見出し画像

【ピリカ文庫】ハルノウタ

ほい。目の前でパーにした息子の掌に

くったりした、たんぽぽの花が載っていた。

ママにくれるの?と尋ねると、当たり前の顔で

頷いた。

わあ、ありがとうね。と私が大袈裟に喜ぶと

満足そうに踵を返して、また滑り台に向かう。

あれは、何歳ごろだったろう。

湿った小さな手に握られたくたびれたたんぽぽ。

ハルタの背中を見送りながら、私はたんぽぽを

そーっとベンチ脇の芝生に隠すようにおいた。

持ち帰り、押し花にするような感性や慈しみに

欠けていた。

ハルタは、帰りに「あれ、たんぽぽは?」などと聞かなかった。 

ハルタは、「ありがとう」とにこにこした私を見たらそれでよかったんだ。などと一度も思ったことはない。


だからといって、タイムマシンで戻っても、私は 
息子が私に差し出したささやかなプレゼントを
自然の中に返すのだろう。

私はそういう人間で、そのことに随分ととらわれている母親だった。


子供のかけがえのない幼少期でさえも、自分のことばかり考えていたような気がする。


公園でも、児童館でも、図書館でも。

ハルタをきちんと見ていたのかな。

私が私でなくなる漠然とした不安とばかり向き合っていた。

その焦燥はいつだって頭にうっすら雨雲の如く

湧き上がる。

子育てに吸収される時間と体力と気力。

最近、大人と話をしたのはいつかな。

夫と話すのもハルタのことばかりで私を掘り出しても、ハルタと全て重なっていた。

ハルタのためと思って叱りながら

私が母として、どう世間から思われるかがよぎり

ハルタの将来に役立つようにと助言しながらも

私がこの岐路で試されていると感じていた。

だから。

私が感傷にひたるなんて、随分図々しいんだよ。


子育てが私に背を向けようとする今、

掴もうとあがくなんて、虫がいいとはこのこと。


私は私にいい聞かせる。


☆☆☆

たんぽぽを私にくれたハルタは、18歳になった。


今日から東京で一人暮らしを始める。


ハルタが進学する大学は、

ハルタの希望した大学ではなかった。


ハルタの大学受験がうまくいかなかったのは


私の責任もある。そんな風に感じていた。


大学受験に関して、子供ごとだと思っていた。


情報収集もしなかったし、お金も出さなかった。


低迷する成績でさえ、そのうち浮上するだろうと


たかを括り、子供の道は子供が決めるべきだろうと

干渉しなかった。それならそれでよかった。

しかし、追い込まれてから大学受験とは、

家族ごとだと気づいて、取り戻そうとした。

丸投げしておいて、焦りもがき、追い詰めた。

ハルタが選んだ道は、私が勧めた選択肢であった。

自分で決めて選んだとは建前で、私が押し付けたのではないか。

私の思いを忖度しているのではないか。

ハルタを信じきれずに、ハルタが道を決めた後にくよくよした。


ハルタは、たんぽぽの時と同じだった。


私に、ほい。と自分の進路を差し出した。


そして、何も語らず淡々と、振り返ることはなかった。

ハルタが一人暮らしをする部屋の引っ越しが、それなりに片付き、私は商店街に向かう。


ハルタは、細かな片付けをしている。


ユニットバスを区切るシャワーカーテンと排水溝に流す洗剤と、足りないものを思い浮かべながら
歩く。


下町の風情が残る、のんびりした街並みが
息子のはじめての東京になることに安堵した。


ビニール袋をぶら下げてアパートに向かうと、
ハルタは、ダンボールをまとめて不燃物置き場に
降りてきたところだった。


だいたい終わった。ハルタはそう言った。


よかったね、住めるようになったか。私はそう返した。


ふと、アパートの駐輪場に目を向けると、たんぽぽが咲いていた。


昔、ハルタがね、たんぽぽをおかあにくれたことがあったな。と私が言うと


ああ。お母はさ、次の時は教えてね。って言ったよね、咲いてるとこを見たいなあって。と
ハルタは応えた。

覚えていなかった。

後ろからお父がきてさ、そうだな、咲いてる場所で生きてる方が健康的だ。とも言ったんだ。

随分と爽やかなことを言った夫と、それを覚えていたハルタに、私は驚愕した。

春は独り占めしない方がいいよ。

お母がそう言ったから、俺はそれ以来、保育園の散歩でも土産は摘まないと決めた。

と言った。何も知らなかった。

一つも覚えていなかった。
私が子育ての中で覚えていることなどほんの一握りだと突きつけられ、辿り着く。

子育てだって独り占めできるものではない。

だいたいそんな器量は備え付けていないじゃないか。

ハルタは、みんなに育てられ、

ハルタは、自分で今のハルタになったんじゃないか。


たんぽぽは、アスファルトの隙間から咲いていた。


いい街だね。私は言った。


そうだね、いいところだ。ハルタは笑った。


お願いだからこまめに掃除してね。と私が言うと


それは約束できないと、ハルタは顔を顰めた。 

私は白目でビニール袋を突き出して、ほいと
手渡した。


ハルタはきっと大丈夫だろう。


ハルタはもう自分の咲く場所を決めたのだ。

小さな白い綿毛は着地した。

私は、駐輪場に咲く先輩に小さく頭を下げた。

#ピリカ文庫
#創作










いいなと思ったら応援しよう!

おだんご お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。