「いいなぁ。」の裏側に
娘がなかなか家に帰って来ない。
LINEを見たら、友達と近くの映画館で映画を観てくるとのこと。
咄嗟に「いいなぁ。」と思った。
私も先週末、映画に行こうとしたけれど、娘の服の買い物に付き合うことになったので、映画は断念した。
買い物を次週にしたかったけれど、娘の塾の休みに合わせると調整のつく日が他になかったのだ。
仕方なく、日曜の午後は3時間ほど買い物に付き合った。そのあとの散髪も。
思い出せば、今月は一度も映画を観に行っていない。
先月までは一人で安々と映画館へ外出していたけれど、今月は娘の高校説明会で毎週土日がほぼ埋っている。おまけに先々週は体調も崩した。
今どき配信もあることだし、わざわざ映画館に行かなくともとも思っていた。観たいものは土日、家で消化すれば済む話だと。
しかし、娘が映画館へ行った話を聞くと、羨ましい気持ちが何よりも先に出てきた。娘が観た作品は私が観たかったものではないけれど、私ができなかったことに対し、娘が安々とこなせているのに羨む。
学生と労働者は違うのは当たり前だが、日々窮屈なスケジュールを乗り切る自分の毎日を、少し恨んだ。
「子どもが受験生とは、大変ですね。」みたいなことを、今年中学3年の娘がいると人に伝えると、よく言われる。
勉強を頑張るのは娘だから、私が大したことはしなくても…と、最初は思っていた。
けれど、優柔不断である私の娘なので、志望校を「絶対ここに行きたい!」とはなかなか絞りきれないようなのだ。そこで親のサポートが必要になる。
気づけば、受験するかもしれない遠方の高校までも何校か調べ上げ、一生縁がないかもしれない学校を毎週見て回っていた。
そしてその帰り道は決まって、終わることのない娘と私の受験攻略問答になる。
「これが、受験生の親が大変と言われる所以なのか。」と思い知った10月。
きっと、自分の軸が確立して、志望校へまっしぐらに進んでいる子どもなんて、クラスに1%くらいしかいないのだろう。
親の理想としては、子供の自分軸をただ盛大に応援していたいところだけれど、残念ながら私の娘はその1%ではない。やりたいことも、先の未来も、全く見えていない、かつての私と同じような中学生なのだ。
先週行ってきた娘の服選びも、とにかく時間がかかった。
欲しいものが決まっていたとはいえ、試着だ裾上げだと、レジに向かう前に何度も試着室を行き来してはサイズを確かめ、店員さんを何回も呼び止めた。
服に全く興味がない中高時代を過ごしてきた私としては、娘こそ服や見た目を楽しんで欲しいと思う。けれど買うまでに毎回3時間ほどかかるのはどうなのだろう。
娘の服選びに興味がないわけではないが、付き合っているとだんだん面倒になって疲れてくる。店で見かけた、「おしゃれに気を遣っている母親と思しき人たち」は、もう少し子供に寄り添っている。多分、おしゃれが好きで、こだわりがあるからなのだろうと思う。
そういう人たちと比較すると、私にとってのファッションとは、結構どうでもいいことなのかも、と痛感する。
娘が試着室でうんうん考えながら一着を選ぶのに対し、私がじっくり考えず、一気に購入を決めてしまうタイプであることも、「娘との買い物が疲れる要因」かもしれない。
今月、土日にいつもの息抜きができない私は、映画から帰ってきた娘に対し、ちょっと不貞腐れた態度をした。
私たちと同じ時間に取れなかった娘の食事の支度にうんざりし、イラついて「食器は全部自分で洗ってよね!母ちゃんの時間がなくなるから!」と、娘にその苛立ちをぶつけてしまった。
娘から、「母ちゃん、なんでそんなに怒っているの?」と言われた。
「母ちゃんが映画にいけなかったのに、あなたが行っているからだよ。」と思わず私も返してしまった。
意味が分からず黙る娘。
自分で選んだ土日の都合が思い通りいかなかったイライラをぶつけたことは良くないのはわかっている。
良くない。
絶対良くないのだ。
苛立って、わーっと投げ出す表現でしか、自分のしたいことを守りきれない私は、だいぶ弱っていると思った。
今週末は奇跡的に高校見学の予定がない。
行ける時にピューっと映画館に走り出したい。いや、明日行けそうなので夫にLINEで「明日仕事の後に映画に行きたいから、夕飯よろしく。」と家事を頼んだ。「へい。」という返事だけが返ってきた。
「いいなあ。」と子供にさえ羨ましがっているなら、自分のエネルギーを低める前に、とっとと自分がしたいことをすれば良い。
子供のためとか言い出さず、迷わずに。
私よ、素直にやっていけ。

ロールケーキ。
配信映画を見ながら食べた。
