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黒鍵に雫が垂れる


 は音楽学校に通っている。周囲の者は「普通の高校に行け」「今からでも間に合う」「ちょっと楽器ができたくらいで食べてはいけない」などと口を揃えて言う。


 だが、音楽漬けではなく英語や数学の授業もあり、運動部まで存在していた。「あなた方がご存じではないだけでしょう」と言い返さずとも僕は常に思っており、ただ、装飾が施された、ややエレガントな制服と、楽器ケースを見るなり
「うーわ。〇〇高の子だよ」
偏差値の低そうな言葉を浴びせられる度に
「いや、世界的な演奏者を輩出した高校だぞ」
僕もそうなれる筈だと信じて、後の練習に熱が入る。


 このように、自分はとにかくプライドの塊だった。
 ショーウィンドウに惹かれて、たまたま寄り道をしたヴィンテージのアクセサリーショップ前で、彼女と出会うまでは。


 いつも(道路挟んだ)左側を通行していて、何故だか気付かなかった反対側の店通り。
 同時に入り口のドアノブに触れ、小さな手と重なってしまい、慌てて引っ込める。
 学生食堂の白パン並みに柔らかかった。
「失礼しました、どうぞ」
 顔さえロクに見ないまま、あちらのセーラー服ひとつで近隣の女子校を思い浮かべる。
 虫のように凄まじく苦手──彼女らはこちらを平気で貶す(同じ私立高校なのに)。
 

 そのままそろりそろりと離れて背を向けると、後ろから
「あの!」
と呼び止められ、嫌な予感と仄かな期待を半分ずつ抱えながら振り返ったところ、セーラー服が似合わない、小学生の如く背が低く手足の細い女の子が目をキラキラさせて、僕のことを見上げていた。


「えっと、例えば細かく黒い石がついた白い輪っかとか。実は私、ピアノっぽい指輪を探してるんですよ。ここにありますかね?」
 知らんがな。咄嗟にこう返したくなったが、
「まず初めて来たんで、僕は何も。店の人に聞いてみたらいいんじゃないですか」
せめてものアドバイスをすると、途端に彼女は眉毛を下げて悲しそうな顔に変わる。


 1年生だろうか。辺りに友人らしき姿も見当たらず、スクールバッグの肩ひもをぐっと掴んで、不意に唇を尖らせた。
「良ければ一緒に……やっぱり、帰っちゃいます?」
 放課後の個人レッスンが休みとはいえ、拗ねた子供に付き合っている暇はない(お前も高校生だと笑われようとも)。


 しかし、これでもし騒がれたり泣かれでもしたら非常に困る。
 何より音楽を愛する僕が、学校の評判を落としてしまうなんて、あってはならなかった。
「うーん。10分程度なら」
 僕の曖昧な答えを聞いて彼女の曇った表情が晴れていく。「ありがとう」と屈託の無い笑顔で言われ、
「行きましょう!」
思いのほか強い力で店内まで引っ張られる。


 そこに足を踏み入れた瞬間、独特の匂いが僕らを包み込む。壁一面に貼られたポスターやスクエア写真は色褪せており、埃のせいで彼女がくしゃみをした。
 僕がポケットティッシュを差し出すと、彼女は鼻を啜ってどこか誇らしげに
「大丈夫です」
と断り、真っ直ぐ指輪売り場に向かう。


 あまりに自然体で、うっかりペースに巻き込まれてしまいそうだ。否、手遅れか。
 彼女はケースに入った指輪を眺め回すも、それらしきものはなく、さっさと終わらせるべく僕は窓辺に並べられた華美なデザイン、且つ高価なアクセサリーのコーナーに移った。
 が、とても学生が購入できる値段ではないため、見つかったとて彼女は諦めるだろう。



 実にくだらない遊び、欠伸が出て、窓から当たる西日に目を細める。
 ディスプレイとして毎日こんなにも眩しい光を浴びるアクセサリーたちに幾らか同情した。
 と、いうか「いらっしゃいませ」の一言もなければ店員も不在と思われる。


「不気味だな」
「え、なんて?」
 僕の独り言を彼女が拾い、こちらに寄ってきた。何と、右手の親指に鍵盤を模した指輪をはめている。
「ああ、例の。あったんですか」
「はい。すぐ側に茶色いマネキン、トルソー? が立ってて、渡され──あれ、おかしいな。動く訳ない、ですよね」


 瞬く間に空気が凍った。
 秋にも拘らず窓の外は猛吹雪で、いきなり全てのアクセサリーが消え去って、アクセサリーショップは空っぽ、冷凍庫に放り込まれたような寒さを感じ、唇がわななくばかりか彼女が悲鳴を上げ、僕に抱きつく。
「ちょっ。やめてください」
「だって怖いんだもん。もう、やだー。私なんか悪いことした?」
 わっと泣き出した彼女の涙すら雪に化け、結晶が僕のブレザーを更に彩る。


「しかも、は、外れないの。指輪が」
「はあ」
 勘弁してくれ。仮にアルバイトをしていようと、初対面の女の子に約3万円のアクセサリーを贈るほど僕の懐は深くない。
「多分、私が邪な気持ちだから」
 意識したら和太鼓のような鼓動が伝わってきたので、つられて赤面し
「どういうことですか」
寒い中ロマンスを始めかける。


 ところが突然、
「はいはい、口実。そっちの女はあんたがずっと好きなんだよ。アクセサリーには興味なんぞない。今だって『付き合えるかもー』とか何とか、内心浮かれてる。くそ、とんだ茶番で腹が立つ」
僕らの前に茶色いアイアントルソーが現れ、悪態をついた。
 彼女は「きゃーっ」と叫び、顔を両手で覆う。一方の僕は驚いて仰け反り、しばらく言葉を失った。


 勿論トルソーなので頭はなし、胴体も骨組みのみ(従って声の出所が不明)、先程に引き続き、怪奇の最中には違いない。
黒鍵に雫が垂れる
 考えに耽れば、またトルソーが喋る。どうにか早く帰りたい僕は知恵を絞り、学校で習った詩を思い出して、切り返す。
ソナタとラプソディの狭間で眠る


 何となく寄り添ったままの彼女が息を呑む。
「おお、よく知ってるね。お勉強はまともにしてるってか」
 喜んだように声を弾ませたトルソーに
「じゃあ、あんたなら続きにどんな言葉を選ぶ?」
こう問われた僕は馬鹿にされた気分で脳を回転させた。
ドレミファソラシドの中にルが混じる、かな」
「ほう。斬新でなかなか面白い」


 トルソーが感心したようにつぶやくと、次第に店内が暖まり、10月を取り戻す。
 そして、窓の外の猛吹雪も止み、アクセサリーが以前より多めに並べられる。
 どうやら助かったらしい。無事に彼女の指輪も外れ、トルソーの迷惑な暴露で若干気まずい僕らはそそくさと店を後にした。


「指輪、ホントはプレゼントして告白したかったけど。全然上手くいかないや」
 彼女が相好を崩し、緊張が解ける。
 まさか、見知らぬ女の子に片想いされていたとは。
 夕陽がふたりを照らすひと時、心の鍵は捨て、再び彼女と向かい合う。


「ごめんなさい、在学中は男女交際するつもりないんです。でも、あなたの名前を聞いていいですか?」


★元は詩でしたが、物語にしてみました。