薄氷の上を走る
〈太陽〉という名前がぴったりな男友達がいる。
彼はライオンのような外見で、口が悪く、大雑把な性格だが、この町に引っ越してきたばかりの私が、友人を探すべく入ったランニングサークルにおいて、すぐ声を掛け、歓迎してくれた。
我がサークルメンバーの年齢は幅広い。太陽と私こと真昼はどちらも社会人であちらが3つ上だった。
互いに恋人はおらずとも、私たちはあくまで趣味で繋がった仲であり、一定の距離を保ってきた。
そして、社交性が高い太陽のおかげで次第に仲間も増え、楽しく活動できるようになった頃、
「大会の前にさあ、ちょっとコース走ってみてえんだわ」
「ふーん。頑張ってね」
「何寝ぼけたこと言ってんだ、真昼も強制参加」
彼に引っ張られ、私まで河川敷へと連れて行かれる。
しかも、本番を想定した時間帯ではなく夜で、近くを通るのはせいぜい散歩しに来た犬と飼い主くらい。
これはもしかして、趣味を口実にしたデートだろうか。
ふたり並んで走ると、太陽の呼吸を妙に意識してしまい、私の鼓動が速まっていく。
「俺は永遠に陸部のノリを引き摺ってる感じだけど、真昼は違えよな?」
「うん。元・吹奏楽部だし。強豪校で肺活量鍛えるために校庭走らされてたら、自然とそっちが好きになってね」
「変なヤツ。なあ、腹筋とかも割れてんの?」
「お腹触ってみる?」
何も考えず、こう口にすると太陽が黙った。普段は笑って流してくれる冗談が、ここでは特別な意味になるらしい。
早鐘を打つ心臓は、きっと練習のせいではなく──認めたら最後だ。
どうにも胸が苦しくて、途中で歩みを止めた私に太陽がスポーツドリンクを差し出す。
「ありがと、ひゃあっ」
受け取った後に勢いよく蓋を開けて、びちゃびちゃと白っぽい水が下に落ちる。靴が直撃を食らって濡れ、「ぷっ」と太陽が吹き出し、「馬っ鹿じゃねえの」といつもの調子を取り戻した。
私たちの斜め上に月が顔を出している。
時折、雲に隠れる今夜の月はまるで私の気持ちのよう。このまま友情を守っていられるか否か葛藤しているうちに、暗闇の中で前に転びかけた。
あれほど太陽が「ここら辺は明かりが減る。しっかり俺の側に居ろよ」と注意を促したにも拘らず……痛みを覚悟し、ぎゅっと目を瞑るとまさに先程、話題にしていた腹部がほんのり温かい。
「腹、マジでカッチカチじゃねえか」
彼に抱き止められ、片腕だけで私の体を支える力強さ、伝わった体温、必然的に縮まる距離、危うく薄氷を踏み抜きそうで、見つめ合うことを避ける。
「でしょ。まだ鍛えてるんだから」
「じゃあ簡単に躓くなや」
辛うじて漫才のような掛け合いができた。
それ以来、秘密の練習は常習化する。
ふたりきり、もう踏み込んではいけないと思いつつも、太陽に誘われると断れなかった。
加えて、サークルでは話さない内容の、たとえば恋愛についてだとか、が寒空の下の私たちを暖める。
「私、5年近く同棲してた彼氏と別れたんだよね」
「うわあ。長え分、しんどいだろ。で、こっちに引っ越してきた訳だな」
「そうそう。でも、いいとこ(ランニングサークル)に入れたし、」
太陽とも会えたから。その言葉がどうしても伝えられず、恋と友情の境界線が着実に揺れ始めた。

やがて、私がエントリーした大会の日がやってくる。よりによって前夜、太陽が『走り終わったら話したいことがあんだ』とメッセージを送って寄越し、気になって数時間眠れず、コンディションはあまり良くない。
危険な胸の疼きに取り憑かれ、せめて愛の告白であって欲しいと願った。
ゴールで待っているのはハッピーエンドか?
走りながらついに自覚した気持ち。秘密の練習を通して私は太陽のことが好きになり、足がもつれても止められない。
私にとっては名前の通り眩しくて、太陽の如く直視できない存在だとしても、もっと彼に近付きたかった。
仲間の応援が耳に届く。太陽は最後まで現れなかったけれど、落胆する私を捕まえてズンズン歩いて行き、ひと気が少ないところで立ち止まる。
「まずは真昼、お疲れ」
「本気でそう思ってんならさっさと帰らせて」
軽口を叩く余裕があったので、太陽が安心したように笑う。
改めて咳払いをしてから彼は私の両肩に手を置いた。
「悪い、余計なプレッシャーかけちまった。前以て言うことじゃなかったわな。で、まあ、わざわざ何だってのは、俺が去年離婚してるっつう、今時珍しくもねえ話なんだが」
離婚、の重さに心臓が跳ね上がる。彼は30歳で、独身だと信じ込んでいた。
しかし、仮に1年前、太陽と親しかったのならば、私はコースを逸れて彼と不倫をしていた恐れがある。
「子供、は」
「いや。紙切れ1枚で始まって終わった。そんで、気のせいだったら『オッサンやかましいわ』っつって。真昼は俺とどうなりたい?」
ずるい。私に委ねるなんて。
〈できれば〉太陽との交際を望むも、離婚を経て現在は誰とも恋愛をするつもりがないなどと返されてしまったら、しばらくは心が塞がるだろう。
「うーん。練習のためにしょっちゅう呼び出された理由が分かった、かも。つまりは寂しいんだね、付き合ってあげてもいいよ」
「ははっ、真昼はかわいいなあ。よし、今度は河川敷じゃなく、俺んちで!」
「太陽はうるさい」
互いに〈好き〉とは口にしない関係のスタートラインに立った。
私たちは今後も、薄氷の上を走る。
★リクエストありがとうございましたᐢ..ᐢ初めていただけて嬉しかった〜!
