私はそれを許してほしい
くまさんが初企画にチャレンジしています。
くまさんは、同業者とはなるべく近づきたくないという、noteにおける私のこだわりの壁の脇をするりとすり抜けて、私の前に現れてにっこりした人です。
私は20代後半からターミナルケアに興味を持ち
いろいろな研修や勉強をしてきました。
死に対して、比較的自分の時間の多くを費やして考えを巡らせてきました。
しかし、それを誰かと分かち合うのは難しいし、
一般的ではないと自制もしていました。
人生会議というテーマについて、私はリアルな生活の中で語り合う友を持ちません。
くまさんは、このテーマを真剣に自分ごとにして捉えて深めている人でした。
私にとってこれは初めての人です。(ちょっといやらしい言い方)
そして私に、私の人生会議を話してほしいと言ってくれた人でした。
私が、それまで心に温めて留めていた思いを言葉に落とし込む作業に力をくれました。
くまさんと握手をしてから、私の同業者とは近づかないというこだわりの壁は崩れました。
くまさんは、私にとって非常に大切な人です。
今日は、感謝と友情を込めて書いています。
***
特別養護老人ホームの介護士の頃
私、まぐろのお刺身が食べたいな。
そういう仲良しのおばあちゃんに
わかった、次の休みに買ってくるからね。
次の休み明けに、その人は亡くなっていました。
俺はシマシマのメロンが好物だ。
そういういつも偏屈なおじいさんに、
わかった、探してみる。と伝えて
スーパーを何軒か回り季節外れで見つけられず、
代わりのカットメロンをようやく見つけて
買って行った時にはすでに旅立ちの後でした。
食べたいという気持ちに、応えられなかった
思い出は限りありません。
水が飲みたいという人に、看護師さんから
とろみつけてねと言われて、顔には出さず激昂し
水飲みたい人にとろみ水って!!ありえない!
と、心で炎を燃やしたあの日も忘れていません。
数々の後悔。戻せない時間。
その後悔と時間は、忘れないという記憶に変換され、私の中で生きています。
あの人もこの人も。私の中に生きています。
食べさせたい。それは健康な人の願いであり希望です。
食べたい。それは生きる意欲であり欲望です。
さいごに何を食べたいか。
私はさいごはどうしても最後ではなく、最期に置き換えて考えてしまいます。
最期の時。
私は憧れがあります。
自分で食べないと決めること。
そしてそれを尊重されることです。
若い時に受けた研修でお医者様に言われた言葉がずっと胸にあります。
もう少しで着地する飛行機に、燃料を給油しますか?もう、降りるその時に燃料がぴたりと終わればよいのに。着地前に、燃料を積めば機体は重くなるだけで、何の意味もありません。バランスを崩して負担になるだけ。
もう地面が見えている。
目的地はそこだ。
今までよく飛んだ。
安全に着陸したい。
燃料はいらない。
もう食べない。と言う人に食べさせたい。と願う人をたくさん見てきました。
口に運ぶ家族に、口を動かす人は、
ただ周りの人のために自分の生を捧げています。
優しい。家族の生きてほしいに応えるために口を動かすこともあるのです。
私は何度か飛行機の話をしました。
受け入れてくださる方も、受け入れられない方もいました。
当然です。
目の前の人は飛行機ではなく、大事な人です。
ただ、食べないことは不幸ではない。
食べたくないことは諦めではない。
準備と覚悟。その側面を知っていてほしい。
そんな風に思っています。
夫に、くまさんの企画の話をしました。
私が食べないと決めたら尊重してね。と
言いました。
わかったよ。と答えてくれました。
夫は、味噌おにぎりがいいな。と言いました。
ビールもほんの少しね。絶対とろみつけないで。
わかった。絶対とろみつけない。
こんな話、夫婦でできてよかったな。
くまさん、ありがとう。
ちなみに最後なら。
家族とごはんが食べられたら、なんだっていいや。
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