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50代の白髪。染めるのは誰のため?—主語を「わたし」に戻す話

白髪って、こっちが元気ない日に限って“ドヤ顔”で現れません?

ヤツは一本だけピンと立ったり、一箇所に固まったり、じわじわと居場所を占領していくんです。

そして気づかぬうちに、わたしが思っているよりも居座っていて、ダメージを与えてくる。

今日も夕方、鏡を見て思いました。

「あ〜〜〜😭 もう染めなあかん時期ちゃう?めんどくさい。手間がかかる。今日はそんな余裕ない。
でも、白髪を放置する強靭なメンタルもない」

……強靭なメンタルってなに?

白髪相手にどんな戦いしてんの、わたし。

でもこのモヤモヤ、わたしだけじゃない‥ですよね?


白髪どうしてる?って話題になると、だいたいこうなる。

「染め出したらやめられない」

「長くても2ヶ月に一回は染めてる」

「手間もお金もかかるし、本当はやめたい」

……ですよね。分かる。分かりすぎる。

でも、ここでふと思ったんです。

なんでわたしたち、やりたくないことを、ちゃんと続けてるんやろ。

白髪染めって、別に「好きでやってる趣味」じゃない。

どちらかと言うと、“めんどい寄りの義務”に分類されがちなのに。


たぶんこれは「わたしの意思の問題」だけじゃない。

社会の空気、ありませんか?

たとえば、芸能人がグレイヘアにした記事のコメント欄。

本人は堂々としてるのに、
「やっぱり染めないと老けて見えるよね」って声が並んでたりする。

老いそのものが悪いわけじゃないのに、
「老けて見える」だけで評価が変わる。
そんな空気、まだまだある気がする。

で、結構厄介なのがここ。

男性の目線より、女性同士の目線の方が…厳しい時、ありません?

……というより、正確に言うと、

“わたしの中の採点”が一番シビアな時がある。

「疲れて見えたらあかん」

「きちんとしてないと思われたくない」
って。

結局しんどいのは、他人の目より“自分の目”やった。


「え?わたしってこんなに年取ってる?」
「いつもこんな姿を世に晒しているの?うそでしょ」

ふとした鏡の中の自分。

意識せずに鏡を見た時の静かな衝撃。

白髪がある=ダメ、じゃない。

でも白髪が増えてる自分を見ると、
このまま確実に歳をとっていく現実と無理やり向き合わされて、不安になる日がある。


しかも白髪染めって、地味にお金がかかる。

美容院に行くと万単位で飛んでいくし、自分で染めるとムラが出るし、髪の傷みもひどくなりがち。

お金も、時間も、頭皮の元気も持っていかれる。

「このお金あったら何できたかな?」

そう思うほどに、ちょっと切ない😭

「月1で、ご褒美ランチできたやん」って。

でもやっぱり、放置プレーする勇気はなくて。

だから今のわたしの結論は、こうです。


染めるか、染めないかを決めたいんじゃない。

“誰のために”を一回ほどいて、主語をわたしに戻したい。

・染めるなら、わたしは「わたしの安心のために」

どうせ染めるなら、メッシュ入れたり色で遊んだりして楽しんでみたい。

知人には青色を入れたり金髪にしたりしてる人もいて、それはそれで楽しそうやった。

・染めないなら、わたしは「わたしの自由のために」

グレイヘアを“放置”じゃなく“デザイン”する。

こまめに手入れして清潔感は保ちつつ、自由を満喫する。

白くなるグラデュエーションを楽しんで育てていきたい。


どちらの選択をしたとしても
“わたしが選んでる”って思いたい。そして、とことん楽しみたい。

敵は白髪じゃなくて、白髪を敵にしてたわたしの考えやった。

だからわたしは、わたしの気持ちに素直に生きたい。


染めるか、まとめるか、今日は見て見ぬふりするか。笑
どんな選択でも、それはわたしのため。

…で、見て見ぬふりした日は、
鏡に近づかないという高度な技術で乗り切ろう。笑

みなさんは白髪、染める派ですか? 染めない派ですか?
それとも見て見ぬふり派ですか?笑

よかったら、あなたの“派”も教えてください☺️


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