何度も落とし、今の大学に適当に滑り込んだ。それに比べ旧帝大現役合格の優秀な兄、兄と同大学卒で上場企業で部長(詳細は書けないのでほぼ割愛)を務める優秀な父。さらに、親戚一家も旧帝大卒がほどんどで、自分の努力不足であることも自覚しているが、結果論としてはただ「出来損ない」と言う劣等感だけが私を支配していた。
そのため、今の研究室を志望したのは、「自分を変えたい」と言った薄っぺらくもやる気に満ちた感情だった。志望した研究室は、ボスが厳しいと噂で評判が低かった。研究の体制もキチンと定まっており、毎日9-17時まで研究すると言う規則正しい生活を送ることになった。(しかし17時に中々帰れず、夜遅くまで作業したり休日もよく登校していた。)ボスのキツい口調や、自分の能力以上のことを求められることが苦しく、何度も隠れて涙した。しかし同期と共に切磋琢磨しながら卒論を提出し、めでたく大学を卒業することができた。
自分で言うのも何だが、私は同期の中でボスから特に期待されていた。テーマで良い研究結果が得られたのが始まりだったが、「自分を変えたい」と望んでいた私は、ボスに従順で少し無茶なタスクも「自分の成長のため」と言い聞かせ必死でこなしていたからだ。進学した理由もボスに少し強引に勧められた部分が大きく、学部時代に獲得した内定は辞退し親を説得して進学へと踏み切った。
そんな卒業を機に、同期が就職・他大学院に進学し、研究室に残ったのは私のみになった。
そこからが始まりだった。
修士1年になった私は、修士2年の先輩からタスクを押しつけられることがさらに増えた。元々空気の読めない(KY)先輩であり、先輩のKY発言に幾度となく傷ついてきた。その度に同期に吐き出し鬱憤を晴らしていたが、同期が一人もいなくなり孤独になった私はモヤモヤをため込んでいたのかもしれない。
また、私の研究室では大学院生が学部生を育てるメンターシステムがあり、後輩達への指導がタスクに加わった。自分のテーマの研究、他大学と行っている共同研究、さらに大学院の講義、学会などが重なって疲労困憊の中、ボスからの期待やキツい口調、嫌な小言、さらに先輩のKY発言もあり重圧や苛立ちを覚えることが次第に増えていった。
初めての身体の異変
それら(研究室でのストレス?)が身体を蝕み始めたのは7月頃からだ。食事をすると動悸のような、胸に違和感を感じるようになりほぼ食事ができなくなった。
7月23日。この日は日曜日だった。いつも通り晩ご飯を少し食べていたら、急に大きな動悸に襲われた。恐ろしくなりご飯を中断、部屋で休むもいつもは収まる動悸が全く収まらず焦り始めた。イヤホンガンガンでアニメを見るなど、気を紛らわそうとしたが無駄。動悸は激しくなる一方であった。呼吸困難になり、「死んでしまうかも」という不安が私を襲った。そこで耐えきれず、母に夜間の急患センターに連れて行ってもらった。しかし血液検査や心電図の結果、身体に異常はなし。その日は安堵し、動悸も収まりつつあったため帰宅した。「きっと疲れているんだ。」と思い、次の日は学校を休み、またその次の日からは普段の生活に戻った。
しかしこの23日の動悸以降、食事になると必ず動悸が生じるようになった。そのため心臓内科に通院し、日中心電図をつけたり、毎日心拍数を図るなど様々な医療機器で心臓の異変を探った。しかし一切異常は見つからなかった。
この頃から、私の動悸は精神的な疲労が要因であると考え心療内科に通院し始めた。だが最初に通院した心療内科の先生は、話しをあまり聞かず適当な薬を処方する診断スタイルであり私にはあまり合わなかった。
さらに身体のSOSを舐めきっていた私は、研究、オープンキャンパスの手伝い、就活、講義に追われ、ほとんど夏休みを取らなかった。
外出先での動悸による恐怖
8月末、私は学会のため新幹線で遠出をした。この頃にはご飯はほぼ食べれなくなっており、inゼリーで昼食をすませるなどの日々を送っていた。「遠出して、動悸は大丈夫かな…」と不安を抱えながらも、何とかなると思い込んだ。実際に発表は無事終わり、後に優秀賞を受賞することもできた。また飲み会ではお酒を飲まず、アラカルトであったためほぼ食べずにその場をやり過ごした。
しかし、問題はホテルに戻ってからだった。
身体は疲れ切っているはずなのに、動悸がして眠れないのだ。眠れないため、空腹に拍車がかかった。一人知らない場所で、動悸と空腹による吐き気に狂いそうになりながら何とか3時間ほど眠った。翌朝、空腹にも関わらず朝食は動悸でほぼ食べられず、ホテルを後にした。
このまま、帰宅すればよかった。
この時の私は本当に馬鹿であり、まだ怖い物知らずであった。
「体調は悪いけど、せっかく遠くに来たし観光しよう。」と思い、新幹線乗り場から遠く離れた観光地を目指した。道中も動悸がしていたが、なぜか大丈夫だと思い込んでいた。しかしいざ観光地について歩いていると、息ができないほどの動悸が襲ってきた。7月23日と同様のものだ。このままでは死んでしまう、と思い一切観光せずそのまま再度新幹線乗り場のある駅に必死で戻った。
ここからは、さらに地獄だった。
知らない場所で大きな動悸が止まらない上に、生理になった。私は生理不順で2か月ぶりの生理であった。これまでに感じたことのない体調不良(動悸・吐き気・悪寒・腹痛)に、恐怖を感じながら何とか家に帰宅した。(ちなみに、今思い出すだけでもトラウマで動悸がする。)
家に着き母に状況を説明している時、あまりの恐怖を思い出し大号泣した。
母は、23歳にもなる娘の私の頭をなでてくれた。
身体に鞭を打つ
9月初旬から私は懲りずに大学に復帰した。数日休んだから大丈夫、と思い込んだ。
しかし研究室で作業していても動悸が止まらず、嫌な危機感を覚え大学の保健室に駆け込んだ。そして保健の先生に自分の症状を説明している最中、より不安が募り動悸が大きくなっていった。そして遂にはその場に倒れてこんでしまった。
その後はあまり記憶にないが、母に大学に迎えに来てもらった。その日の内に身体を引きずって内科に行き、点滴を打った。私があまりに内科の先生の前で大泣きするため、先生が大きな病院の心療内科医を紹介してくれた。私はどうやら、気づかない内に強い恐怖・ストレスを抱えているようだった。
これだけの事があってもなお、私は研究室に通い続けさらには就活も進めていた。なぜなら、「私がキチンとしていなければ、後輩に見せる顔がない」と思っていたからだ。私は昔から、人の顔色ばかりを伺って生きてきた。(自分の心情ついては、また別の投稿でまとめたいと思う)
もし私が長期間休んだら、ボスに、先輩後輩に、母に、父に、兄にどう思われるのだろう。そんなことを考えると、身体がボロボロなのに不思議と「休む」と言う選択肢は無くなっていた。
その後は、紹介された心療内科で処方された精神安定薬で身体を誤魔化し、体調は全く変わらない生活を送った。(もちろん食事はできないまま)
また他人の目以外にも、10月末に遠出で大事な学会があったため、ここは踏ん張りどころでありより休む訳にはいかなかった。実際にこの学会を私はとても楽しみにしていた。(開催場所が初めての土地であり、発表する研究内容も全て新規であったため)
10月末まで、私は身体に鞭を打って走り続けた。身体の異変に対して、「こっちは忙しいのに本当にウザいな」くらいに思っていた。
しかし身体側がとっくに限界を迎えていたようで、学会発表2日前にまた大きな抑えきれない動悸が襲ってきた。大学で資料を作成していたが、自分の身体の異変を感じ帰宅した後のことだった。
その時の動悸は、今までで一番大きく本当に意識を失いかけた。処方されていた動悸時に飲む頓服を服用したが効果はゼロ。身体が宙に浮いた感覚が続き、恐ろしくて1時間程大号泣した。少し落ち着いた後、私は自分の身体が本当に限界であることにようやく気づいた。そして学会での発表を辞退し、その日から大学に行けなくなった。
身体の限界(病欠)
何度も何度も研究室に行こうとした。
11月初旬は母に大学まで送迎してもらい、車から出られずそのまま帰宅する行為を何日も繰り返した。頭では「早く行かないと」と思う反面、身体は完全に動かなくなっていた。また11月12日の夜1時頃。学会前の動悸よりもさらに大きな動悸に襲われた。私は命の危機を感じ、眠っている母を起こして「救急車を呼んで、死んでしまう」と心臓を抑えながら泣き喚いた。本当に怖かった。あの時は、動悸(大きくドキドキと脈打つ)が限界突破して目の前がチカチカしていた。
次の日も急患に行き検査したが、やはり結果は前回と同様で身体のどこにも異常はなかった。
私は、「ただ動悸がしていると思い込んでいる人」と言うことが分かったと同時に、自分では対処のしようが無いことに絶望した。
そこからは大学に病欠手当を提出し、12月末の今まで家で休息を取っている。
今後について
ここまでが今年、私の身体に起こった出来事である。
私はこれまで大きく身体を崩したことがなかった。そして、この体調不良が精神起因であることが悲しかった。自分はこの研究室で沢山研究し、良い成果を残し、就活ではそれなりに納得できる企業で研究職の内定を目指すと疑っていなかったからだ。
12月31日現在は、外出すると考えるだけで動悸がする身体になり、家に引きこもり状態である。しかし、食事の量はかなり増えてきたと言う点では良好である。
今年一年は本当に変動の年であった。
沢山の事を諦め、数え切れないほど涙を流した。
来年はどうなるのか。
「人生、なるようにしかならない」と言う言葉は案外マジだった。
行き当たりばったりが嫌いな私だが、現実は予想していた未来を平気で塗り替えていくので、起こるか分からない未来の事はとりあえず考えず、
空っぽの気持ちで新年を迎えようと思う。
最後に
ここまで読んで頂きありがとうございました。
急に現れた大学院生の体調不良を綴っただけの投稿ですが、どこか共感して頂ける部分などがあったのなら嬉しいです。
重複しますが、今後も引きこもり期間に変動した気持ちや将来像、また趣味のことなども投稿していこうと考えているので、これからも読んで頂けますと幸いです。
それでは皆さん、良いお年を。
