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息子の行きつけ

「少し都心から離れてもよければ、自分がよく行く店を予約しようか?」

長男からの申し出に、私も夫もときめいた。

一緒に酒を呑むことも、東京で食事を共にすることも初めてなわけではないが、息子の行きつけとは、なんたる甘美で魅惑的なのだろう。

長男と約束した日は、我が家の大きなイベントが控えていた。結婚を決めた次男と彼女が、それぞれの両親を招き挨拶の場を持ちたいと、東京赤坂にある日本料理のお店を予約してくれた。いわゆる顔合わせ会である。

その場所、そしてシチュエーション。普段から庶民一筋で生きている私たち夫婦には、眩くて烏滸がましくて恐縮する1日だった。年相応の落ち着きを見せかけだけでも整えなければならない。

緊張するだろうなあ。慣れない環境に身体が縮こまることを想像した。

次男の結婚は嬉しくてありがたくて仕方ない。このセレモニーも、一人前の大人としての礼節をもって、私たち双方の親をもてなそうとしてくれていることがわかり感動した。だからこそ応えたい。嬉しいからありがたいから、この子たちのために、親らしくしっかり役目を果たしたい。

張り切っていた、とても。晴れ舞台がただただ円滑に穏やかに過ぎるように、気持ちを引き締めてていた。

これほどまでに張り切っているため、自分たちにご褒美が必要である。

その大切な会が終わった夕方に、せっかく久しぶりに東京に行くのだから、長男とも会いたいよねという話になった。それで2次会のお誘いである。

夫から連絡をすると、二つ返事で「いいよ」と返ってきた。

我が家の長男は、日頃、家族LINEに誰かが何かを言っても殆どメッセージは寄越さない。

過去にはあまりにも電話にもLINEにも応答せずに、よくない想像をして、次男に家まで様子を見に行ってもらったことがある。なんの気もなくいつもの日常を過ごしていて、次男がピシャリと叱りつけたものの喉元過ぎればなんとやら。

その後に同じことを繰り返して、私から「職場に電話するぞ」と脅迫もされている。慌てて連絡を寄越したところをみて呆れるよりも、まだ仕事を辞めてはいないのだと安心するほどである。

とりあえず生存確認のため、LINEは既読にしたらOKという長男ルールもある。

現代のSNS文化の全てに興味がない。許されるならば、本当は携帯電話も持ちたくはないだろう。

昔から人付き合いが苦手で、同調に甘んじない。
1人を厭わず、恐れないのが、強さでもあり弱点というのが私の長男評である。

その長男の「いいよ」と「行きつけ」である。
私たち夫婦が、ヒャッホウ!!と浮かれる気持ちを想像していただきたい。


長男は次男の結婚を、心から喜んでいるようだった。そうとしか思えない声と熱量で言った。

「ああ、よかった、おとうとおかあのためにも3人のうちとりあえず1人結婚してくれて。その日は俺も付き合うよ」

長男だなあと思う。そんな風に背負ってしまうのも、私たちの望みや願いを勝手に想像して、勝手に解釈して勝手に安堵しているのも、ザ・長男である。そして彼の見立ては大きくはずれてはいないのだ。

顔合わせ会は滞りなく終宴した。いろいろ不手際や不足はあっただろうが、全てを愛嬌としてお納めいただいたと思いたい。
終わったのは15時で、長男との待ち合わせは、18時だった。

私は、渋谷で行われている高校時代のクラス会に顔を出してから合流することにしており、夫は先に待ち合わせの街へ向かった。

今年50歳を迎える女ばかりの同級会とは、ご存じであろうか。

到着すると海賊の宴のようであった。なんというか、テーブルにはもはや酒のみ。シンプルにもかかわらず、昼間の渋谷の喧騒に負けない絵力だった。

自撮り棒での集合写真撮影に時間がかかりすぎる。

推し活の話になると、熱量のギアが上がる。

子どもの話になると、頷きで赤べこ集団になる。

そして、昔の話になるととにかく記憶の出力が滑らかになる。

それぞれの航海は、それぞれの喜怒哀楽があっただろうが、私たちは転覆も難破もなんのそので、またこうして出会い笑い合うことができている。
海賊のような威勢の良さは、私たちが一度は見失い、どこかで盗まれてしまったように感じていた自分を獲りもどしたという証かもしれない。


「またね、また会おうね」と別れた。まだまだ私たちはそれぞれの社会で航海を続けていく。


渋谷の街では看板と、スマホを交互に見て歩いた。待ち合わせの街に向かう電車に乗るために、人で溢れる長いエスカレーターに乗る。『羊文学』の大きな広告を見つめる。誰かひとりがこの流れに背けば、この規律に不和が生じ、一瞬で混乱に巻き込まれる。
渋谷はいつだって私に緊張を強いる。どんなに姿形を変えても、間違えられない街だと感じてしまう。


ホームに来た電車に乗り込む。車内の路線図を確認して、無事に電車に乗ったよとLINEをする。


電車は少しずつ都心から離れていく。夕暮れの街並みが少しずつ歓楽から暮らしにシフトしていく。

17時51分。

「おかあ、駅に着いたら南口方面の西口に出て」LINEの長男からのメッセージに首を傾げる。

「どういうつもりよ」駅のつくりに悪態をつく。素行と理解の悪い母に、改札に迎えに行くと追いメッセージが届いた。


南口方面の西口の改札の向こうに、長男が立っていた。手を振ると控えめに手を上げた。

早めに合流した夫と息子は2人で先に飲み始めていたが、わざわざ迎えに出てくれたことに感謝を伝える。


「それっぽいじゃないの」と言われる。私の衣装が顔合わせに出た母親っぽいという意味である。嬉しい。褒められていると勝手に受け止める。


長男の行きつけは、職場から少し離れている場所にあった。街並みに落ち着きがある。そこどこから、のどかな風合いが漂う。東京には、少し喧騒を離れると、途端に親しみやすい顔をのぞかせる人たらしなところがある。丸みのあるその街は、私の緊張を解きほぐしていく。


「あそこだよ」指で示す先には、くすんだ朱色の暖簾が揺れていた。


細身の引き戸をスライドさせると、店は満員で、奥の座敷にいくまでに、カウンターに座る方々に頭を下げて声をかけながら、進まなければならない。

みなさんが嫌な顔一つせずに、椅子を引いてスペースを作ってくださる。その心遣いに、グッときながら最大限の笑顔で、たどり着く。

夫は、自宅ぐらいリラックスした様子で待っていた。

「おかあの好きなもの頼んでいいよ」と頭上にある黒板を示される。


「なんでもうまいから」とのこと。あれもこれも目移りしたが、『自家製カニクリームコロッケ』と『あじの握り』に心惹かれて、注文することにする。


鳥軟骨の唐揚げも美味しいとのこと。この際、バランスとかは考えない。食べたいものを食べよう。


長男が「おかあさーん」と声を出した。もちろん、私ではなくて、女将さんを呼んでいるのだが、私はこの時得体の知れない多幸感に包まれた。


小さい頃から、臆病で慎重で人に譲ることばかりが得意な子だった。

不器用で遠回りが多くて、もどかしく思うことも沢山あった。

それでも、教職の夢だけは諦めなくて手放さなかった。高校卒業でうちを離れて以降、ずっと東京で頑張っていた。正規採用は大学卒業から数年のチャレンジを経て獲得した。

正規採用後は、いろいろなことを任せてもらえるようになり、殆ど実家には帰らないし、普段は連絡もよこさない。


ぶっきらぼうで面倒くさがりで、私の困ったところをちゃんと引き継いだ長男を思うとき、いつだって、人様とうまく関われているのか、きちんと心を通わせているのか、ごはんをしっかり食べているのかばかりが頭を巡る。


「おかあさん、あの、生3杯と、カニクリームコロッケと…」と注文する長男の声の「おかあさん」ばかりがこだまする。


ああ、よかった。よかったなあ。そうかそうか、おかあさんって呼べる人がいるんだ、なんてこったよ、ああ、もう、すっかり大丈夫じゃないか。


おかあさんと呼ばれた女将さんは、私たちに
「おにいちゃん、ああ、おにいちゃんなんて失礼でしたね、すみません、いつもそう呼んでいて。
おにいちゃんは、本当にいつもいい子でねぇ、先輩にも後輩にも慕われて、本当によくやってますよ、頑張ってます」と話しかけてくださった。


「えー、この子が…」と思ったが、にこにこと話す女将さんには、そんな謙遜は失礼な気がして、
「ありがとうございます。本当にいつもお世話になりましてありがとうございます」とそう笑顔で頭を下げた。


生ビールで乾杯して、運ばれてくる料理はみんな嘘でしょう?と思うぐらい美味しかった。
あれがどうで、これがどうと食レポは不要。

全て間違いなく美味しいが満ちていた。

お寿司はおかわりして10巻盛り合わせを頼み、3人でジャンケンして、好きなものを一つずつ取りながら食べた。
「ああ、マグロ取られたかー!」と派手に悔しがったりした。
最後の勝負で一人勝ちしたので、私だけ4巻食べた。非常に充実感のある寿司を堪能した。


レモンサワーは、ジョッキに焼酎とホッピーが届く。ホッピー1瓶でナカの焼酎だけおかわりすることができて、お得に飲むことができる。ソトがホッピー、ナカが焼酎という。そういう飲み方も長男が教えてくれた。


お会計は私が「奢ろうじゃないか」とふんぞりかえった。夫も長男も「よろしくお願いします」と素直に受け入れた。


お支払いのレジで、女将さんはもう一度

「おにいちゃん、本当によくやってますよ。みなさんに頼りにされて、真面目に頑張ってます」

と、私に言ってくれた。奥の厨房の大将も、うんうんと頷いて、頭を下げてくださる。

地方から出てきた両親を連れてくるんで…と話をしていたから、リップサービスかもしれない。

お店と長男がグルになって、ポジティブキャンペーンをしてくれたのかも知れない。

それでも、それでも。

休み時間に1人で図書館で本を読んでいた小学生の頃の背中や

やっと掴んだレギュラーで大会直前に骨折をして痛みに耐える中学生の頃の横顔や

学校なんてくそつまらないと話していた高校生の頃の声音を思い出して胸が詰まりそうになる。


リップサービスやポジティブキャンペーンに加担してくれる人に囲まれて、確かに長男はこの街で生きている。生きているのだ。


店の前で、長男と腕を組んで写真を撮った。嫌がらずに付き合ってくれた。


スマホをこちらに向ける夫も笑っていた。


昼間、次男の妻になる人に頭を下げた。

宵の入り、長男が母と慕う人に頭を下げた。

ああ、ありがたいなあ。私の好きな人を大切に思ってくれる人がいる。こんなに味方ができるんだな。こんなところにたどり着いたんだなあ。

ほろ酔いで並んで歩く、駅までの道のりで何を話したのか、もう覚えていない。

ただ、とてつもなく気分が良かった。

ずっと、お母さんとは大層なものだと思ってきた。

私はちっともお母さんらしくなかったし、お母さんとして不出来だと後ろめたく、ずっとまがいものみたいな気持ちだった。

ただ、今日の長男の「おかあさーん」を聞いた瞬間、何かがはじけて、「ああ、なんだ、おかあさんって呼ばれたらおかあさんじゃん」と思った。


おかあさんの正体は、軽快で朗らかで、ぼんやりしていた。すごくなくていい。完璧なんてありえない。ただ親しみと思いやりがあればいい。


私ももう誰のおかあさんにでもなれそう!という気前のよい思いだった。


息子の行きつけ。

そこには、美味しいお酒とおつまみと、息子の成長と私の解放がありました。














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おだんご お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。