50代、『自分が変われば相手も変わる』は嘘だった。|私は“採点”をやめた。
「自分が変われば、周りも変わる」
そう聞いたことはないですか?
私は長年、母からこう教え込まれてきました。そして最近まで、本気でそう思い込んでいました。
だって、きれいな言葉です。
前向きです。
正しい気がする。
でも、その“正しさ”を真面目に抱えた結果、
私の中に育ったものがあります。
育ったのは「全部自分が悪い」というドロドロ
起きたことは、これでした。
「全部自分が悪い」
そういう、黒くて粘つく気持ち。
反省して、改善して、努力して。
それでもうまくいかないと、また自分に戻ってくる。
「私の言い方が悪かった」
「私の努力が足りなかった」
「もっと大人にならないと」
言っていることは立派なのに、
心はどんどん削れていく。
気づけば私は、
自分責めの回収係になっていました。
夫の一言で、天国と地獄を往復していた
いちばん分かりやすいのは、夫とのやりとりです。
夫がたまたま優しい言葉をかけてくれると、
私はうれしくなる。
「私が変わったから?」って。
でも期待外れだと、すぐ落ちる。
「私が変わってないからだ。もっと頑張らないと」って。
この繰り返し。
冷静に書くと、感情が忙しすぎる。
優しい日=天国
そっけない日=地獄
私は「自分が変われば」と言いながら、
実は夫の反応で自分の価値を測っていました。
一喜一憂というより、採点です。
・優しい:合格
・そっけない:不合格
・無言:追試
追試が多すぎて、ずっと落ち着かない。
気づいて愕然。「管轄外」を操縦しようとしていた
最近、気づいて愕然としました。
私は、コントロールできないものを
コントロールしようとしていた。
夫の反応。
夫の言葉。
夫の機嫌。
夫の共感。
それってそもそも、
私の管轄ではないのに。
なのに私は、そこを握ろうとして、
反応に振り回されて、
うまくいかないたびに自分を責めていました。
そして決定打がもう一つ。
夫は、それを望んでいない。
そもそも、気づいてもいなかった。
私は勝手にテストを作って、
勝手に採点して、
勝手に落ち込んで、
勝手に追試をしていた。
書いていて恥ずかしいけれど、
本当にそうでした。
さらにショック。「相手」は夫だけじゃなかった
ここで終わりなら、ただの夫婦の話です。
でも私が本当にショックだったのは、これでした。
相手が誰でも、同じことをしていた。
職場でも。
義母のことでも。
友達とのやりとりでも。
「こう返してほしい」
「こう動いてほしい」
「私がこうすれば、うまくいくはず」
相手が違うだけで、仕組みは同じ。
期待通りだと安心して、
外れると不安になって、
最後は「私が悪い」と自分を責める。
私はずっと、
相手の反応で自分の価値を測っていたんだと思います。
反応が良い日は合格。
反応が薄い日は不合格。
でもそれって、
相手からしたら「知らないテスト」です。
そもそも、採点される理由なんてない。
優しさは、時々コントロールの仮面になる
そしてもう一つ、もっと痛い気づきがありました。
優しさは、時々コントロールの仮面になる。
私は「優しい人」でいようとしていました。
でも正確に言うと――
優しいふりをして、相手を誘導していた。
自分でも気づかないうちに。
「こう言えば角が立たない」
「私が大人になれば丸く収まる」
「私が我慢したら、相手も変わるはず」
そんなきれいな言葉を並べながら、
本音はずっと同じ場所にありました。
安心させてほしい。
理想の反応をしてほしい。
私の不安を消してほしい。
私は相手を操作するつもりなんてなかった。
ただ「うまくいかせたかった」だけ。
ただ「揉めたくなかった」だけ。
ただ、崩れたくなかった。
でも結局、
相手の反応を変えたくて、
優しさを道具にしていた。
ここまで書いて、少し胸が痛い。
でも、たぶんこれが私の真実です。
夫の「共感性のなさ」は、努力で増えないと気づいた
最近、もう一つ気づいてしまったことがあります。
夫の共感性のなさ。
これは努力でどうにかなるものではなく、
生まれつきの要素が大きいのだと、
直感で腑に落ちました。
責めたいわけではありません。
ただ、
「これは変えようとしても無理な部分なんだ」
と理解した瞬間、
頭の中で何かがほどけました。
思えば、私の繊細さ(HSP気味)も生まれつき。
これを努力で変えようなんて、私には無理です。
なのに私は、夫にそれを求めていた。
「もっと分かってほしい」
「察してほしい」
「共感してほしい」
自分は変えられないのに、
他人にそれを求めるなんて、おかしな話です。
そのことに気づいたとき、
今までの重荷が、がさっと落ちた気がしました。
重荷がなくなると「軽さ」に戸惑う時間がある
でも、いきなり軽くなると、
軽さに戸惑う時間があるんですね。
ずっと背負ってきた荷物が消えると、
身体が前につんのめるみたいに、落ち着かない。
「え、もう頑張らなくていいの?」
「このまま楽になって大丈夫?」
そんなふうに、
心が勝手に不安を探しにいく。
長年の癖って、怖いです。
だから私は、何かあるたびに自分に言い聞かせました。
「これは生まれつき。悪気があるわけではない」
その言葉を何度も反復して、
やっと少しずつ
“軽い自分”に慣れていく感じがありました。
不思議なことに、夫もあっさりしてきた
不思議なことに、
そう気づいてから夫もあっさりしてきたんです。
毎日の電話。
私はずっと「夫が話したいんだ」と思っていました。
長電話になるのも、夫の性格だと思っていた。
でも最近は、数分で切れるようになってきた。
もしかしたら、
今までは私に合わせてくれていただけなのかもしれません。
私が共感を引き出そうとして頑張るのをやめた分、
夫も「合わせなきゃ」と力を入れなくてよくなったのかもしれない。
少なくとも、
私の中の採点が消えた分、
空気が楽になったのは確かです。
今の私は、軽さに慣れる途中にいる
今でも、ふとした瞬間に昔の癖が顔を出します。
相手の反応を見て、
「合格」「不合格」と採点したくなる。
でも以前と違うのは、
そこで止まれるようになってきたことです。
「あ、いま採点しそうになった」
そう気づけたら、それで一旦よしにする。
完璧にやめるんじゃなくて、
戻ってこれる回数を増やす。
私はいま、
“軽さ”に慣れる途中にいます。
私が変えたかったのは、夫じゃなかった
「自分が変われば周囲が変わる」という言葉を信じていた私は、
自分を変えようとしていたんじゃない。
本当は、夫を変えたかった。
もっと分かってほしかった。
もっと理想の反応をしてほしかった。
でもそれは、夫の問題ではなく、
私の「期待の設定」の問題でした。
相手を変えるのをやめたら、
私の人生が私の手に戻ってきた。
だから最後に、痛い本音を置いて終わります。
私は“成長”したかったんじゃない。
夫に“理想の反応”をしてほしかっただけ。
さいごに
もし同じループにいる人がいたら、これだけは言いたい。
変わる前に、まず採点表を破ろう。
相手の反応で自分の価値を決める人生は、
しんどすぎるから。
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